山吹や根雪の上の飛騨の徑 前田普羅2019年04月22日

 句集「飛騨紬」から
 作者はことに山が好きでそれにくわえて雪が好きだった。春になると山吹も好きな題材だった。「山吹にしぶきたかぶる雪解滝」を始に掲載句は別途に山吹を章立てした三句の内の一句である。冬にも「青々と山吹冬を越さんとす」「山吹の黄葉ひらひら山眠る」、『春寒浅間山』にも「山吹を埋めし雪と人知らず」「山吹や昼をあざむく夜半の月」など。
 理由をあえて探すと少年時代に読んで山にのめりこむきっかけとなった『日本風景論』6版の影響がある。その表紙に飛騨の高原川の峡谷に山吹が描かれていることだろう。志賀重昂の飛騨への扇動的な紹介文に刺激されて脳裏に焼きついた植物となった。
 これだけ山吹が繰り返し詠まれたのは越中から飛騨神岡への通い道の途次によく見られたからに相違ない。山吹と雪が同じ句の中に詠み込まれるのもこの作者の特徴である。
 昭和初期は国鉄飛越線笹津駅かその先の猪谷駅まで乗車して以降は徒歩で神岡へ行った。(国鉄神岡線が開通するのは昭和41年のことで普羅の死後であった。)凡兆街道と自ら呼んでいたそうである。健脚な俳人らしい。少年時代の憧れを山吹に象徴しておるのかも知れない。