映画「暁の脱走」鑑賞2007年08月25日

1950年制作。新東宝作品。谷口千吉監督。主演は池部良、山口淑子、小沢栄(後の栄太郎)ら。舞台設定は昭和20年頃の華北となっている。北京市辺りの戦線か。
 内地から送り出されてきた慰問団を護衛する三上上等兵に扮する池部良(1918~)と慰問団にいる春美に扮する山口淑子(1920~)の悲恋を描いたメロドラマである。メロドラマではあるが内容は戦線の日本軍の有様を写実的に描いてあるために反戦映画ともとれる。特に軍部の上官に扮する小沢栄太郎からのいじめに対する憎しみや裏切り、反抗はやがて脱走という形になって現れるが最後には見つかって小沢に射殺される。小沢の憎まれ役の演技も大したものである。
 どこかで観たことがある物語と思った。映画「人間の条件」(昭和36年から)を思い出した。名古屋の栄にある映画館で深夜を通して上映された。それを観た記憶がある。これも軍の上層部との対立が発端であった。上官が食べる食べ物に頭をかいて「ふけ」を落として仕返しをする場面は今も思い出す。面従腹背とはこのことかと思う。
 反戦映画といえば「また逢う日まで」も良かった。主人公は二人とも戦争で死んでしまう。久我美子と岡田英次のガラス窓越しのキッスシーンが特に取り上げられて話題性もあるメロドラマであった。
 本題に戻る。原作は田村泰次郎の「春婦傳」であり、作者は山口淑子をイメージして書いたという。原作では実は従軍慰安婦と三上の恋愛であったが当時の米軍の検閲で歌手に変更させられた由。映画の中の台詞にも酌婦をさせられそうになると「私たちは慰安婦じゃないわよ」とかいって兵隊に反発する場面があった。
 日本軍の恥部を何故か当時の米軍はあえて隠させたのはなぜだろう。今年米国では従軍慰安婦に関して謝罪させる法案が成立したといって騒がれた。今は人権に敏感な米国である。ライバル国の弱点を握って外交に利用したい腹であろう。アメリカのような多種多様な人種の集う大国を統率するにはライバル国、敵国の弱点を突いて憎しみを抱かせ、まず敵に攻めさせて国民を戦争へと駆り立てる。これがアメリカのやり方である。
 山口淑子は中国生まれの日本人であるが親の任地である中国で育った際に親しい中国人から中国名の李香蘭をもらい名乗った。だから中国語も堪能なわけである。映画の中で三上と共に中国軍に捕まって捕虜になるがまるで通訳のような役割も果たす。戦前から美人の中国人スターとして人気がある女優であり歌手でもあった。
 池部良のエッセイ「心残りは・・・」(文春文庫)の中で「心残りは煙草の煙」という章で山口淑子との共演のなれそめを綴る。憧れ、恋心さえ抱いた李香蘭が会いにきている。「げえっ」そんな声が出るほど驚いた。と書く。そもそもエッセイのタイトルも映画の中で池部扮する三上の脱走を助ける兵隊仲間の友情からきている。少しでも先へ逃がしてやろうと逮捕の命令を先延ばしにするのである。銃殺刑にならんとする友人の逮捕命令という非情さ、軍に対する反抗がばれたら自分も生きては居れないという過酷ななかで揺れ動く心理が如実に現れた名場面である。それは命令を出すまでの上官の煙草の吸い方が性急すぎると池部には映ったらしい。もっとゆっくり肺の底奥まで吸ってゆっくり吐いて欲しい、というのである。それゆえにこの場面が「心残りは・・・」となった由。
 しかし私は性急であって当然ではないか、と思う。兵隊たちは三上が逃げ切ることを心で願いながら厳しい軍律を守らねばと思う。だから上官の顔つきを見ている。早く早くと迫られて落ち着いては居られない、と思うが・・。これには裏話があって上官役の俳優は煙草が吸えなかった。しかし役柄とあれば仕方ない。浅く吸ってぱっと吐く初心者の吸い方になるのはやむを得ない。
 この作品も名作であった。近くのレンタル店になく愛知県図書館に所蔵されていた。