桜鯛あらも大事に売られけり 拙作2021年05月01日

 肉も欠かさず食べてきたが、たまには魚が食いたい、とスーパーをのぞいた。そろそろ鯛が出回るころなので、鯛のアラ煮とメニューを決めて早めに行った。ワンパックだけ愛媛県産の天然真鯛があったので求めた。
 ネットで鯛のあら煮でぐぐると調理法がどどっとヒットするので易しい方法で下ごしらえをする。
 まずは水道を出しっぱなしにして鯛の骨や切り口の血あいを古い歯ブラシと串焼きを食べた後とっておいた串の鋭い先っぽで洗い出しておく。これが臭みの元になるらしい。知らないときはそのまま醤油と酒、みりん、砂糖で煮付けていただけだった。下ごしらえをきちっとすると確かに臭みはない。
 煮立てて少し間を置いて味をにじませる。それから酒の肴の一品にして食べる。あっ、三河の名酒は昨夜で空っぽになった。生酒は水も醸造用アルコールも加えないからすっと舌に馴染んで飲める。少しは水っぽい方がぐいぐいやれるかも知れない。また設楽町の山に行ったら、蓬莱泉の量り売りを買おう。

丸の内事務所整理2021年05月02日

 本州に二つの低気圧がまたがっているため、名古屋でも晴天ではあるが、寒く風が強かった。

 溜まった新聞紙、雑誌、書類などを整理。プラごみ、燃えるゴミも処分した。石油ストーブは灯油を抜いて収納。とりあえず雑務を片付ける。

八曽山を歩く①・・・愛岐県境を中心に2021年05月03日

 5/2は本州上空に有った低気圧が、東に抜け、5/3は東シナ海の高気圧が、本州をおおってきた。少し寒いが、春の青空が広がるGWの中日になった。そのせいで、大勢の行楽客が入鹿池周辺に集まった。小牧東IC経由の県道49号はやや渋滞気味だった。
 五条川に沿う八曽モミの木キャンプ場への道も周辺も路駐の車で一杯だった。キャンプ場も多分満員と諦めて引き返した。池の喫茶店に入り、スマホで東海自然報道を検索すると、内津峠PAからの道が五条川につながっていた。マイカーを走らせると、リニア送電線の工事中らしい。三差路に路駐して出発。
 後から後からマウンテンバイクの人たちが抜いてゆく。グループや単独もいる。このルートは自転車にはちょうどいい幅がありサイクリストには知られているのだろう。
 五条川に降り立つとすぐに丸山橋を経て、黒平谷橋を渡る。ここは八曽キャンプ場らしい。谷沿いの道から八曽滝に着く。急な尾根を登ると別の尾根道に合流する。後は一本道である。
 頂上直下は大抵は傾斜がきつい。この山も例外ではない。登りきると2等三角点のある八曽山または黒平山(点の記は黒平)である。頂上からは伊吹山の眺めが良かった。濃尾平野の右端に座す金華山も良く見えた。入鹿池の向こうは尾張本宮山、右は尾張富士である。中々の良い眺めに満足する。子供連れの登山客も多かった。
 下り始めると左へ道があるので辿ると、元の道に戻った。この周回道は地形図に表現されている。また一段と下ると二股になり、左へ行ってみた。雑木林と裏白の新緑が美しい小径だ。
 しばらくで分岐に着いた。愛岐県境への道を一ノ門というらしい。八曽山の山頂直下も石垣が築かれていた。何かの建造物、例えば山城か、それなら一ノ門の名称はマッチする。それで一ノ門の小径を歩いた。岐阜県境まで来たがそれらしいものはなかった。そこには防火線と小さな案内看板があった。愛岐県境を南へと歩いた。今は雑木林も新緑で覆われたがつい最近までは見通しがよく御嶽や恵那山、中アなど見えただろう。落葉期に歩く価値はある。
 愛岐県境の防火線は幅1m程度の歩道であるが、地形図では実線なので、軽車道になる。この表現は亀割池付近から始まり、八曽の里キャンプ場の近くで終わる。岐阜県側は東建塩河CCでゴルフ場か、芝生が見えている。
 283mの分岐が明瞭ならば尾根を下る案もあったがそのまま県境をたどった。分れ道で、古い石の道標があった。今井村 左たじみみち、右うつつ道か。すると山岳古道ではないか。ウィキによれば、今井村は犬山市にかつてあった村の名前だった。入鹿池の北に今井の大字として名残りをとどめる。内津峠の下街道とつながる古道であった。良いものを見た。
 再び分れ道になったが、左は明瞭な道だが、尾根から外れる。多分北小木町の神社マークに至るだろう。右の尾根道を取った。落ち葉の堆積する道でほとんど歩かれていないが藪ではない。尾根の地形が無くなると山腹の良い道になり、下から人の声が聞こえてきた。下りきった辺りでは踏み跡も消えて荒れている。赤テープが何本もぶら下がる。しかし、駐車場らしい舗装は見えるが道はないので適当に木につかまって下りた。
 そこは愛知県犬山市の八曽の里キャンプ場だった。古い山里を期待したが残念。地形図の222mの北の三差路を確認した。五条川の流れを渡ると岐阜県だった。愛知県はキャンプ場で行き詰まりと思い、岐阜県側の実線が林道なので歩いてみた。この林道はこのまま行くと愛岐県境の谷間をたどって内津峠付近に行ける。しかし、キャンプ場からは離れる。そこで林道から小さな谷を渡り、更に石が水面に出ている五条川の浅瀬を選んでキャンプ場へ渡渉した。左へ行くと無事、対岸に行ける橋があった。大きく北に蛇行した五条川に沿って林道を歩くが奥もキャンプを楽しむ家族がいた。ここにも八曽山への道標があり、これでつながった。地形図ではつながった実線であるが、実際は壊れた橋があるかに思えたが、廃道みたいな林道の看板に微かに八曽山の字が浮かんでいる。その先は小さな谷に粗末な木の橋が架かっていた。渡って急斜面をよじ登ると立派な林道が伸びていた。
 以前は林道級の橋の残骸でもあればともかく何もないから地形図の間違いである。しばらく歩くと東海自然歩道への入り口に着いた。これで周回は果たせた。後は車まで来た道を戻るだけだ。

