越後湯沢の秘湯・赤湯温泉行を企画2024年11月01日

 山岳会のS君から赤湯温泉に行こうとの企画が出されていた。地図を見ると苗場山のふもとに湧く山の湯である。南魚沼は9月に行ってきたばかりだった。それでも今なら黄葉が期待できるとの読みで行くことにした。
 越後山脈の続きで、谷川岳、仙ノ倉山、平標山が続いて一旦は火打峠に下る。そこから清津川沿いに降りて赤湯林道を経て清津渓谷に行った先に赤湯温泉がある。
 平標山は三国山、稲包山、白砂山、佐武流山、赤倉山、そして苗場山とつながる。関東圏の山好きにはたまらない山域であろう。

越後湯沢の秘湯・赤湯温泉行①2024年11月02日

 夜7時半にW君が来宅。山のザックなど積み込んで可児市のS君宅へ名古屋高速で直行。連休前とあって思いの他交通量が多く高速にして良かった。犬山市付近で交通事故があったばかりで大渋滞に巻き込まれた。それでも高速のお陰で10分くらいの遅れで済んだ。
 S君宅で無事に合流。中央高速の小牧東へ行く。とりあえず姥捨SAで仮眠となった。長野盆地の夜景がきれいだ。空気が澄んでいるがその分寒い。一応暖かい服装は用意してきた。

越後湯沢の秘湯・赤湯温泉行②2024年11月03日

 午前五時に出発。まだ暗いが上信越道の豊田飯山で降りた。深夜割引で若干安い。R117に出て飯山市に近づくとスキやの灯りがいやに目についた。空腹の身に熱い味噌汁が飲めるぞ、と一旦は通り過ぎたがまたバックして入店した。
 それぞれ好きなモノを注文した。朝定が良い。熱い味噌汁が胃にしみる。再び乗り込んでR353へ右折する。清津峡の案内がある。目的地はそこである。石内丸山スキー場にからむ山路を越えると塩沢に下った。そこでR17に右折した。
 越後山脈の三国峠に向かう。トンネルと橋を繋いで結構な山岳路である。火打峠を越えて下ってから火打平ゲレンデへ右折。プリンスホテルが建っている。
 なおも奥深く林道を走る。今日は観光客の車が多いせいか案内係が交通整理中である。黄葉に染まる雑木林の林道を走って橋の前で行き止まりになった。ここでには10台位の先着がびっしり止まっている。我々は止める余地がなく思案の結果車止めの石の前に停めた。いずれ下山者が来れば空くだろうという見込みだった。
 身支度して歩き始める。清津川の橋を渡ると早速黄葉を愛でながらの散策である。ぱちぱちカメラを構えては撮影した。陶然として歩みはのろい。朝日が当たって紅葉はいっそう映える。
 その内車の終点に着く。そこからも林道はしばらくは続いた。ますます美しい黄葉紅葉に見とれる。ついに棒沢の橋で林道も終わり、橋を渡って1184mの鷹打峠への尾根に取り付く。とても急な斜面のジグザグの山路である。休み休みしながら登ると米袋を担いだ歩荷が追い抜いて行く。後から後から登山者が抜いていった。
 峠を過ぎる。峠といっても尾根の反対側に下るわけではない。そのまま山腹を縫うトラバース道である。ブナ林が素晴らしい。すでに葉を落として登山道には落葉が積もっている。滑落に気を付け乍ら歩いた。
 見返りの松のポイントでは携帯電話が通じるらしいのでS君がさっそく仕事がらみの通話をこなした。やや下り気味に荒れた山道を歩く。最後は比高50m位は螺旋階段のような急転直下の山路だった。
 下りきってまた熊沢の橋を渡る。すぐに清津川の橋を渡るとようやく赤湯温泉山口館に近づく。山口館で受付を済ませてさっそく入浴する。清津川の激流の傍に小さな囲いの露天風呂である。野趣にあふれる。他に2ヶ所あり時間帯で専用と謳うのもある。
 宿はランプなので薄暗い。電気は通じないから照明、TVなど文明の恩恵からは程遠い。スマホも新聞も無いから何をするやらうろたえる。睡眠不足を補うために布団を敷いて仮眠する。夕飯のコールで階下に降りて夕餉を囲む。結構な人数だが11/2の天気予報で台風の接近もあって三分の二はキャンセルしたらしい。
 接客の小屋番氏から山の話、宿の歴史などを伺う。100年というからそんなに古くもない。しかし、谷底の宿でよくぞ続いたものだと感心する。壁の古い写真を見ると皇太子殿下が写っていた。大学を出たばかりの頃、苗場山の途次、立ち寄られた。入湯だけで宿泊はしなかったらしい。
 夜になり早いうちに寝床に就いた。ランプの使い方の説明に回って来られた。ランプが点くと古い時代に戻った気がする。一つあっても良いような照明器具である。

