自然休養林の意味2021年05月19日

 八曽山を2回歩いてみた。感じたことは大都市近郊の山にしてはよく自然が保たれていると思った。実際に歩くと、尾張本宮山は戦前は皇室の御料林であった証に御料局三角点が埋まっていたが、八曽山周辺には見当たらない。
 つまり、初めから国有林だったのか。否そんなことはあるまい。江戸時代は美濃との国境ということで間道があったことは確かである。しかし里山につきものの炭焼き窯跡がない。続けて観察はしてみるがあるはずのものがないとなぜかと興味をそそる。
 設楽の段戸山一帯は天領と言われた。徳川幕府直轄である。豊川市の赤坂に奉行所も設けられて管理されていたという。戦後は皇室財産に組み入れられた。御料局三角点があちこちの山に埋まっている。
 名古屋市千種区の東山公園東の山も歩くと御料局三角点が埋まっている。つまりここも尾張徳川家の御林だったのだろう。戦後は名古屋市に払い下げられたのだろう。
 八曽山の話に戻すと、シデコブシの咲く山として知った。シデコブシは湿地帯に咲く絶滅危惧種なのである。東濃の一部にわずかに残された湿地帯に咲いているのを今春はたくさん見に行けた。
 湿地帯は人間社会から見るとあまり利用価値が無い土地である。腐葉土が貯まらないから地味は常に痩せている。貧栄養の中でしか命を繋いでいけない。そんなところに栄養価の高いどんぐりの身のなる樹木は成長できないだろう。
 あの山一帯は里山にも利用されなかったのではないか。入鹿池を作ったほどだから、むしろ水源涵養地域としての意義が学ばれて保全となったのではないか。高い山のまったくない尾張北部地区は中小河川はあまり発達していない。雨雲をとどめて降雨させるだけの高さが無い。その代わり風は強い。伊吹おろしがまともに吹き付ける厳しさから乾燥地帯ではあろう。寒暖の気温較差大きいと甘味のある果物ができるので小牧市の桃の産地となったのも理解できる。
 八曽自然休養林とは里山にもなれなかった丘陵地であった。定光寺にも自然休養林はある。愛知には2か所ある。ちなみに岐阜県は飛騨白川郷にあるだけ。長野県の木曽地方では赤沢自然休養林がある。三重県ではヒットしなかった。やはり、他二県はほぼ完全に利用が進んでいるのである。

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