『40代で「執着」を手放した人、手放せなかった人の決定的な差』2021年10月20日

40代で「執着」を手放した人、手放せなかった人の決定的な差
https://news.yahoo.co.jp/articles/6069250982fd3ede2e74e45463fcbcd908d7eec4?page=1

40代にもなると、自分の心を乱す執着はなにか?ということへの気づきが大事になってきます。執着を手放していくと、生き方が楽になることが多いという。※本連載は松尾一也著『40代から深く生きる人、浅く生きる人』(海竜社)の一部を抜粋し、再編集したものです。

人間学という学問の頂上で出逢うものの正体
▼浅く生きる人=根源的信頼と出逢えていない

私なりに32年間、学び続けた人間学という学問の頂上で出逢うものの正体は「感謝と祈り」に尽きると思います。

宗教、哲学、人間学、諸々の書籍や講演録、あらゆるもののコンクルージョン(結論)は感謝、そして祈りを伝えています。

それこそ、無数の人生という登山ルートをおのおのが登りつめて、最後に頂上で出逢い、気づくことは「ありがとう」と「根源への祈り」を感じている気がします。

これは人種、性別、国籍、時代を問わず共通した理念です。

その根源的な信頼(Radical trust)を得られたとき、人は本当の幸せを感じる生き物なのです。「あぁ、生まれてきてよかった」と思える回数が、人生の本当の成績表なのかもしれません。

一度執着の調整をして身軽になる
▼浅く生きる人=つかんだものは離さない

「世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」古今和歌集
(この世で一体なにが常に同じ状態であるだろうか、飛鳥川でさえも昨日は深い淵であったのに、今日は浅い瀬になっている)
 
40代はまだまだ若いので諸行無常観はわかないものでしょう。

そのバイタリティーでなんにでも挑戦していってもらいたいものです。

ただ、夢を抱き、大いなるチャンレンジをするかたわらで、いやおうなしに習得せざるを得ないことがあります。それは、執着を手放すということです。

人間、煩悩がたくさんあるのであれも欲しい、これもしたい、これも叶えたいとてんこ盛りになるものです。

ネットやテレビを見ていると、世界各地のリゾート地のレポート、車の新車情報もウットリさせますし、夜景のキレイな広いマンション、はたまた緑に囲まれた別荘……、とやりたいことや欲しいものは限りありません。

私もバブル期にオーストラリアの美しいヘイマン島を訪れて、コテージをほぼ貸し切りで、昼はマリンリゾート、夜はワインを飲みながらのイタリアンという、夢のような思い出があります。

今も長期休暇をとったり、貯金を使ってまた行ける気もしますが、現実はなかなか自由に行けないものです。

また、40歳を越えたあたりから、少しずつ心身の衰えを感じてくるものです。

顔のハリがなくなりシワが増えてくる。

髪のボリュームが減ってくる、白髪が増えてくる。

若い頃ほど食べていないのに太りだす。

人間ドックの検査でどうしても引っかかる項目が増えてくる。

両親がいつの間にか年老いてくるさまも気になります。ましてや大きな病気をするとショックを受けるものです。なにか薄皮をはがされるような喪失感に襲われてくるのも40代です。

自分の心を乱す執着はなにか?ということに気づくことが大事になってきます。

そんなときは「これはそろそろ卒業なのかな」「潮どきなのかな」と執着を手放していくと、生き方が楽になることが多いです。

なんでもかんでも思いのままは無理です。まわりを見回すと、みんながみんなすべてを手に入れているわけではないのです。一度執着の調整をして身軽になり、そこから次の可能性を信じて、リスタートを切れるのが40代の特権なのです。

尊敬する人を持つ尊さを味わう
▼浅く生きる人=人を尊敬できない

私の青年時代に、読書家だった父が愛読していたのが当時、上智大学教授だった渡部昇一先生の書物でした。

長じて私は起業して、各界の第一人者を招いた講演会シリーズを企画開催しました。

その目玉としてテレビの討論番組でも大人気で、ベストセラー作家でもあったその渡部昇一先生に三顧の礼を尽くし登壇をお願いしたのです。

快諾いただいたときの感激が、今なお講師依頼をやり続ける礎になった気がします。

以来、定期的に講演依頼を受けて下さるようになり、ご家族の記念パーティーにも招かれた思い出があり、ずいぶんと可愛がっていただきました。

箱根に講演旅行へ出かけた往復の車中、2人きりでたっぷりとお話ができたことは人生の宝物と言わざるを得ません。

「松尾君ね、人生も90歳を超えるとお釈迦様もキリスト様もいらなくなるようなんだよ。うっふふふ!」とあの慈顔で笑いながら語ってくれました。

その後、私が書いた『トップリーダーが実践している奇跡の人間育成』(きずな出版・2016年)をお贈りした折も、お忙しい只中にもかかわらず自筆の感想文をいただきました。本当に深く、優しい人でした。

その「知の巨人」と呼ばれた渡部昇一先生も2017年にお亡くなりになり、悲しい思いとともに、渡部昇一先生と出逢えた喜びとまさに人生の師と仰ぐ思いでいっぱいとなりました。

本稿を執筆している最中に、奇遇にも本書と同じ海竜社から『明朗であれ 父、渡部昇一が遺した教え』というタイトルの本が私に届きました。

渡部昇一先生のご長男でチェロ奏者の渡部玄一さんが父の教えをつづった追悼エッセイ本です。

あの博学で超人的大活躍をされた渡部昇一先生が大切にされたことは、明朗であること。

自分の運命を愛し受け入れること。

人生を善きものだと信じること。

まさに生きる基本です。この本を読み、私は本当に素晴らしい人を慕って生きてきたなぁと深い感慨に浸りました。尊敬する人を持つ尊さをぜひ、味わってほしいものです。尊敬の念は人の思いを深くさせます。


松尾 一也
株式会社ルネッサンス・アイズ

・・・若くして、地位が高い、若くして高収入を得てしまった人は、その環境が無くなっても地位やカネに執着しがちになる。
 老人介護施設に勤める人の話では地位の高かった人の末路はあはれだという。上から目線が抜けきれないのだ。ぐずられた時は「社長!」とか叫んであげるとシャキッとするらしい。尊敬と威厳を取り戻したい執着があるのだろう。これは悲劇ならぬ喜劇でもある。