不夜城めく県庁や秋の夕 ― 2021年10月01日
午後6時前くらいだったか、三の丸の官庁街を出ると信号待ちの目にとまったのは愛知県庁の建物だった。堂々としたたたずまいが素敵である。まだ少しばかり仕事がある時間帯なので窓という窓に明かりが灯っている。中々に荘厳な風景である。深夜であれば明かりは殆ど消える。今時が不夜城の表現である。
恋せずは人の心もなからまし物のあはれもこれよりぞ知る 藤原俊成 ― 2021年10月02日
宮内庁は1日、秋篠宮家の長女眞子さま(29)が、大学時代の同級生小室圭さん(29)と10月26日に結婚されると正式発表した。また、眞子さまが小室さんの家族をめぐる誹謗(ひぼう)中傷を感じ「複雑性心的外傷後ストレス障害(PTSD)」の状態にあると明らかにした。
この日は大安。眞子さまと小室さんの記者会見も同じ10月26日に行う。
眞子さまは結婚一時金について辞退される意向で、宮内庁は額を決める皇室経済会議は開催しないと衆院に連絡した。関係者が明らかにした。
中略
眞子さまは上皇ご夫妻の初孫で、国際基督教大在学中に小室さんと知り合った。17年9月に婚約が内定したが、金銭トラブルを指摘する週刊誌報道が相次ぎ、18年2月以降、結婚が延期となっていた。
眞子さまは20年11月に文書を公表し、結婚は「生きていくために必要な選択」と強い思いを明かした。秋篠宮さまは同月の誕生日記者会見で結婚を「認める」としつつ、国民の多くが納得する状況ではないとの認識を示していた。(共同)
・・・・どうしょうもない感情の横溢。
眞子内親王は御結婚へ ― 2021年10月03日
小室圭氏に言及した天皇陛下の完璧なご回答。天皇誕生日ご会見のお話
https://www.youtube.com/watch?v=4itNZUZKMHE
・・・米国に移住しての毎日の生活が続くのか。毎日の買い物、炊事、洗濯、掃除などの日常生活はルーチンの連続である。小室さんは弁護士事務所勤務だから自宅には居ない。眞子様お一人でやれることは限られている。今までは上げ膳据え膳だったはず?少しは花嫁修業をされるだろけど生活のベースはアメリカになる。
子供が産まれたら母親が手助けするはずが、秋篠宮妃が日本から来れるはずもない。ベビーシッターを雇うにしても、外国人であればコミュニケーションが難しいだろう。誘拐もありうるからセキュリティもしっかりせねばなるまい。
すべてカネカネカネの世界である。余計な心配事であるが小室さんのサラリーで賄えるのか。1年後、否半年後にどんなことになるやら。2022年は日本にとって大変な年になる。
https://www.youtube.com/watch?v=4itNZUZKMHE
・・・米国に移住しての毎日の生活が続くのか。毎日の買い物、炊事、洗濯、掃除などの日常生活はルーチンの連続である。小室さんは弁護士事務所勤務だから自宅には居ない。眞子様お一人でやれることは限られている。今までは上げ膳据え膳だったはず?少しは花嫁修業をされるだろけど生活のベースはアメリカになる。
子供が産まれたら母親が手助けするはずが、秋篠宮妃が日本から来れるはずもない。ベビーシッターを雇うにしても、外国人であればコミュニケーションが難しいだろう。誘拐もありうるからセキュリティもしっかりせねばなるまい。
すべてカネカネカネの世界である。余計な心配事であるが小室さんのサラリーで賄えるのか。1年後、否半年後にどんなことになるやら。2022年は日本にとって大変な年になる。
雌鶏が時を告げると、家が滅びる ― 2021年10月04日
知恵袋から
問:「雌鶏が時を告げると国は滅びる」
「雌鶏が時を告げると天下は乱れる」
「雌鶏が鳴くと家が滅びる」
「雌鶏歌えば家滅ぶ」
