登山家・原真さん死去の報 ― 2009年04月09日
今朝の朝日新聞を見て原真さんの死去を知って驚いた。まだ72歳という。この時代では早い気がした。
高所登山、速攻登山のパイオニアとして知られる。著書も多く残された登るだけではない登山家であった。ごく最近も『快楽登山のすすめ』を読んだ。辛口の評論集である。登山雑誌・岳人の創刊者で登山家であり医師でもあった伊藤洋平にも触れている。
山岳会の先輩が若い頃、ソ連のコムニズム峰に登山した際の隊長であった。それは『乾いた山』に登山記があるらしいがまだ入手していない。シェルパレスの厳しい登山だったと聞く。面識はないが優れた登山家を失ったと思う。
東京新聞
[愛知]原真さん死去 ヒマラヤなど「速攻登山」
2009年4月7日
ヒマラヤなどの高峰を少人数で短期間に登る「速攻登山」の研究と実践で知られた、名古屋市在住の登山家で、医師の原真(はら・まこと)さんが3月20日、脳疾患のため死去していたことが分かった。72歳。葬儀・告別式は本人の遺志で行われなかった。自宅は公表していない。
同市出身で北海道大に進み本格的に登山を始めた。1970年、日本山岳会東海支部隊がヒマラヤのマカルー南東稜(りょう)から初登頂した際、登攀(とうはん)隊長を務めた。
その後、大規模な登山隊を編成する従来の極地法でなく、8000メートル級でも少人数が数日で一気に登る速攻登山の理論を提唱。病院経営の傍ら高山研究所を設立し、低圧室での訓練を導入するなど科学的研究に取り組んで登山界に影響を与えた。
82年には自ら率いた高山研究所隊が、この速攻スタイルでチベットのシシャパンマ登頂に成功。同隊は90年、マカルー北西稜からの登頂も成し遂げた。
「ドキュメント速攻登山」「快楽登山のすすめ」「北壁に消えた青春」など、著書・編書が多数ある。
高所登山、速攻登山のパイオニアとして知られる。著書も多く残された登るだけではない登山家であった。ごく最近も『快楽登山のすすめ』を読んだ。辛口の評論集である。登山雑誌・岳人の創刊者で登山家であり医師でもあった伊藤洋平にも触れている。
山岳会の先輩が若い頃、ソ連のコムニズム峰に登山した際の隊長であった。それは『乾いた山』に登山記があるらしいがまだ入手していない。シェルパレスの厳しい登山だったと聞く。面識はないが優れた登山家を失ったと思う。
東京新聞
[愛知]原真さん死去 ヒマラヤなど「速攻登山」
2009年4月7日
ヒマラヤなどの高峰を少人数で短期間に登る「速攻登山」の研究と実践で知られた、名古屋市在住の登山家で、医師の原真(はら・まこと)さんが3月20日、脳疾患のため死去していたことが分かった。72歳。葬儀・告別式は本人の遺志で行われなかった。自宅は公表していない。
同市出身で北海道大に進み本格的に登山を始めた。1970年、日本山岳会東海支部隊がヒマラヤのマカルー南東稜(りょう)から初登頂した際、登攀(とうはん)隊長を務めた。
その後、大規模な登山隊を編成する従来の極地法でなく、8000メートル級でも少人数が数日で一気に登る速攻登山の理論を提唱。病院経営の傍ら高山研究所を設立し、低圧室での訓練を導入するなど科学的研究に取り組んで登山界に影響を与えた。
82年には自ら率いた高山研究所隊が、この速攻スタイルでチベットのシシャパンマ登頂に成功。同隊は90年、マカルー北西稜からの登頂も成し遂げた。
「ドキュメント速攻登山」「快楽登山のすすめ」「北壁に消えた青春」など、著書・編書が多数ある。
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