設楽原歴史資料館に岩瀬忠震を訪ねて2025年06月01日

 5/31の午前中に足助の黍生を登ってからR420、R257経由で新城市に向かった。以前一度は訪ねたことがある設楽原歴史資料館が目的だった。
 まずは入口の前に建つ岩瀬忠震のブロンズ像の撮影を済ませる。館内に入って学芸員に岩瀬忠震のことを尋ねたら色々解説してくれてパンフレットも頒布しているので1冊購入(300円)した。
 解説された中で、安政の大獄で蟄居の理由は将軍の継承問題に巻き込まれたことと言われた。日米修好条約は岩瀬が自主的に進めて良いとの言質を与えたのにそして尊王攘夷派を退けて天皇の勅許なしに条約を成立させた。それなのに蟄居とはの疑問がこれで解消された。
 井伊直弼は歴史に残る大仕事をしたが勅許なしで進めてしまったことで尊王攘夷派の不満が高まる。
 これを抑え込むために安政の大獄を断行する。日本大百科全書は「1858年(安政5)江戸幕府の大老井伊直弼(いいなおすけ)による尊攘運動(そんじょううんどう)への弾圧事件。幕末の尊攘運動に一時期を画した政治的事件」。
 そして2年後、「桜田門外の変は、幕末の1860年(安政7年)3月3日に、江戸城の桜田門外で、江戸幕府の大老である井伊直弼が、水戸藩・薩摩藩の脱藩士らに襲撃され暗殺された事件です。この事件は、幕府の「安政の大獄」と井伊直弼の政治に対する反発が原因とされています。(AI)
 このような大混乱の幕末に陰乍ら日米修好条約締結の功は高評価されないまま死没する。
 愛知エースネットの年表から
<年譜>
1818年 (文政元) 設楽氏の三男として新城に生まれる
1840年 (天保11) 岩瀬市兵衛忠正の養嗣子となり長女と結婚
1843年 (天保14) 26才のとき幕吏登用試験に合格
1858年 (安政5) ハリスと交渉し,全権の一人として日米修好通商条約調印
1859年 (安政6) 前年から始まった安政の大獄により免職となる
1861年 (文久元) 44歳で病没
 設楽原歴史資料館を辞した後は近くの勝楽寺へ向かった。この寺は設楽原で戦死した武田方の将兵の位牌が安置されているそうだ。岩瀬忠震が生まれた設楽家の菩提寺ともいう。そして大きな顕彰碑も建立されて地元の手厚い顕彰ぶりは素晴らしい。
 その後は御津町上左脇の岩瀬家の墓に詣でたが探し切れなかった。GPSでも場所は特定できたが廃寺ということで地元の農家で聞いても首をかしげる。また訪ねよう。帰路は全面開通したR23御津金野ICから渋滞気味の道路に合流した。西尾市の二車線からは快適に走れた。

法定相続情報一覧図受領2025年06月02日

 今朝から役所、銀行、郵便局などをめぐる雑用。まずは法務局名東出張所へ行って相続情報一覧図を受領。これで銀行預金の解約、相続登記、不動産売却に進める。関門を突破。一方で被相続人の不動産の遺品整理も月内にやることが決まった。売却交渉が進展すれば換金は早いかも知れません。
 本代、結社の会費、山岳会の会費を送金した。通帳記入すると自動車税も振替が今日の日付で落ちていた。郵便通帳も自宅の固定資産税が振替済。何時も5月から6月は多額の出費で悩ましい。
 他方、早い早いと思っていた建設業の事業年度終了届の勧誘も連絡する必要がある。今年は5年に1回の更新と重なる。これは早めが良い。
 別にマイカーの車検の見積もりに行ってきた。法改正で今年から2ヶ月前からできるそうだ。削って削って約11万円程度だった。更に自賠責をJAにすると任意保険とのセット割引で7%もカットできるとの案内のはがきも来たので問い合わせた。車検は8/4だが資金繰りの関係で6月末になる。

長嶋茂雄氏6/3逝去2025年06月03日

ヤフー記事から
「「ミスター・ジャイアンツ」「ミスタープロ野球」として知られる野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんが、6月3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した(享年89)。」

山岳会の例会2025年06月04日

 夜7時から例会に出席。今日は8名のみと少ない。ついに高齢者ばかりの現実。会計からヤマケイへの広告費をもらって出稿することにした。
 また5/18のアムスカの総会の報告も時間をかけた。前期からは一年を通じて法人成り後の活動になったこと。しかし40団体と激減している現状打破。現在は愛知県からの受託事業が中心で自主的な事業が少ない。もっと一般市民に呼び掛ける事業展開が望まれる。
 自分自身がこの会に入会したのは一般向けの夏山登山教室で槍ヶ岳へ行ったことが大きい。説明会でどこかいい会はないか、問い合わせて出て来た会だった。
 夏山フェスタでも未組織の登山愛好者の来場が半端ない。特に各種セミナーでは整理券を配るほどの人気がある。山に登りたい、登山技術や山の事を知りたい、とういう需要は無限にある。
 今西錦司はそこらの山に登るのに技術というほどのことはない。だれか適当な人を師匠にして学ぶことである、と書いている。小さな山岳会に入って人付き合いしながら学ぶことが自然であろう。

遺品整理2025年06月05日

 午後から市内某所のマンションで遺品整理に立ち会った。4月初めの相続の相談から始まって、戸籍謄本収集、法定相続情報一覧図の申請、受領ときて不動産の売却の段取りまできた。確かに高齢者の一人住まいなのでゴミ屋敷化していた。死亡直前に施設に移ったので宅内での孤独死は回避できた。そうなると特殊清掃になり費用も跳ね上がる。月内に整理できる見込み。

預金の解約2025年06月06日

 6/5に被相続人の預金通帳などを預かった。今日は大手銀行、地銀2行を回った。大手は支店では受け付ける仕組みにはなったおらず、WEBから出直せと、いうのですぐ退却。地銀は2行とも基本的な書類を受け付けてくれて後は本店からの書類が郵送されてくるから作成して送り返す仕組みだった。大手は敷居が高い。

プリントアウト2025年06月07日

 建設業事業年度終了届のデータをプリントアウト。続いて愛知県のHPから終了届の様式をダウンロードして段取りを整えた。後は決算の数字を千円以下を丸めながら転記すること。これで70%くらいは進捗するのだが入力ミスが入りやすいので容易くはない。

俳句の原稿を書く2025年06月08日

 毎月連載の俳句の原稿を書く。今回は山の名前が入っているのでネタにし易い。しかも歴史的にも名高い山だからすぐに原稿は埋まった。後は推敲して送信する。

大手銀行の相続手続き2025年06月09日

 先週は大手銀行から預金解約に動いたがWEBからしか手段がなかった。大手は次々と支店を閉鎖していったから窓口がない。ところが地銀の方が経営は大変なはずなのに窓口の受付を残している。いずれも本店に送ってその後こちらに送って来る書類作成で完成する。大手は電話で対話しながら書類をこちらに送ってくるという。面倒さはどっちも同じだが地銀の方が取り組みやすい。
 というわけで朝一から大手銀行とやりとりして初期の手続きを終えた。

支部報編集会議2025年06月10日

 連載の人物は原武にした。創立前に鹿島槍の北壁で遭難死した若いアルピニストだった。関係者で遺稿集が編まれ、その後『北壁に死す』が山と渓谷社から出版された。相当に枝葉は落とされているが深田久弥の序文まである。よほどの人脈がないと寄稿してもらえないだろう。