考える人『人は山に向かう』を買う2012年01月19日

 新潮社の新趣向の雑誌がある。基本の誌名はなんと「考える人」という。書架を眺めるとNO19の「小津安二郎を育てたもの」、No37の「梅棹忠夫「文明」を探検した人」がならぶ。
 今回は表記の名前の雑誌を買った。NO39を数える。これも気になる人と論考があって思わず衝動買いした。
 まずは今西錦司の地図の美学、次は「ヤマケイの上にも80年」で副題として-山と溪谷社の伝えるもの-となっている。
 「いちどでいいから「ヤマケイ」に載ってみたい」こんなことばを、よく耳にします。物書き、写真家、いずれにしても山に登る人ですが、山の雑誌は多々あれど『山と溪谷』誌は特別云々と書き出して思わず首肯させられる。筆者はもうその思いは達しているからそうかそうかと引き込まれてしまった。
 若い書き手には登竜門となっているのだろう。先日の山岳会の新年会でも投稿記事を読んでくださった人からどうやって掲載してもらえるんですか。と質問されたこを思い出す。
 JACの「山」の編集者である神長幹雄氏が「遭難文学案内」をまとめて案内している。様々なスポーツで死亡事故が文学にまで昇華するのが山岳分野だけの特異な現象と思われる。同氏は元山と溪谷者の社員だったから他にも健筆を示す。
 ほかには「岳人」の編集部に所属する服部文祥氏の「死にかけた場所へ」-リスクの強度という永遠の命題-は命を掛けた文章として迫力がある。
 リスクとは一般的には危険の意味にとられる。
 検索してみると意外にも「事業家にとって「危険を冒す」ことと「日々の糧を稼ぐ」ことは同じことを意味している。リスクという言葉が、語源的には「今日の糧を得る」という意味のアラビア語から出ているのは決して偶然ではない。- P.F.ドラッカー」という言葉がヒットした。
 アラビア語が語源というのは意外であるが以前に株式投資の本の中で読んだ記憶がある。ここぞとばかりに大金を投資(投機)していたらいつかは暴落でやられる。それよりは身の丈にあった投資で稼げ、という趣旨だったと思う。まさに日々の糧を得るということだ。生活のためだけならそんなに大金がいるわけじゃないという教えである。
 今日の糧を得るということは同氏のもう一つの登山のモチーフとなったハンティング=狩猟に結びつく。
 ともあれ滑落の体験にもとずく文は観念性を排除する。富山県のあるHPには遭難した登山者はなぜ元に戻るか、という命題があった。そしてその登山者は大抵、同じ場所で再び遭難するという。二度目は死亡する。確かにそんな事例は多くは無いがあるにはある。例えば冬の伯耆大山で九死に一生を得る生還を果たしながら同じ山で遭難死したTという登山家がいた。
 文中には「聖沢の事故現場を見たいのは検証のためというよりは、自分が犯した致命的に近いミスに興味があったからだった」というがそんな登山をしていたらいつかは死ぬ。
 JAC東海支部の支部報NO128(2012年1月発行)に橋村一豊氏が『絶対に死なない』-最強の登山家の生き方-(講談社)を書いた故加藤幸彦氏の追想文の中で加藤さんの登山論には賛成できないと反論している。
 「高難度、高高度登山をやってきた私達にとって」は違和感がある。と述べて「あの時はよく切り抜けられた。神の助けであるとと思わざるを得ない様な場面が長い登山歴にはいくつもあった」と9例の落命しかかった体験を述べている。そして彼が挙げる優れたクライマー10名中7名は死んだという。困難の克服や危険の回避などという一般論で安全登山を全うすることはできないと結論付けている。神の助けはきわめて重要と痛感している。
 恐らく服部氏の聖沢滑落事故からの生還も神の助けがあったというべきだろう。登山家は高いリスクの登山じゃないと生きている気がしないのか。強度が高ければ高いほど高揚感があるのは理解できる。K2を目指しながら涸沢で雪崩で死んだT氏からもそういう感想を聞いた。登山家の宿命だろうか。
 「岳人」2月号の岳人時評の中で江本氏が服部の新刊『狩猟文学のマスターピース』を紹介。丸善でもまだ見ていない。リスクとは日々の糧を得ることであって死に行くことではない。狩猟もリスクは高いが命をつなぐための営みだ。登山家の自己満足のためのリスクとはえらい違いだ。
 ほかにも山折哲雄氏の「柳田國男、今いずこ」も面白いがまた後ほど続きで書こう。