小便の色は正常に戻る2024年02月08日

 今朝一番で泌尿器科へ走ろうと思っていたが早朝には正常な色に戻っていたのでほっとした。なんだったんだろう。
 夜は久々にスーパーに行って、白菜の漬物や滅多に口にしない梅干し、果物、野菜等を買い込んだ。忙しいと肉類などに傾きがちで酸性体質になっているのだろう。少しはアルカリ質の食品でバランスを取りたい。
 相続人にはレターパック520で確定申告に必要な売買契約書などを送付した。少しづつ肩の荷が下りる感じがする。

公益法人のガバナンスと危機2024年02月06日

 山岳会の上部団体が財政危機と報告された。昨年末に初めて公表されたがここにきて詳細が明らかになってきた。一体何があったのだろうか。
 『失敗の本質』は日本軍の敗戦に至る原因を失敗と見立てて原因を究明した書籍でベストセラー且つロングセラーになっている。 本書では6つに要約された。
ソース:https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6997
『失敗の本質』の
ポイント1:6つの失敗から学ぶ日本軍の特徴
日本軍は、全体として戦いの
①目的が不明瞭でした。各作戦において、行き当たりばったりに戦闘したり、目的が二重性を持つ(2つの戦略目的を持つ)ことになってしまったりと曖昧な目的だったため、統一性のない戦闘がおこなわれてしまったのです。

一方の米軍は、仲間内で議論を重ねて検討を進めた後に、目的をはっきりさせて動いていました。

ポイント2:異端・偶然を排除した結果の硬直化
日本軍には、「異端や偶然を排除する」という性格がありました。
②すべて人を同じ方向へ向かせ、異なるものは刑罰を与えたり排除する。当時の日本が「戦争一色」だったことを考えると、確かに、とうなずいてしまえる特徴です。

しかし「異端や偶然」は、自分たちの方向性を見直すためのものでもあります。自分たちの向いているもの、目的が果たして正常なものなのか。それを考えるきっかけが「異端と偶然」です。

しかし、日本軍はそれを徹底的に排除してしまっていたために、盲目的に組織が目指す目的を疑わずに行動してしまっていました。これは、組織の方向性の修正だけでなく、新しい考えも生まれない、つまり組織のイノベーションが起きないといった問題をも生み出してしまう考え方なのです。

ポイント3:環境の変化に適応できるかが勝敗を分ける!
日本軍と米軍は、環境の変化に対応したかどうかでも、違いが表れます。

③日本は初期の成功体験を信じ続け、また上層部の硬直した考え方で、戦略らしい戦略をとらず、戦術を重視した戦法を取り続けました。その結果、ガダルカナルの戦いで戦力を大幅に喪失した日本軍は、その後は負け続けてしまいます。

一方米軍はというと、日本軍の戦法を常に研究し続け、学習し、それを加味した対策・作戦で日本軍を圧倒していきました。新しい戦法を生み出し、トライ&エラーを続ける彼らの変化に、日本軍はついていけません。

日露戦争で勝利を収め、近代国家の仲間入りを果たした日本は、当時の勝利をひきずっていたのです。「白兵銃剣主義」「艦隊決戦主義」を過信し、新たな武器や兵器、戦闘機の発達に遅れをとりました。実際にこの戦争の決戦では、必ずしも白兵戦や艦隊戦が重要ではなかったのです。

日本軍は航空機や燃料の発達により、壊滅的な被害を受けました。空軍より海軍を重要視したため、米軍に遅れを取ったのです。

このように、日々進化していく科学技術や、相手の戦略に柔軟に対応することが、勝利の分かれ目となっていました。

ポイント4:成功体験にとらわれないイノベーションの重要性!
過去の成功体験にとらわれていては、イノベーションは起こりません。

先ほども説明したように、日本軍は日露戦争の勝利を、この戦争でも引きずっていました。また、最初の半年の勝利によって、それらの成功体験はやはり正しいのだと、過信を助長させてしまったといえるでしょう。

④そのため敵の戦力を過小評価し、一度失敗しても「過去に成功したのだから、運が悪かっただけだ」のように思ってしまうことが多かったのです。その間にも、米軍は日本軍の戦術を着々と研究し、自分たちの失敗も成功も改良し、次の戦いに備えていきました。

そもそも日本軍は、すでに模範解答が用意されており、それに向かっていく教育がなされていたのです。そのために、従来どおりの行動をし続けてしまうという弱さがありました。

過去に成功したからといって、それに甘んじているのではなく、相手が成長してくることも見据えての戦術や科学技術の開発、さらには組織としてのあり方を疑問視するようなイノベーションが起こらなかったというのも、日本軍の敗北要因のひとつでしょう。

ポイント5:学習スタイルの違いから学ぶ自己革新力の鍛え方!
では、成功体験を引きずらずにイノベーションを起こし続けるには、どうしたらいいのでしょうか?

