出羽三山の話 ― 2021年10月12日
開山は真言宗だったらしい。ところが政治の力で天台宗に改宗した。しかし湯殿山だけは真言宗に拘った。すると月山から湯殿山へ行かなくなる。信者数が減ると収入も減るから、今現在を比べても羽黒山周辺の解放的雰囲気と違って寂しい感じがする。羽黒山周辺には宿坊も並び栄えたことであるが、湯殿山は参篭所1ヶ所しかない。
by koyaban [歴史の山] [信仰の山] [コメント(0)|トラックバック(0)]
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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