GPSと同行二人2021年05月04日

 http://www.maenaem.com/henro/bas.htm

 お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」。「同行二人」とはお遍路がお大師さまと二人ずれという意味です。遍路では一人で歩いていても常に弘法大師がそばにいて、その守りを受けているとされています。そして、遍路で使われる杖には弘法大師が宿ると言われています。
以上

・・・昨日はヤマップの検証登山でしたが、四国遍路で使われる同行二人を思った。一人で歩いていても、弘法大師様といつも一緒という思想である。
 登山においては道迷いの遭難が一番多い。地形図をよく見ていない、世空言を考えていて、道を間違ったりする。山の中で慌てても危ないことが多い。滑落や転落も間違った結果の複合遭難化も知れない。
 間違った、怪しい、どっちかな、等の疑義を思えば、GPSを使えば自分がどう歩いて来たかをチエックできる。間違っていると判断したら引き返すことが可能である。現在地確認にGPSほど便利なものはない。但し、電池が要るので地形図の基本的な読み方の上に立っての道具である。

野伏ヶ岳で登山の67歳男性が遭難か 捜索も手がかりなし2021年05月05日

https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagoya/20210504/3000016511.html?fbclid=IwAR05bMiE4dVKFSv9Dt1vh-zlvM2FNWpz2_yyUhHB7ZnIZfSomIS4v9eubmM

