遠祖に坂上田村麿 直参の旗本徳山氏の事2025年06月15日

 少し早めに出発した。目的地は揖斐川町交流センター。講師は田中 豊 で86歳、愛教大出身の元数学の教師だった人。今は古文書の解読を通じての歴史研究家として活動中。揖斐川町歴史民俗資料館の古文書講座の講師をしている。 
 根尾谷の奥の根尾能郷にある能郷白山神社の猿楽を拝見した。その舞台の奥の垂れ幕に大野郡 徳山云々との染め抜きの印刷があった。本巣郡なのになぜ大野郡なのかの疑問があった。
 以前に揖斐川町歴史資料館を訪ねた際に大きな絵図で根尾川の右岸が大野郡と判明した。
 講座のメモ書きを列挙しておく。

 徳ノ山五兵衛 元の名前は坂ノ上だった。 
 勅許で変更  勅許は天皇への上納金で下される

 NHK 豊臣兄弟 異父兄弟
 初婚  秀吉 北の政所 やや 古文書 県庁図書館
 再婚  秀長 

 作家は百姓より 出世をさせて 面白がらせる 

 公家上がり
 歴史の真相 古文書の存在  無いものは想像の産物
 古文書とて100%正しいとはいえない

 征夷の夷人 アイヌ人
 中国 漢民族 中華思想 世界の中心
 馬鹿にした
   東夷・・・京都からみて、東国の人、特に無骨で粗野な東国武士をあざけっていった語。東夷 (とうい) 。

   南蛮・・・古代中国では、四夷(東西南北の異民族)の一つとして、南方の異民族を蔑んで「南蛮」と呼んでいました。
日本での意味の変化:
戦国時代以降:ポルトガルやスペインといったヨーロッパ人が日本にやってきて、彼らを「南蛮人」と呼ぶようになりました。
南蛮貿易:南蛮人がもたらした鉄砲やキリスト教、そして彼らとの貿易を「南蛮貿易」と呼びました。
南蛮文化:南蛮人が持ち込んだ文化や、彼らが好んで食べる食材も「南蛮」と呼ばれるようになりました。例えば、ネギや唐辛子、油を使った料理などが挙げられます。

   西戎・・・せい‐じゅう【西戎】
青海・甘粛地域に住んだトルコ族・チベット族、または広く西域の住民をも含めた。 転じて、西方の異民族の称。 西方のえびす。 また、日本では、広く、野蛮人、朝敵をもいう。

   北狄・・・「狄」は、古代中国で北方民族を指す言葉で、野蛮で未開な存在として見なされていました。
夷狄:
「夷狄」は、東方の夷と北方の狄を合わせた言葉で、四方を囲む異民族を指す総称として使われることもあります。
四夷:
「四夷」は、東夷、西戎、南蛮、北狄をまとめた言葉で、中国の四方を囲む異民族を指します。
歴史的背景:
古代中国では、自国を文明の中心とみなし、周囲の民族を野蛮な存在として差別的に見ていました。そのため、「狄」や「夷狄」といった言葉は、そのような差別意識を反映しています。
現代:
現在では、歴史的な文脈以外で「北狄」という言葉が使われることはほとんどありません。

 日本人は感性、情緒優先

 吉田松陰 テロリストを育てた 歴史の裏と表

 流罪  根尾谷の最奥の越波(おっぱ)
 沢田ふじ子『けもの谷』では流罪の場所として設定されている。
 歴史的にも身分の高い人ほど山奥へやられるらしい。
 能狂言もなぜあんな耕地もほとんどない狭い地域で継承されてきたのか、というと高貴な身分の人たちが集団で流刑地になったのか。

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ヒント:芙蓉峰の別名があります。

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