越後湯沢の秘湯・赤湯温泉行③2024年11月04日

 午前5時に目覚めた。W君はさっそく朝湯に行った。夕べも遅くに入湯したらしく温泉が好きなんだろう。
 6時から朝食である。6時半ごろから3人で揃って階下に行く。朝食は大き目の生卵、浅草のリ、納豆、煮物など。結構な量がある。夕べも味噌汁に入っていたが小屋主らが採ってきたきのこが入っている。これは旨い。
 朝食後は下山だ。昨日の道をまた歩くが景色が反転するから飽きることはない。それに朝が早いから朝日を浴びた紅葉はより美しい。照り黄葉という季語もある。またカメラで撮りまくった。
 地図にある棒沢の釜段ノ滝を見に行ったが堰堤だった。地形図の印刷が間違っていて本当は清津川へ落ち込んでいる。こっちから眺めても水しぶきが見える。但しその滝を見に行く場所がないのは残念だ。
 ここからまた林道歩きが始まる。気楽な散策気分である。Pまでゆっくり話しながら歩いた。途中でも多数の登山者や行楽の若者グループに出会った。まさかあの格好で赤湯に行くんでは無かろうが。
 Pのクルマはすっかり減っていた。戻る際に徒歩の登山者を見た。多分元橋(火打峠)へ登り返すんだろう。火打峠には平標山の登山者のマイカーが多数止まっていた。人気の山らしい。元橋のバス停もあり、赤湯への入り口の看板もあった。
 林道を走っている際に上をゴンドラが往来していた。これはかぐらスキー場へ一気に運んでいる。但し苗場山へは立入禁止の記号になっている。単なる展望と散策のためのものだろう。
 帰路は給油、魚沼の温泉に入湯(480円)した。やけどしそうなくらい熱かった。石鹸、シャンプーはなく温まるだけでした。R253経由で帰名した。

アムスカ理事会2024年11月05日

 会場の名工大へ行く。15分前に入室。数名が先着していた。インドヒマラヤから帰還した副会長2名も出席。定刻通り理事会を開催。レジュメに沿ってたんたんと進める。インドヒマラヤの遠征話の段では土産話で若干長引いた。その他は報告、審議事項もこの時期は少なくスムーズに閉幕。
 帰宅時には鶴舞駅前の居酒屋で3人が雑談で盛り上がる。こんな歳になっても一杯やれる時間は楽しい。

TSS例会2024年11月06日

 夜7時から定例会。7月から10月までの出席者は数名から10名未満だった。今夏は夜でも異常な暑さで参ったから出て来れなかったのだろう。今夜は12名が出席した。会員各自の家族の事情で中々時間が作れないのだ。
 今月は11月中旬の忘年山行の計画の説明、来年1月の例会は通常開催、会報発行とした。新年会は別途時間を設けることにした。他山行報告にもかなり時間を割いた。

燃えるごみを出す2024年11月07日

 月曜日に出し損ねた資源ごみ、燃えるごみのうち、燃えるごみは木曜日にも出せる。冷蔵庫の食べ残し、かびた保存食などを整理した。もったいないが忙しくなると外食が多くなり冷蔵庫の在庫を食う機会が無くなる。つい忘れて無駄なことになる。罪悪感が伴うが健康のためには捨てるしかない。

4歳のSちゃんと三ヶ根山へハイキング2024年11月08日

 姪の娘家族と西三河の三ヶ根山へ行ってきた。11/7の立冬は暦通り木枯らしが吹いて寒かった。今日もまだ寒気が居座っていて寒い。Sちゃんは大沢を起点に一周するコースを3時間ほどで歩ききってくれた。殉国七士廟からの下りで一部荒れた道を嫌がってパパさんに抱っこしてもらったが、舗装路出てからはまた元気に歩いてくれた。
 狙いは4歳児のSちゃんにアサギマダラの生態を観察させたいと思ったが、この寒さでもう南方へ飛んで行ってしまったのか一匹も観れなかった。またの機会に再訪させたい。

電話機、コピー機を買う2024年11月09日

 自宅の電話機が壊れてしまった。すでに引き込んである光電話に切り替えるいい機会が来たので、新しい電話機を買いに行った。ついでに前々から調子が悪い事務所のコピー機(兼ファックス機)も購入した。買い物額は膨らんで6万円にもなってしまったが先延ばししてきたんだから仕方ない。
 振り返ると今年は機械類が壊れたり劣化して買い換えた歴史的な年になった。6月末のクルマの買い換え、7月初旬の冷蔵庫の買い換え、11月の事務所のコピー機の買い換え、自宅の電話機の買い換えと続いた。
 永久的な機械は無いので必ず劣化、消耗で使えなくなるから買い換えが必須になる。偶々重なったのである。
 インターネットのプロバイダも乗り換えた。後はパソコンのインターネットの設定が控えている。事務所にも再度インターネットを引き込む予定だ。

名古屋市長選に立候補の広沢一郎氏の演説を聞く2024年11月10日

 ユーチューブには多数の動画がアップされている。その中で名古屋市長選に立候補した広沢一郎氏の演説もある。トラックの荷台に乗って、河村氏、百田氏、有本氏が雄弁をふるった。
 河村市政の功績は徒手空拳で市民に政治への関心を喚起したことです。為せば成るの心意気です。だから名古屋市では組織票と戦える本来の民主主義が生きている。河村氏が勝ち続けたごとく広沢氏も続け。