 登山道が無い山なので捜索隊も途方に暮れているでしょう。捜索隊は頑張ってください。
 4/30に妻宛てに電話で野伏ヶ岳に行くと伝えた。5/3になっても下山の電話が無く、妻が警察に届けた。5/4に警察で捜索活動がされたが、発見されず。5/5は朝から雨で、現地でも捜索は困難だろう。この山に登る前は猿ヶ馬場山に登っている。野伏ヶ岳もともに日本三百名山であるから、GWに集中的に登りに来られたんだろう。どちらも無雪期は登山道が無く、登れないから残雪期を選んだと思います。なので道迷いに備えて、ツエルト、非常食、コンロなどを携帯し、ビバークの準備くらいはしていると思いたい。
 GWに入る前に、知人から野伏ヶ岳の状況の問い合わせがあった。今年はFBなどの仲間内の記録から雪解けが早く、残雪を踏んでの登頂は困難でしょうと、伝えた。山岳会の仲間も願教寺山への渡渉地点で撤退していることなど教えてあげた。多分中止していると思う。
 不明の男性も林道を歩き、あの広い和田山牧場までは登れたに違いない。そこからどう登るか。
 ヤマップの記録では4/30が近い。ダイレクト尾根を登り、北東尾根を下っている。
 バンビさんの日記から「いろいろ試練があり山の怖さ甘くみたら痛い目にあうのがわかった山行きとなりました😅
 薮こぎが激しすぎるのと、下山すごい豪雨になって見えなく薮でストック無くすし携帯充電切れ道迷いにあうし。最悪なのは道迷いで池にたどり着いて雪の池を膝まで入り渡ってようやく道に出て下山。雨は大丈夫だろうと雨具、着替え持ってかなかったから凍えそうになるし山を甘くみてました🙏反省し今後気をつけないと遭難しかねないですね😅」と報告されている。
 不明の男性もルートファインディングに苦労していると思う。しかし、ベテランだろうから、推高谷の源流部に回り込んで、1481mの稜線なら雪が残っているかも知れません。そして留意すべきは福井県側の広い緩斜面に迷い込んでいないかどうか。または橋立峠に周回して、激やぶの斜面で疲労困憊しているか。などと想像しています。
 関東圏の登山者は奥美濃のヤブの濃さを甘く見ない方が良い。藪漕ぎできないくらいに雪で押されて曲がっている。
 まだ不明後5日間であり、食料はないと思うが頑張れる限界だろう。

『岐阜百秀山』出版!2021年05月06日

 イオンの千種店に丸善が居抜きで入った。中々行く機会もないが、買い物ついでに寄ったら、本書が目に入った。以前から出版の話は聞いていたが、中身を見たのは初見。まずはどんな山を選定したのか。あれだけ山が豊富な県なので良くぞ、100座に絞ったものである。
 東海支部でも東海の100名山を募ったら、たちまち150座になってしまい、200座に増やした。東海・北陸200秀山は共著なので特に基準もなく、集まってしまった。約80名の執筆者がそれぞれの個性で書いたから文体もバラバラになってしまった。
 著者の清水さんは周到に入念に選定し、先達にも査定してもらいながら準備されたらしい。単独の著者なので文章も査読してもらったという。したがって山は違えど統一性は保たれたわけである。
 それで、目次の山名を見ると、未踏は2座だけだった。漆山岳と輝山でともに飛騨の山である。漆山岳は道が無く藪漕ぎで近くまで登って時間切れで断念した。中途でブナの下にいたらいきなり熊が下りてきて谷底へ走り去った。後続に熊だ、と呼び掛けて注意喚起した。以来、単独では怖いし、こんな藪山に付き合う人もいない。輝山はスキー登山用に残してきた山だったが、すでに齢71歳になったので、果たして登れるか。
 というわけで、山ほどあった未踏峰も残り少なくなった。平均寿命まで後10年あるかないか。もう少し岐阜の山には遊ばせてもらうが、それにはもっと網羅的に山座数を増やして欲しいなあ。と著者に会ったら言おう。

