八幡和郎『「日本国紀は世紀の名著かトンデモ本か』(パルス出版)を巡って2019年03月24日

 フェイスブック上で面白い論争が続いている。百田さんの本に対する八幡さんの批評が本になる。以下にコピペすると

『日本国紀』はなぜ大ヒットしたのか
 この本が大ヒットしたのは、なにも出版社の宣伝がうまかったからだけではないのは、某氏の『応仁の乱』と同じだが、理由は以下の当たりに集約されるだろう(以下の点を私が評価しているかどうかは別にして、なぜ売れたかの分析である)
①日本人は、日本が嫌いになるような日本史より好きになるような日本史を求めていた。
②客観性にこだわってああだこうだ書くより作者の主観に徹したことの気持ちが伝わる。
③「日本という国」という突き放したものでなく「自分たちの国」の歴史が描かれている。
④帝王や政治家と庶民の描き方のバランスがよい。
⑤平成についての項目を設けるなど過去と現在を上手につなげている。
⑥保守派の極端な主張が炸裂というほどでなく戦中・戦後以外は以外に穏当である。
⑦最近の世論が保守化しているといわれるが、反対に歴史学会などは反日の度を先鋭化しているという主張は説得力がある。
 編集者の有本香氏は、以上のような点を、以下の三点に集約しているが、妥当な見方であろう。
⑧変更(ママ:偏向)した日本の歴史観を根源的に見直したい、
⑨百田尚樹という作家が魅力的だ
⑩平成から新しい時代への御代(ママ:世)代わりの時期に相応しい
 
 以上のような美点があればこそ売れたし、また、読んだ人の多くに好評であり、実際、同じベストセラーでも「応仁の乱」よりは全部読んだという人の割合が高いのには、それなりの理由がある。

百田先生、このあたりは賛成できません
私はこの本は『日本書紀』ではなく『古事記』の現代版だと評している。『古事記』は主観的に日本人の歴史観を書いたもの。『日本書紀』は国際的な支持を狙ったものだからだ。もし、これが『平成日本書紀』なら、以下のあたりは目的にそぐわない。
①万世一系を否定している。
②大和朝廷が任那を領土とし百済を従属的な友好国としていたという歴史的な主張を否定し、かなりのちの時代まで九州王朝が主体でないかとし、百済を植民地のようなものだったとしている。
③足利義満暗殺説など陰謀史観的な記述が多い。
④日蓮やその宗派とか陽明学とかが出てこないなど宗教や思想についてアンバランス。
⑤江戸時代の封建制や鎖国のデメリットへの認識が不十分。
⑥尊王攘夷が維新の原動力となったことの意味を理解しておらず極端にアンチ長州である。
⑦学校制度が典型だが明治維新と文明開化への評価が極端に低い。
⑧さきの戦争について、「日本だけが悪いわけでない」ならともかく「日本は悪くない」に傾きすぎて海外で修正主義の烙印を押されるリスクが高い。
⑨ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代について暗黒時代がごとき評価になっている。
⑩日本人の国防意識の低さへの批判は正当だが、それを占領軍の責任に押しつけすぎ。
 以上のような点の詳細を本書では解説している。そういう意味で、懐疑的な面の記述が量としては、ほとんどだが、それは、誉めるのは総論的なもので十分だろうという観点からであって、私としては、この本は、ニュートラルに議論の素材を提供することが目的で書いたものだ。
 それを、擁護するタネにするか、批判の材料にするかは、どちらにもできるだろうと思う。
以上
 明日発売らしいのでまずは立ち読みしてみたい。
 この種の本自体にはトンデモ本が多い。百田さんのベストセラーをネタにする本であるから読むに値するか。昔はこんな本も出版されていた。
1 朴 炳植『万葉集の発見―「万葉集」は韓国語で歌われた』
2 藤村由加著『人麻呂の暗号』
3 谷沢永一『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』
4 吉田清治『私の戦争犯罪』
その他にも多々あるだろう。関心のある分野はつい騙されてしまう。しかし、読んでまったく無駄にはなるまい。自分の栄養になる本は少ない。ゆえに古典がいつまでも輝くのはトンデモ本は時代に振り落とされてきたからだ。

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