映画「秋日和」鑑賞2007年08月12日

 黒沢明監督の映画「白痴」1951年、篠田正浩監督の「心中天網島」1969年と見たが今一映画の世界に乗り込めなかった。「白痴」でははっとするほど美しい原節子や久我美子の熱演に魅入られたがロシア文学ベースのドラマの違和感が払拭できなかったし、「心中天網島」では岩下志麻の2役と黒子が登場する奇抜さに溶け込めなかった。吉田喜重監督の「吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界」は少し変った作品であった。同じDVDに「愛知県の祭」などが収録されていたがこんな作品も撮っていたのであろうか。
 その口直しに映画「秋日和」を観た。1960年制作。小津安二郎作品である。これは2回目の鑑賞であるが1回目は「晩春」と同じストーリーで特に感想は書かなかった。俳優は原節子、司葉子の親娘を中心に岡田茉莉子、司葉子の夫役となる佐田啓二、悪友3人組を演じた佐分利信、北竜二、中村伸郎らの脇役が活躍する群像劇にも思う。この年の大ヒット作となったらしい。
 今回注目して観たのは初出演の岡田茉莉子の役割である。岡田時彦の娘ということでコメディ調の役柄を演じさせたがお見事でした。特に3人のおじ様をきつい言葉でやりこめる場面は上手い。その上自分の実家が経営する寿司屋に美味い寿司屋があるといっておびき寄せる演技はなかなかのものである。大変愉快な場面で笑わせられる。さすがに小津さんの眼力は高い。
 しかし岡田さんはどうもお気に召さなかったと見える。小津さんが亡くなる63年までに「秋刀魚の味」に出演したが。62年の「秋津温泉」がヒットしたこともありメロドラマのヒロイン女優が水に合っていたようだ。「秋日和」では司葉子のナイーブな性格に対して岡田さんの明るい性格を対置させた。とてもいい配役でありこの映画がヒットしたのも分かる気がする。縁が薄かった原因は小津さんが年1作しか撮らない寡作だったことが大きいだろう。
 「秋日和」が楽しいのはハイキングの場面が少し出てくることもある。ドラマでは浅間高原という台詞はなかった気がする。司葉子や岡田さん、渡辺文雄らが横一列でならんで歩く場面はすぐに切り替わり、山小屋と思しきところでマージャンなどしている。ここでも岡田さんはアップで映されて明るく盛り上げる元気なお嬢さんである。
 誰かが「ああ!いい天気だなあ!また山へ行きたいな!」というと岡田さんは「行っちゃいなさいよ、会社なんか休んで行っちゃいなさい」とけしかける場面もあった。
 最後の場面では未亡人役の(40歳になった)原節子の演技が秀逸である。娘を嫁がせた夜の淋しげな居住まいは記憶に残る。住んでいるアパートの廊下のショットがいっそう淋しさを際立たせる。東宝作品の原節子は演技が生硬と見られていた。小津さんは演技をさせない監督としても有名だったそうだ。この場面なら涙を流すとか、泣き崩れるとかの演技がありそうだが背中を向けて肩を落とした感じだけが演技といえば演技。悲しいからといって涙を流すこともない、芥川の「ハンケチ」という作品の女性を想起させる。
 ハイキングに絶好の「秋日和」であるがまた人生の淋しい秋愁の気分も出してる題名である。「もののあわれ」を表現して余す所がない秀作でした。
それと忘れてはいけないのはちょい役で岩下志麻が出演していたことだ。「秋刀魚の味」では主役を演じる女優である。地味な役だがなぜか存在感がある。
 思えば彼女達の夫=篠田正浩、吉田喜重は松竹ヌーベルバーク(新しい波)と呼ばれて次世代を担っていった監督であった。