....など、さまざまな言い方があるようですが、どの言い方が正
しいのでしょうか。
どの言い方でもいいのでしょうか。
答:もとは
「牝鶏(ひんけい)ノ晨(あした)スルハ、惟(こ)レ家ノ索(つ)クルナリ。」(索=尽)
で譬喩ですが、直訳は
「雌鶏が【時を告げる】と、家が【滅びる】」
意訳すれば、
「女が政治に口を出すと、国は滅びる」
ですから、
「時を告げる」を「鳴く」「歌う」と言うのは間違いです。
「晨する」とは、夜明けに、雄鳥が「コケコッコー」と鳴くのを指します。
これを雌鳥が代わりにやることを言うので、ただ「鳴く」や「歌う」ではありません。
「国が滅びる」を「天下が乱れる」と言うのも間違いです。
一つの国が滅亡・消滅したとしても、天下が乱れるかどうかは別の話です。
始皇帝によって諸国が滅ぼされましたが、天下は統一されたのであって、乱れたのではありません。
最初に挙げられた
「雌鶏が時を告げると国は滅びる」
は、大きな間違いはありませんが、半分だけ譬喩のままでは、一つの文としてつながりにくいとは言えます。
あとの三つは全部だめです。
「時を告げる」ことをきちんと雄鳥が果たしていても、雌鳥が「歌う」ことで家が滅ぶというのではありません。
・・・自民党総裁選は岸田さんが制して100代目の総裁になった。気持ちでは高市さんを応援していたが、表題の言葉が引っ掛かり、男のしっかりしたのが出てきて欲しいと願った。これからお手並み拝見である。
様々な報道を読むと結婚への執着は小室さんより眞子様がより勝っているなと感じる。結婚後は妻がリードしていきそうだ。
古代では『古事記』にあるように最初は女神のイザナミがリードしたが国造りはうまくいかなかった。それでイザナギがリードしたら次々と国が産まれていった。この故事でも女性のリードは失敗している。
問:「雌鶏が時を告げると国は滅びる」
「雌鶏が時を告げると天下は乱れる」
「雌鶏が鳴くと家が滅びる」
「雌鶏歌えば家滅ぶ」
....など、さまざまな言い方があるようですが、どの言い方が正
しいのでしょうか。
どの言い方でもいいのでしょうか。
答:もとは
「牝鶏(ひんけい)ノ晨(あした)スルハ、惟(こ)レ家ノ索(つ)クルナリ。」(索=尽)
で譬喩ですが、直訳は
「雌鶏が【時を告げる】と、家が【滅びる】」
意訳すれば、
「女が政治に口を出すと、国は滅びる」
ですから、
「時を告げる」を「鳴く」「歌う」と言うのは間違いです。
「晨する」とは、夜明けに、雄鳥が「コケコッコー」と鳴くのを指します。
これを雌鳥が代わりにやることを言うので、ただ「鳴く」や「歌う」ではありません。
「国が滅びる」を「天下が乱れる」と言うのも間違いです。
一つの国が滅亡・消滅したとしても、天下が乱れるかどうかは別の話です。
始皇帝によって諸国が滅ぼされましたが、天下は統一されたのであって、乱れたのではありません。
最初に挙げられた
「雌鶏が時を告げると国は滅びる」
は、大きな間違いはありませんが、半分だけ譬喩のままでは、一つの文としてつながりにくいとは言えます。
あとの三つは全部だめです。
「時を告げる」ことをきちんと雄鳥が果たしていても、雌鳥が「歌う」ことで家が滅ぶというのではありません。
・・・自民党総裁選は岸田さんが制して100代目の総裁になった。気持ちでは高市さんを応援していたが、表題の言葉が引っ掛かり、男のしっかりしたのが出てきて欲しいと願った。これからお手並み拝見である。
様々な報道を読むと結婚への執着は小室さんより眞子様がより勝っているなと感じる。結婚後は妻がリードしていきそうだ。
古代では『古事記』にあるように最初は女神のイザナミがリードしたが国造りはうまくいかなかった。それでイザナギがリードしたら次々と国が産まれていった。この故事でも女性のリードは失敗している。
