初刷りの新聞を読む2008年01月03日

 1月3日、今年初めての新聞を読む。元旦の新聞は31日印刷だから実質は今日が初刷である。各紙、社会面のトップで31日に起こった北アルプス槍平の雪崩遭難を報じた。元旦の朝刊には間に合わず、2日は休刊だから3日になる。
 今回も南岸低気圧の通過に伴う急速かつ短期間の大雪がもたらした雪崩であった。しかも、山の東側からの雪崩であった。テントの場所は雪崩の起きない場所であったというが自分に不都合なことは起きない、というのはおごりでしかない。  
 遭難救助にあたる人たちはこの大雪でも入山するのかという思いでチエックしていたのである。例年よりパーティは半分ほどに減っていたそうだ。取り止めたパーティーも多かったのである。救助隊には登山計画書を出させる指導の権限しかない。強制的に入山制限は出来ないのだろう。剣岳と谷川岳だけは例外で県の条例で登山規制があるが。それ以外は「気をつけてな、危ないと感じたら退き帰せよ」という警告だけであったろう。
 今回の報道でも登山歴30年以上、ヒマラヤ登山経験者などの死者に対する賛辞的な表現が並ぶ。だから本来起きるはずないところの偶発的な事故といいたげである。彼らは日本有数の冬山に果敢に挑み死んでいった、と同情的である。かつて朝日の武田記者は交通事故と同じに扱うということを本で主張していた。また戻りつつあるようだ。
 短期間に大雪が降ったら、または降雪中は決して入山してはならないのである。槍平は沢の中であり雪崩の巣である。事実救助の隊員達は胸まである雪をラッセルして現地に赴いたという。但し、二次遭難の恐れがあってヘリで遺体搬出された。
 雪崩遭難だけはヒマラヤ経験者であれ、30年のベテランであれ回避することは至難のこと。回避のトレーニングはできない。行くか行かないかの判断だけである。その恐怖を押して登山し、無事下山できたらそれはもう感激するだろう。それゆえこれからもまた雪崩事故はあるだろう。登山者の業というべきか。理性の及ばないところ。リスクが高ければ喜びも大きい。 
 郵便受けの年賀状を出す。その返礼を書く。あとはまたDVDの娯楽映画を観た。書店で「岳人」を立ち読みすると「正月休みにアルプスへ」で槍ヶ岳登山の特集が組まれていた。12月号の山スキー特集でもパウダー滑走が言われるがこれも雪崩の恐怖との戦い。
 今日は喫茶店は軒並み休業中、一軒だけレストラン兼カジュアルカフェなる店が営業中であった。美味いコーヒーを味わった。自宅に戻ってPCの中の不要メール、不要ファイルや不要なデジカメ写真の削除を行った。まだまだ捨てたいものが一杯ある。長かった休暇もあと3日間を残すのみ。