ヤマケイ文庫『「復刻」山と溪谷』2011年12月01日

 文庫本全盛の時代。場所をとらないから便利であり、よく購入する。丸善名古屋店の山岳書コーナーをのぞいたら平積みで眼に留まった。
 これは実は創刊号であるから雑誌を文庫化するとは面白い発想である。しかし読みたかった雑誌である。
 山と溪谷社の創業者・川崎吉蔵は昭和4年早稲田大学を卒業するも就職先はない。小津安二郎の映画『大学を出たけれど』の時代である。しかし、彼はこの機会にと山岳専門の出版社を創立した。同級からは俺たちは給料をもらう身分だがお前は払う方だから偉い、などと賞賛されたという。
 彼が創刊に当たって掲げた信条は
1、山岳界の優秀な人々の文献を載せる
2、発表機関のない真面目な人々の研鑽の場の場とする
3、正しきアルピニズムを認識する
4、<ヤブ山のみ><高山峻岳のみ>を山だと信じる<小児病患者>を排する
ことという。
 この創刊号はよく売れて増刷したという。初版は4日で売り切れ、三版も1週間で品切れ絶版になったという。大きな反響をもたらしたのだ。
 以来80余年。経営難から経営権は他社に譲渡され川崎家を離れた。写真製版のきれいな雑誌であるがおそらく広告収入減であろう。読者層と編集者のミスマッチはしばらく続く。
 山歩きが地についたレジャーとして一般大衆に周知されているが雑誌に対する要望が変化しているのだ。それはおそらく東京中心編集主義であろうか。これの克服がカギ。

藪山・焼山遥か2011年12月02日

阿木川源流の山々
阿木川源流の山々
 笹ヶ峰と名づけたいような女性的な山容であるが藪漕ぎの末に追い返された。愛想はいいが気位の高い女性に振られたような気がする。

左から小さなコブが1630mで山腹に切り分けがある。これは谷に下る。
次に樹林に覆われたコブが1650mである
中央の若干高い盛り上がりが1690mのコブであり、ここで時間切れとなり引き返す
焼山はすぐ隣に見える。道があればあと10分もかからない指呼の距離に過ぎないが時速500mの速度と日輪のつるべ落としの今はそこが踏み込めなかった。

朝日文庫『西東三鬼』集の「神戸」「続神戸」を読む2011年12月03日

 11/19から11/20はおいの結婚式で神戸市に、11/26から11/27は業界団体のバス旅行でまた神戸市に行った。行ったついでに孫文記念館を訪ねた。山口誓子の記念館も行ってみたかったが時間がない。
 神戸市の異人館のある坂道を登りながら、もう一人大事な俳人がいたような気がしていた。永田耕衣ではない。何日かして西東三鬼と思い出した。実はおいの嫁さんが津山市であり、西東三鬼の出身地とは知っていた。神戸とのつながりが思い出せなかったのだ。

 今日、終日自宅にこもって読書三昧。外は鉛色の曇り空で出る気もしない。書棚から表題の本を取り出して枕元に積んで置いた。この句集の半分が俳句で半分が「神戸」と「続神戸」になる。異色の俳人である。
 「神戸」を読み出すと面白い。面白いといっては的が外れるか。流麗な流れるような文体を読み進めていうちに、ああ!これは名文だ、と思った。陋巷に住むインテリ俳人の自伝的物語。
 人間の生きる悲しみを諧謔で包む。ペーソス。それなのに抱腹絶倒する場面もある。可笑しいのに悲しい文の味わい。自らを阿呆と自虐的に語る。
 行き届いた人間観察、細かな風景描写。コスモポリタン的な人間形成が戦前戦中の神戸の町に溶け込んで生きながらえる。歯科医であり、外国語も堪能?行動力もあるのに時代に翻弄されて、流転の人生を受け入れざるを得なかったのだろうか。
 それゆえ俳句もホトトギスの句風とはひと味も二味も違う。

おそるべき君等の乳房夏来る

水枕ガバリと寒い海がある

中年や独語おどろく冬の坂

 最後の方に面白い文があった。「天狼」に寄稿された流々転々に
死が近し端より端へ枯野汽車     三鬼
死が近し枯野を渡る一列車      秋元不二男
 が偶然似通うことを笑い会う話である。
もう一人山口誓子にも
死が近し星をくぐりて星流る  
 がある。誓子も孤独な人だったが三鬼も死を見つめていたのだった。

