日高見国の俳人・金子兜太の気概2023年04月07日

 俳句結社向けの原稿の構想中に金子兜太が死んだあとに発刊された『兜太』(Vol.1 sept,2018。藤原書店)を読み始めたら頭が刺激されて読みふけった。
 P129からの「まつろはぬ民の血」というフレーズである。副題には楸邨兜太の原郷となっている。恵那山の東を東国という。東国は西国(大和政権)よりも古く、高天原であり「日高見国」という言葉も最近知った。句集にも「東国抄」がある。
 どうやら兜太は左翼なんて西洋からの受け売り思想にかぶれたんじゃない。西国即ち天皇支配へのまつろわぬ東国のアニミズムの世界に生きている俳人だったのである。
 文中には中沢新一も出てくる。『精霊の王』を著した作家である。東国支配には南北朝時代に後醍醐天皇の皇子が伊那谷の支配に乗り出していた。大鹿村には信濃宮がある。その皇子の尹良親王は三河宮で稲武で大切にされている。『浪合記』も偽書とされたがこれも東国のまつろわぬ住人を支配するためだったと思う。
 西国は朝鮮半島からの敵の襲来があり防人を必要としていた。西国では人材が払底していたと思われる。そこで東国を支配下に治めて防人を徴兵する必要に迫られていた。
 逆に言えば、東国の人々は外国との争いもなく縄文時代そのままに平和に暮らしていたのに何で西国へ赴かなきゃ行けないんだ、との抵抗があった。時代は遡るが東山道の入り口の防人の和歌も”母父がため”と結んでいる。
 もう少し読み込んで考えて見たい。

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