遭難に不思議の遭難なし2021年05月07日

 今年のGWも多数の死者を出す山岳遭難が発生して終えた。中には行く不明のままで捜索を打ち切られた登山者もいる。
 中でも珍奇なのは九州の甑島の離島のナポレオン岩に取り付いたクライマーの救出劇があって驚かされた。クライマーはこんな珍奇な岩場を好んで探してはあちこちで騒動を起こしてきた。
1白山山麓の天然記念物の岩にピンを打ち込んだ
2東濃の天然記念物の岩にピンを打ち込んだ
3愛知県の岩場周辺でも屎尿の問題でトラブルがある
4熊野の那智の滝を登攀したクライマーがいた
5その他
 遭難事故はクライマーだけではないが何かと目立つのはなぜだろう。珍奇で、テレビ的な派手さがあり、ニュース性が高いのだろう。
 槍ヶ岳では3名が遭難死したが、登山を始めて1年目というから驚かされる。登攀技術だけなら街の人工クライミングゲレンデで修練はできるだろう。しかし、厳冬期と同様の気象条件で槍ヶ岳に挑戦するのは経験不足という他ない。しかもネットで気楽に組まれたパーティと聞くと如何にも今日的である。
 また相変わらず、登山届を出していない登山者が多く遭難した。出しても確実に救助される保証はないが、初動捜索に寄与することは間違いないだろう。
 石徹白の野伏ヶ岳の行方不明者も発見されることを期待してニュースに当たったが何も手掛かりはなかったまま、今日も終わる。

笈ヶ岳でも単独の登山者が行方不明に2021年05月08日

 北陸中日新聞から
「全国で山岳事故が相次ぐ中、登山経験者が遭難するケースが目立っている。石川県白山市では四月二十九日に「笈ケ岳(おいずるがたけ)」(一、八四一メートル)に単独で入山した石井洋さん(70)=川崎市=の行方が分かっていない。山岳救助の専門家は「山では経験者でも危険な場面に遭遇しうる。雪が解けて入山しやすい春山こそ、万全の装備で身を守る必要がある」と話す。(都沙羅)
 家族によると、石井さんは身長約一七〇センチで体重六〇キロ、短い白髪で眼鏡を掛けている。入山時の服装は不明だが、四月二十九日午前三時に同市の自宅を出発し、五月一日午後十時ごろに帰宅すると家族に伝えていた。中宮レストハウス(白山市中宮)に車を止め、冬瓜(かもうり)平を経由する登山ルートを予定していた。日本二百名山に選ばれる笈ケ岳だが、残雪期以外は猛烈なやぶに覆われる。
 白山署によると、神奈川県警から石井さんの行方が分からなくなっているとの連絡を受け、石川県警ヘリコプターと富山県の消防防災ヘリが四日までに出動して、冬瓜山付近を捜索したが、見つかっていない。
 登山仲間によると、石井さんは五十年以上前から月に一度は登山する経験者。四日に北アルプス・槍ケ岳(長野県)で遭難し、死亡が確認された三人も愛好家のパーティーだった。富山、石川両県にまたがる医王山で五日に救助された金沢市の親子三人も登り慣れた山だった。
 警察や消防に救助指導をする「日本山岳レスキュー協会」(神戸市)の山本一夫会長(76)は「温暖な春山も、ひとたび天候が荒れ狂うと、猛吹雪で周囲が見えなくなる『ホワイトアウト』の状況になる。低体温症の懸念の中で、山道を長時間歩く持久力や天候を判断する力があるのか、登山者は問い直す必要がある」と指摘。「簡易テントやコンロ、コンパス、地図を使いこなせる状態で装備してほしい」と話す。
 石井さんの行方について家族が情報を募っている。連絡は家族=電090(6313)5257=へ。」
 ・・・真坂、笈ヶ岳は藪山か雪山に精通した登山者が行く山です。単に登山を長くやっていても登れるわけがないのです。槍ヶ岳の遭難者はSNSで知りあった者同士で1人は登山を始めて1年ですから遭難は織り込み済みです。この方も単独で登ろうとする以上は下調べや偵察山行もなさったとは思いますが、気象条件を考えるとどうだったのか。
 途中の平らなところでビバークをしている可能性もあるので捜索を続けてゆくしかないだろう。

