寒見舞い2008年01月24日

 夜遅くになってから電話が鳴った。先日寒中見舞いをだしたU先生からだった。1年以上聞かなかった声であった。一昨年秋に癌を治療。闘病生活になってからは一切音信を絶っていた。ここに来てちょっとばかり会合を再開したいという声がしきりにあり寒中見舞いを出して安否を問うた次第。
 声は頗る元気である。しかも医学上の脳性まひの治療法U法がイタリア語で出版されたのでご本尊が翻訳しているという。翻訳の仕事で結構多忙なんだ、というからまずは安泰であろう。山にも登っているらしい。酒も飲むそうだ。それでも癌の転移、再発を恐れるというから当然ながら油断できないのである。
    癌恐しそっと寒中見舞い出す     拙作
 同じ年代のTさんも22日新年会の顔ぶれだけみて帰った。胃癌で胃を全部摘出した。だからあれほど好きだった酒はご法度だろう。抗がん剤のせいか高齢でも黒い髪がちだった頭髪は丸坊主である。日本人の3人に1人が癌で死ぬ。癌は節制だけでは予防出来かねるものか。
 そういえば丸秘だがと断って教えてくれた定年退職してもう幾年かたつTさんも今年1月に肺癌で亡くなった、という。退職後は農業をやると畑違いの老後を楽しんでいたはずであった。デスクワーク一辺倒で人生を送った人に農業はきつい。スポーツなら止めればいいが作物を育てる農業は根気の要る仕事である。何か無理をしたのだろうか。
 ふと昨年暮れに亡くなった俳人・寺崎治郎氏の「浅草図絵」を読んだ。人間前田普羅を知って俳句をやるようになった人である。空襲で避難する際も歳時記を持って逃げたという。
   荷風忌に株の暴落伝えらる  治郎  (亀眠る)から
昭和40年頃。荷風は昭和34年4月30日に胃潰瘍で死去。その命日を荷風忌としてファンが集う。昭和40年には山一証券が日銀の特別融資を受けて再建が図られた年だった。この時代も岩戸景気の後の不景気で山一は赤字決算。5月21日に表面化してから売りが売りを呼ぶ恐慌的な大暴落となり時の田中角栄蔵相が救済策を敢行した。日米まったく同じことをやってるのである。平成9年の経営危機でも結局は「2度はない」ということで自主廃業の形で市場から葬り去られた。
   寒厳し株の暴落とめどなし    拙作