春雪を玉と頂く高嶺かな2010年02月22日

野見山朱鳥句集「朱」から。野見山ひふみ編。ふらんす堂1992年刊。
 野見山朱鳥は福岡県出身で1917-1970と52歳で病死した。若い頃から胸を病んで入院をしていた人なのでこの俳句も登山して得たとは思えない。しかし、病気の合間を縫って旅を多くしたという。元気なときはたまに山へも登ったであろう。俳句上の交友関係には実践的な山岳俳人として知られる福田寥汀がいることもある。積極的な鑑賞をしたい。
 玉はタマと読めばリズム感のよい句になるが多分ギョクと読む。ギョクには宝石の意味がある。昨日登った虎子山の山頂一帯の雪面は宝石の粒をばら撒いたように朝日にキラキラ輝いていた。まさにこの俳句の通りである。
 高嶺は何も3000m級の高山を指さなくともいい。九州ならば阿蘇山や1700m級の脊梁山脈がある。正月に登ったことがあるがそこそこの積雪を見る。南日本だからといって雪山を想像するに難くない。
 山麓には雪はなくとも高い山に登ってみると頂付近には最近降った春の雪が積もっている。それがまるで宝石のようにキラキラ輝いて美しいことである。山麓からの諷詠ならば頂くよりも輝くという語彙が当てはまろう。
 人生の三分の一は寝て暮らしたという。病弱だった作者の珠玉のような一句と感じた。