秋篠宮家と半藤一利の自虐史観 ― 2021年10月05日
https://jisin.jp/domestic/1944871/
「悠仁さまは聡明なお子さん」半藤一利さんが「戦争の授業」を
半藤さんが1時間ほど話をしたところで休憩に入った。紀子さまが淹れてくださったお茶を飲みながら、半藤さんが「質問はありますか?」と聞くと、悠仁さまは手を挙げて「アメリカはなぜ広島と長崎に原爆を落としたんでしょうか?」と質問されたという。
半藤さんは「これはなかなか難しいぞ」と思いながら、日本の「戦争責任」についても丁寧に答えた。
悠仁さまは’16年12月に長崎、’18年の8月上旬には広島を訪問されていて、ずっと「なぜ?」という疑問を抱かれたらしい。太平洋戦争や原爆についてもっとお知りになりたいという悠仁さまご自身の意向で、半藤さんの講義も行われたものだった。
講義の後半は、半藤さんの著書の読者である秋篠宮さまからの質問を受けて、子供が理解するにはかなり難しい内容になったのだが、悠仁さまは熱心に耳を傾けられていたという。
「あの戦争は片一方だけが悪いんじゃない、向こう(アメリカ)も悪いんだという説が当節盛んです。ですが、少なくとも戦争の状況に持って行くまでは、日本の責任が大きいと私は考えています」(『FRIDAY』‘19年6月28日号)
******************************************
対する西尾幹二氏らは『自ら歴史を貶める日本人』
世界の悪意を見なければ歴史は理解できない!
歴史戦というかたちで次の戦争はすでに始まっている!!
先ごろ亡くなった半藤一利氏の『昭和史』を始めとする現代史本がブームだ。しかし、いかにももっともらしいその歴史観は、GHQの占領政策と中国のプロパガンダによって、大きく歪められたものにすぎない。
先の大戦は日本の防衛戦争であったのに、侵略戦争とされて、日本悪玉・連合国善玉という善悪二元論で歴史がいまもまことしやかに語られている。従軍慰安婦問題や南京事件が何度も蒸し返されるのは、中韓の宣伝戦に日本が負けていることに加えて、捏造された歴史に日本人自身が騙されているからではないのか。
本書では西尾氏を中心として歴史研究の専門家たちが、世界史のレベルから日本の近現代史を徹底的に見直し、いまだ世にはびこるトンデモ史観を痛烈に批判する。
世界史のなかで必死に生きた日本の姿こそが歴史の真実
私たちがこの本を通じて読者の皆様にぜひとも認識を改めてもらいたいと願っているのは近代日本の戦争の評価ということです。それは公認の歴史教科書に書かれていることとは逆であります。先の大戦争は日本が主導して起こした戦争ではなく、日本は無理やりとも言っていいような状態で戦争に巻き込まれたということが現実の姿です。
日本は国家以前のような中国に介入するべきではなかったけれども、西洋の宗教戦争とも本来は無関係でした。
しかしあの時代には孤立を守っていることなどできなかった。世界に背を向けていれば、間違いなく日本民族とその列島は列強の餌食になったことでしょう。われわれの先人たちは必死に生きたのです。
(「はじめに」より)
以上
・・・・秋篠宮家は半藤史観に侵されてしまったのでないでしょうか。すべては日本が悪い、日本側に原因があるとの考え方をこんな高名な人物に教えられたらたまらんな。
そもそも半藤一利は売文業社の会社役員であり歴史は体験をベースにした余技でしかなかった。事実をちょいときりとって面白おかしく述べる。基本的にアメリカを善人、日本を悪者に描けばよく売れたのでしょう。
先の大戦で勝利した国はアメリカだけである。欧州は高度な文明でもなかった。欧州もまたモンