霧深き荒島岳 ― 2007年08月01日

谷にあれば敵と見て刺す夏の虫
岩のごとく硬くはなれずヒキガエル
フウロソウ霧の山こそ似合うなり
フウロソウ霧の中から生まれけり
シモツケソウただそれだけのお花畑
群れもせず谷のニッコウキスゲ咲く
登山道笹に埋れた道標
消えそうな登山道ありブナ林
霧深き頂きでする握手かな
滴りし岩壁の水掬うなり
夏寒し荒島岳は無人境
滝を攀づラインに伸びしザイルかな
奥越の山に顔出す夏の月
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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