野伏ヶ岳の捜索は?2021年05月09日

 早朝5時30分に名古屋を出発。石徹白へは8時30分に着いた。高速道路のおかげで早いものである。石徹白は何年振りかで訪れる。アルペンスキー場はウイングヒルズ白鳥リゾートスキー場に名を変えてやっている。石徹白スキー場は閉鎖し、白山スキー場はスノーウェーブパーク白鳥高原スキー場に名が変わった。
 以前との違いは別荘がとても増えたことである。以前に来た際に石徹白川右岸に別荘が並んでいて驚いたものだった。こんな豪雪地帯なので利用できるのは6カ月くらいだろう。
 白山中居神社に着いてみたが、Pには車2台あるのみ。対岸に渡ると品川ナンバーが1台置いてあった。これが行方不明者のマイカーだろうか。他には誰もいない。時折、釣り人らしいのが通りかかる。捜索本部があり、多数の捜索隊をイメージしていたが、これではどうしようもない。
 中居神社の社務所の人に聞くと5/5に一度ヘリコプターは飛んだがすぐに解散してしてしまったらしい。今は山頂への尾根も藪が出ているので、山菜とりと同じで捜索隊の二次遭難を考慮したとも言われた。どこで聞いても同じだと、自信ありげにいう。これではモチベーションが一気にしぼんだ。
 北陸へのドライブに切り替えた。中在所まで戻ると、鮎川信夫への詩碑への案内板があったので見に行った。

     山を想う          鮎川信夫

 帰るところはそこしかない
 自然の風景の始めであり終りである
 ふるさとの山
 父がうまれた村は山中にあり
 母がうまれた町は山にかこまれていて
 峰から昇り尾根に沈む日月

 おーいと呼べば
 精霊の澄んだ答えが返ってくる
 その谺のとどく範囲の明け暮れ
 在りのままに生き
 東洋哲人風の生活が
 現代でも可能であるのかどうか

 時には朝早く釣竿を持ち
 清流をさかのぼって幽谷に魚影を追い
 動かない山懐につつまれて
 残りすくない瞑想の命を楽しむ
 いつかきみが帰るところは
 そこにしかない

 石徹白は父親の出生地らしい。
http://itoshiro.net/map/map0310.html

 詩碑に佇んでいると、ぽつりと冷たいものが降ってきた。今日は雨になるのか。長良川流域では晴れていたが、日本分水嶺を越えると日本海側の気候になり、じめじめと湿った雨が降り、悪いのである。

福井平野を走る2021年05月10日

 石徹白の詩碑を去り、下在所からは石徹白川に沿う県道を走った。小屋谷川を合わせると地形が狭隘になる。福井県境に入るとすぐに俵谷が右から合わさる。かつて遡行した谷である。しばらくで廃村小谷堂である。石徹白ダムを過ぎて、ちょっと明るくなると朝日前坂である。ふたたび峡谷の県道を走る。やや広くなると九頭竜湖駅のある朝日に着く。
 道の駅で、舞茸弁当、栃餅などの食料を仕入れた。国道158号になると道は広がるが、九頭竜の名の通り、くねくねとカーブの多い道路なので緊張を強いられる。
 下山から勝原までは荒島岳の山麓をぐるっと巻いて走ってきた。勝原スキー場付近は道路の付け替え工事の最中だ。やっと大野盆地は小雨模様だった。新しい道の駅ができた。先に知人の家を訪ねるが、不在で、あた道の駅に来た。モンベルがこんな山奥に出店するとはおどろいた。今はコロナ禍で家族で楽しめるキャンプ用品が売れているらしい。そこを当て込んで出したのだろうか。
 大野市を後に、R158は越美北線と並行して福井平野に出る。大野市から北へ行くと勝山市で、九頭竜川と並行してR416があり、後の中部縦貫道も大野ICまでは通じていたんだ。
 ナビは平野に出ないで、山沿いに導き、越前市に入る。越前市は蕎麦どころで、その一つである遊亀庵かめやを目指す。意外に辺鄙なところにあったが、Pは満杯だったから人気の店だろう。おろし蕎麦を注文した。少し固めで歯ごたえがある独特の味わいである。
 昨年の5/9には同店から取り寄せて食べてみて旨かったのでリアル店舗に来てみたが成功だった。しばらくはR8を走った後、R365に分かれた。昔の北国街道である。木之本では雨森芳洲庵に立ち寄った。対馬市の墓に行ってきた話をしたら担当者との芳洲談義が弾んだ。もともと2019年の9月に初めて訪ねて知ったのである。長話を断ち切って帰名した。