日本を去るに望みて梅十句2010年02月15日

虚子五句集から。昭和11年。添え書きに2月21日朝、門司着。などとある。2月16日に章子を伴ひ渡仏の途に上る。横浜港から箱根丸に乗船したようだ。章子とは45歳(大正8年6月)のときに生まれた六女のこと。17歳だったことになる。
 虚子62歳の時、渡欧の際の船旅にて作句。朝日文庫「高浜虚子」集の略年譜には2月、渡欧。ベルリン、イギリスで講演。6月、帰国。8月「渡仏日記」(改造社)刊。とある。
 日本と梅を組み合わせて象徴的に作られている。象徴するなら桜のように思うが万葉集でも梅が圧倒的に多く日本文学の伝統なのである。2月という時節柄でもあろう。この後、上海、シンガポールと港に寄りながら欧州へと船旅は続く。

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