会報『聳嶺』が届く2008年12月11日

 このほど平成19年8月に再発足した1等三角點研究會の新世紀第1号の会報が届いた。101ページもあるボリュームに驚く。会員の熱い思いが伝わる。私も1等三角点の登山記を数本投稿したが大笠山だけが掲載された。余りに原稿が多かったことと思われる。
 巻頭言は新会長の大槻雅弘氏が飾る。続いて旧1等三角点研究会の創立者で初代会長の坂井久光氏が旧時代の発足からのいきさつを書いている。どちらも京都交通局山岳部のOBである。
 そのいきさつを知ると坂井氏は希代の変人であり、奇人でもあると思う。たかが三角点の内の1等だけを求めて全国津々浦々の山や丘を跋渉して来られたのである。近くに名山があっても脇目もふらずに1等だけを追求してきた。この精神はアルピニズムではないし、ピークハンターでもワンダラーでもない。故今西錦司を顧問に迎えているが後には物心崇拝と批判気味であった。宗教的なまでに追求している坂井氏を牽制されたのだろうか。こんな登山家は彼より先には居ないだろう。
 私なら1等のみならず、300名山があれば「ついでに」ピークハントしていくだろう。1等三角点研究会の会長になったばかりに浮気は一切断ち切ってしまわれたのだ。
 以前に数日かけて1等の山々をやっている最中に親が亡くなられた。帰宅して見るともう葬式は終っており、親の死に目に会えなかったことを仄聞した。葬儀の一切は妻が取り仕切り、しばらくは頭が上がらなかったとも。今なら携帯電話という連絡手段もあるが当時はなかったから山へ行けば帰宅するまで消息はつかめない。やっぱり奇人というしかない。
 その坂井氏からお手紙を頂戴した。私の投稿した大笠山登山記や拾遺にかつての記憶が甦り、「懐かしく、一寸センチ」になられたようだ。センチとはセンチメンタルの略であろう。『村の記憶』という本にかつての桂部落で今西さんらと並んで撮影された写真が転載されている。その桂部落はダム湖に沈み、今はオートキャンプ場であるから昔を知る人には涙なくして語れないだろう。投稿して良かったと思う。この会報はこの意味でも記念の号になった。

コメント

_ 若林 忠男 ― 2009年09月30日 09時07分23秒

聳嶺原稿、沢山執筆して頂きまして、有難うございました。おっしゃる通り、新世紀第一号では予算の関係もあり、「大笠山」のみを掲載させて頂きました。なお、第二号では、「四国の一等三角点の山旅」を掲載させて頂く予定です。よろしく。

_ 小屋番 ― 2009年10月02日 19時53分09秒

 2号掲載を楽しみにしています。今年は飛騨の六谷山でしたが雨で残念でした。晴れた日にまた行きたいです。今後ともよろしくお願いします。

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