映画『RAILWAYS愛を伝えられない大人たちへ』鑑賞2011年12月05日

 朝、ベランダに出ると快晴の冬空に白い御岳がうかぶ。山日和であるが今更行けないがさりとて自宅には居れない。昨日の中日新聞夕刊に紹介されていた表題の映画を見ることにする。12/3全国公開されたばかり。
 ミッドランドスクウェアシネマにて。当日ながらインターネットで予約すると大人1800円のところ60歳以上は1000円とありがたい。
 入りはまあまあ。座席を指定したときは少し空きが目立ったが劇場へ来てから買う人もいるのだ。前宣伝がかなり長く続いた後、ようやく開幕。 
 映画『潮騒』を観て以来の三浦友和ももう当年とって59歳という。初々しく神島で恋人同士の愛を演じた友和の頭はシルバーグレーで風格を出しているがやや老け役に見える。42年間の鉄道員の人生を終えようとする役どころだ。
 定年後は妻と二人で国内か海外旅行にでも行きたい希望がある。不規則な電車の運転士のために弁当を作って送り出してくれた。長年連れ添った妻への愛をそんな形で伝えたいと思っている。
 本人は50歳で結婚したという妻役の余貴美子(55)は初見。55歳には見えない美人女優である。
 長年連れ添った妻のくたびれた感じを出すためかすっぴんで、しかも目元のしわ(いわゆるからすの足)まで演出されている。これはちょっとやりすぎだろう。ひっつめ髪で余りお化粧する様子はない。元看護士の妻は夫の定年を待ちわびたかのごとく仕事に復帰したい希望である。
 映画はこんな熟年夫婦の心のずれを描くところから始まる。どこでもありそうなテーマはふと小津安二郎のホームドラマを彷彿する。そりゃあ、松竹さんの真骨頂ですからね。
 浮気とか伴侶の突然死とか別れがあるわけではない。大した事件性のあるドラマではなく、勤務先の富山地方鉄道の職場風景、車窓の風景、車内の場面、自宅の畳の居間、キッチンの風景だけである。
 中途から仁科亜希子扮する高校時代の同級生がバツイチ役で登場するがあれは何の目的かね。花があり過ぎて浮き上がっている。吉行和子扮する老婆役もやや不似合い。
 人間間の些細な波風はいくらでもある。しかし、そこに挿入される立山連峰の雪景色とレトロな電車がマッチして懐かしい風景を醸し出す。これが楽しみで観にいったようなものであるが・・・。天気のいい日に立山連峰を眺めたことがないので。
 余貴美子の好演が光る映画でした。夫に対し控えめながら粘っこい?富山の女性気質を演じていたように思う。富山弁も良くこなれていたんじゃないか。しかし、どこにでもいる雰囲気の女性ではない。正装の余さんはやっぱり都会的な綺麗な人です。ファンになりますね。

忘年山行2011年12月11日

山仲間小屋に集ひし忘年会

山小屋の薪ストーブの火を仕切る

喘ぐほどの尾根の登りや息白し

尻皮を下げて先頭行く人ぞ

雪混じる枯れ葉散り敷く山路かな

静ヶ岳山ふところの池凍る

枯木立南北に行く縦走路

銀山も今は昔や山眠る

冬仕度2011年12月12日

 子守柿もようやく1つのみ残る。桜紅葉も盛りは過ぎて、銀杏の冬もみじも残りわずかな黄葉を残す。天白川の流れも淀み、いかにも勢いのない冬の川の風情がある。
 やや小寒いが初冬にしては暖かい今日、正午過ぎにやっとスタッドレスタイヤに履き替えた。約1時間ほどの力仕事。16インチもあるタイヤを自力で交換できる力はいつまで続くかな。
 ついでにベランダも整理する。台風で敗れた鳥よけネットの補修、溜まっていた新聞も整理整頓する。
 隣の部屋の住人が亡くなって、今日から改装工事が始まるようだ。先だってから旧住人の荷物の搬出が始まっていたがどうやら買い手がついたようだ。それはもう膨大な量の荷物であった。いつもは電灯が点くが今日は点かないのでもしやとある人が届けて孤独死されていたのが分かった。遺体はすぐに警察によって収容された。荷物はそのままになっていた。
 死後を考えると整理できることから始めねばなるまいと思う。人生の冬支度か。しかし、極端に減量した友人の話ではサイズの合わない古い服もやっぱり残しておけ、というアドバイスを得た。しばらくは箪笥の肥やしを覚悟するか。

