上海の梅雨懐かしく上陸す2010年02月20日

虚子五句集。昭和11年6月8日、朝7時半上海に上陸、と添え書きがある。
 その後の足取りは3/21にスエズに到着し陸路でヨーロッパ大陸の旅を重ねる。ドイツ、フランス、イギリスなどに虚子の弟子で商社マンが滞在しており世話を焼いたようである。4/22にはベルリンに到着、4/26はポツダム、4/28はロンドン、5/6はパリ、5/8はマルセイユに達し、再び箱根丸に乗船する。帰国の途についた。
 5/14にはスエズ運河を通過。紅海、インド洋を航海して上海まで来た。ここでも三菱商事の幹部らから歓待を受けた様子。大阪朝日新聞九州支社から帰朝最初の一句を送れとの電報の添え書きもある。虚子の一挙手一同がマスコミにも知られている。戦前の「ホトトギス」の存在感は大きなものだったといわざるを得ない。
 梅雨が懐かしいわけではなく、上海で活躍する一流商社マンを弟子に持つ虚子の人間愛であろう。3ヶ月ぶりに弟子たちに会える、という期待が篭っている。
 虚子の結社経営は実業家的な先見の明があった。最初から一流経済人が集まる丸ビルに本拠を構えている。現在でも丸ビル建て替えに伴って三菱ビルのような有名なビルに構える。箱根丸を有する日本郵船自体が三菱グループの源流の企業という。こうした豊富な人脈を頼って豪華な海外旅行を楽しんでいる。芭蕉の奥の細道も各地にいた弟子を訪ねたらしい。虚子は芭蕉を超えたという説もある。一家を成すことは大したものである。