⑤組織や自己が変わって進化し続けるには、自己革新力が必要です。これを身につけるには、まず「自己否定」をすることから始まります。そもそも成功にとらわれていては、自分を否定することはできませんよね。

本作では、日本軍と米軍の学習スタイルが異なることを例に挙げて説明しています。日本軍は「シングルループ」、米軍は「ダブルループ」といったスタイルです。

シングルループは、目標、問題構造が変わらないという認識を持ったうえで進める学習プロセスです。一方ダブルループは、学習の目標、問題そのものが本当に変わらないか?という疑問を持ったうえで、再びその問題を再定義したり、変更することもいとわない学習となります。

環境は、常に変わっていくもの。それを念頭において絶えず変化する現実、現状を見つつ、どんどんと見直していくスタイルが、ダブルループなのです。これだけの説明でも、米軍の学習スタイルが日本を上回っていたのだ、と理解できるのではないでしょうか。

人間活動でも自然活動でも、環境は常に変化していきます。特定のコト・モノに固執せず、柔軟に物事を考えなければ、自己革新はままなりません。どんなときもダブルループの考え方で取り組むことで、イノベーションは起こっていくのです。

ポイント6:現場を知らない指揮官の危険性!
⑥職場で、現場で営業している部下と上司の見方が食い違う。そんなこともあるのではないでしょうか。現実はこうなのに、上司はわかってくれない……そんな体験はありませんか?実はこの太平洋戦争のときも、そういった剥離が起こっていたのです。

先に説明した山本五十六は、新しい作戦を提案して実行するなど、確かに革新的な指揮官でした。しかし、個人の知識に頼ってしまった彼は、現場から帰還してきた部下と対話などせず、現場がどういうことになっているのかをあまり理解せずにいたのです。

それはつまり、結局は彼の頭の中だけでの計算にしかすぎないということ。そのなかでうまくいっても、実際に動く兵たちがどのように感じ、どのように行動し、また相手がどのように反応するかということを、報告を受けたうえでブラッシュアップするなどは、おこなわれませんでした。

上官が絶対だった日本的組織は、上官が現場を知らないにも関わらず、盲目的に上からの言葉を信じるのみだったのです。現場とそれが剥離している状況にも関わらず、です。

対話のままならない指揮官では、状況を好転させることは難しいといえるでしょう。

ポイント7:「空気」に左右される日本人気質の罠
今の日常でも、「空気を読む」という言葉は頻繁に使われますよね。旧日本軍も、そういった「空気」に左右されていたのです。

沖縄戦への戦艦大和出撃は、当初反対されていました。それは作戦を検討した際、大和が出撃しても意味がないという結論に至っていたからです。

しかし、それは参謀の一言で、出撃決定、とひっくり返されてしまいました。冷静に考えれば、兵員の犠牲や成功率などを重視しなければいけない場面であったにも関わらず。

なぜ、このような「空気」に左右されてしまうのでしょうか?

それは、まず1つ目にサンクコスト、つまり今までの犠牲を取り戻すために、さらに損害を重ねてしまうことが原因と考えられます。さらに説明すると、ずさんな計画を立てて多くの犠牲が出て、もう取り戻すのは不可能と思えても、それでも固執してしまうという状況です。

たとえば「次の台で出るかもしれない」とパチンコを続けてしまう考えと同じといえるでしょう。

さらに戦況が苦しく、打開する策が見つからない、何をしてもうまくいかないときは、現実を認められずにむきになってしまいます。冷静に考えることができなくなるのです。

そして、それは日本の「精神論」的な考えにもつながり、「やる気」「積極性」といった目に見えないもので評価される人事制度を助長したのです。

⑦上下関係が絶対だった日本軍では、部下の意見などを取り入れられることは、ほとんどありませんでした。そして上層部からの命令に、盲目的に従ってしまいます。

このような「空気」が日本軍を支配し、無謀ともいえる戦いに大きな犠牲を払ったのです。この「空気」は、現代社会にも少なからず存在するものといえるでしょう。

ポイント8:現代の日本とも共通する!?権威主義のリスク!
日本人的気質は、今も昔も共通しているのではないでしょうか。

目的が抽象化して具体案でないこと、何のための会議なのかわからないけれど上層部の判断に任せておこなわれること、人間関係や場の空気が尊重されること、結果よりも上司へのやる気の見せ方やプロセスなどが過剰に評価されること、声の大きい人の意見がとおってしまうこと……。

⑧現場との意思疎通が難しく、上層部が現実を見ず、過去のデータや成功体験に固執してしまい、変化に対応できないことなど、どこをとっても現代の組織の問題点にも通じます。

つまり、ここで書かれている失敗の本質は、「日本軍の組織的研究」でありながら、日本人の現代の組織の失敗の本質を説いているともいえるのではないでしょうか。

組織として上層部に権威を与え、そこを重要視していく日本的組織は、以前の日本軍のような失敗をする可能性をはらんでいるといえるのです。

・・・・・とてつもない巨額の赤字が出てから問題視される。予算統制が出来ていない。あるカネでしか執行できないはずが借金してまでやっている。どこかに無理がある。日本軍の敗戦と同様である。

民法研究会に出席2024年02月02日

 およそ三年ぶりに行政書士の同業で自主的な勉強会に出席。顔ぶれは半分は入れ替わっていた。わずか3年で知らない人が半分はいたわけである。
 テーマは『家族法』をテキストにして配偶者居住権であった。ほとんど最終章であった。私が欠席する前はこのテキストの半ば位であった。その間は任意の山岳団体の法人化と相続業務に追われていた。余りに多いので減らしたわけだ。法人化はボランティアであるがWEBミーティングはPCの前に座るのでさぼることができにくい。
 法人化は昨年10月に終わった。相続も12月末に成就して送金できた。多額の他人のカネをもって年を越したくなかった。
 明けて2024年は少しは肩の荷が下りたがまだ継続的な仕事はある。そろそろ再開である。

事務所の新聞紙整理2024年01月30日

 事務所に山積していた新聞紙をようやく片付けた。お金を出して買ったのだから目を通してから処分する。日付は1月4日以来だった。その間読んでいなかったわけだ。喫茶店では中日、朝日、毎日、週刊誌などを読んでいるが自宅での購読紙は読み切れないというぜいたくな悩みであった。

料亭 河文で新年会2024年01月26日

 今夜は中区丸の内にある料亭河文で中央支部の新年会である。出席者は88名と盛大であった。円卓で落ち着いて料理を食べるのでホテルの立食式よりは良い感じである。
 これまで数回の新年会をこなしてきたが同じ支部が一番フレンドリーで楽しい宴会になった。
 ところでこの河文の歴史はとググると

「400年続く、名古屋最古の料亭 河文
江戸時代は名古屋城築城のころ、“碁盤の目”が作られていく名古屋の街に、清須越しで移り住んだ河内屋文左衛門(かわちやぶんざえもん)。
 魚屋として創業し、後に尾張徳川にその目利きを認められ、仕出し、料理屋として歩みながら、歴史を紡いできました。
 江戸から続く、市内で唯一の料理屋。名古屋で最も長い歴史を持ちます。
 受け継がれる伝統を大切に、時代に合わせて挑戦しながら、新しい文化を生み出しています。」

 なるほどここは清州越しの店だった。相当に古い。屋敷の構えも江戸時代の面影を残しているのだろう。

会計不正はなぜ起きるか2024年01月23日

 昨年6月に上部団体の決算で巨額の赤字が公表された。公益社団法人には収益源は補助金、構成団体からの上納金(会費)などで経営規模は小さい。ビジネスで動いている訳でもない。カネがないのになぜ使えるのか。関係団体に唆されて使われたのか。幹部がマネロンに利用されているんじゃないか。疑いは尽きない。
 そんなわけで役員数名がWEBミーティングしたが重い課題に隘路を打開する道筋は見えてこない。

片づけ2024年01月11日

 午前中は昨夜の宴会疲れで休養が長引いた。午後から喫茶店へ行き、丸の内へ行って片付け仕事。プラごみ、タオルの回収など余り身が入らず。FAXを整理していたらコロナの間は久しく研修もお休みだったので今月後半は行くことにする。新しい仕事のタネを作らねばなるまい。

賀詞交歓会&例会2024年01月10日

 10日は金山駅前のホテルで16時からの愛知会の賀詞交歓会に出席。大村知事、河村市長ら来賓多数。自民党の政治家はあいさつを短く切り上げていた。裏金やらキックバックやらで問題山積なので話すことも限られる。18時30分頃お開きとなった。
 その後山岳会の例会に移動。金山駅から東別院で下車、中生涯教育センターへ。60周年記念誌の発刊の件で話し合う。

相続金を送金完了2023年12月25日

 午前中に近場の銀行から送金手続きを執った。3名の相続人には銀行振り込み、協力者の3名には現金書留で送金した。ところが送金手数料はすでに相殺した上で送金額を計算したことを思い出したので慌てて送金料をプラスして振込用紙に記載した。寸前まで何が出てくるか分からない。
 エクセルの表計算機能をを駆使して作成したが%で出す場合の小数点以下の丸め方を忘れていた。だから電卓でも計算するが1円の違いが出てくる。それらを修正しながらようやく完了したわけである。2019年以来表計算から遠ざかっていると細かいことは忘れる。
 相続の計算資料を同封してそれぞれに中郵便局から郵送した。夕方になってコメダでほっと一息した。
 自分用の口座へも売上相当額を振り替えた。わづかであっても利益は自営業者の懐を癒す。
 この金で
①本棚の新調                         4万円
②プリンターの更新                     5万円
③夏用のタイヤの新品への交換            4万円(4本)
④旅行費用・・・スキー行、名山紀行、観光など   10万円
⑤車検                             10万円
合計で33万円にもなる。やっぱり稼がなくては。

ストーブや相続で夜も遅くまで 拙作2023年12月24日

 22日に送金したかったが書類作成に手間取って、23日も24日も続けて、ようやくまとまった。今日もエクセルで作成中の表の小さな訂正を繰り返すうちにセルに埋め込んだ計算式が壊れたかに思った。落ち着いて丁寧に最初からやり直してようやく出来た。送金は25日になった。