初冬の鈴鹿・ネコと銚子岳・静ヶ岳2011年12月13日

忘年山行 2011.12.10(土)から12.11(日)
 鈴鹿・ネコ614mからコブ尾根を経てハライド908mまで
 まだ薄暗い6時半まえ、塩釜口のJAF前で山田さんと合流し、金山へ向かう。ここで栗本さん、榊原さんも合流して鈴鹿に向かう。桑名で出て県民の森から朝明山荘へ着いた。甲村さん、桜井さんは取止め、加藤さんは歯痛で別行動となり、北折さんが一人で待っていた。
 登山口は松尾尾根付近のトイレがあるところ。東海自然歩道が往来するから整備されている。朝明川を石飛に渡渉して右岸に渡る。風越峠を源とする自然歩道に沿う枝沢が合流する。
 この沢の右へ橋を渡ると朝明ヒュッテへ行く。峠へは直進する。この道は急な地形でありしかも風化花崗岩の地質のせいかよく荒れる。今はすっかり再整備されて歩きやすくなった。路上にはムラサキシキブの実が落ちている。おやっと思って見上げるとまだ木にしがみついている実もあった。
 途中で登山口付近では寒かったが登っていると汗をかき始めたのでセーターを脱ぐ。沢水も飲んだ。
 ウィキによると「セーターという名前は、英語のsweat(汗をかく)に由来する。1891年にアイビーリーグのフットボール選手がトレーニングする際、汗をかいて減量するために編物の上着をユニフォームとして用いたのが元とされ、その他のスポーツでも着用されるようになって一般化していった。セーターの形状をした衣類は、漁師の作業着などに使われる丈夫なものとして存在していた」そうだから本当は吸汗のためのものである。だから脱ぐことはないが暑い。
 風越峠まで登ると名前の通り、風がよく通る。目的の山はネコという三角点のピークだ。全国にネコが結構ある。会津磐梯山の近くの猫魔ヶ岳、四阿山の近くの根子岳は1等なのですぐに浮かぶ。北アルプスの猫又山は一度は登っておきたい。猫の額ほどの狭いという意味があるようだ。同じ意味で富士額も狭い意味で美人の条件という。
 東に向かって急な山腹をよじ登ると尾根に上がる。やや緩斜面の木立を進むと小さな杭がある。直進はどうも朝明川へ下る尾根道のようだ。右へ行く。すぐにコブを越える。またコブに登ると電波反射板に着く。ここが最高点のようだ。大きな石がある。パスして三角点へはいくらもない。614.2mの三角点でなるほど猫の額ほどの狭い山頂だ。頂上からは伊勢湾から四日市市方面が見下ろせた。知多半島も海の彼方に見える。
 小休止後、元の道を下山する。最高点の石に登るとやはり、眺めがいい。峠まで戻ると次はコブ尾根の急登に取り付く。南コブまでは急登が連続する。さらにいくつものコブを越えた。途中では山田さんが足に痙攣を起こしたのでツムラの薬を飲んだ。滑りやすく、太ももに変な力が入りやすい場面である。
 そんな厳しさはあるが釈迦ヶ岳の眺めが最高に素晴らしい。周囲の岩と松とがマッチしている。眼下の朝明は箱庭のように俯瞰できる。喘ぎながらもハライドに着いた。庭園のような風情がいい。ここもなぜかカタカナの山名である。お祓い、戸の組み合わせか。祓い戸だったのか。戸は入り口の意味。下山は急降下で約1時間で朝明へ降りた。

12/11(日)
 朝5時起床。全員が朝食の準備と片付けを始める。朝食後、青木、桜井、石川、山田の各氏が帰る。志水さんは横田さんと落ち合って岩登りの予定である。7時ジャストでお世話になった朝明山荘を後にした。メンバー9名でまず竜ヶ岳の駐車場で車を整理し、3台にする。それから石榑トンネルを通過。茶屋川林道へ走った。
 沢納めで見当をつけておいた尾根の入り口に加藤車1台をデポ。北折車、西山車で銚子岳の尾根の登山口に登った。ここで8時50分となり、予定より50分の遅れが出た。人が多いとあれほど早め早めに進めても時間を食う。
 尾根の登りには道はないが藪もないのでかすかな踏み跡を追っていくと歩ける。約1時間で登頂できた。時間の遅れは取り戻せた。頂上付近は砂糖をまぶしたような粉雪で白っぽい。御池岳が素晴らしい存在感のある山容で迫る。記念写真でチーズとやって次へ行く。
 吊り尾根を行くと県境縦走路と交差し、右折。急降下して太夫谷の源頭を通過し、静ヶ岳の山懐のセキオノコバに向かう。途中の平で間食タイム。ここの池がいい雰囲気の場所だ。縦走路中、鈴鹿一のオアシスといってもいい。今時は薄氷が張っている。
 分岐から尾根に右折、気持ちのいい尾根を緩やかに登ると静ヶ岳の山頂だ。若い単独行の先客がいた。互いに記念の写真を撮影する。ここから見る竜も素晴らしいボリュウムのある山容だ。
 下山はそれとなく踏み跡のある北西尾根にルートをとった。今回では唯一の未知の尾根であった。最初はやせて快適な下りだったが等高線の緩んだ中間辺りから怪しくなった。赤テープが適当に残っていたが最後の下りは地形図からは想像もつかないほどの急であった。全員無事に林道に戻った。約1時間だった。加藤車で車を回収し、今回の忘年山行は終わった。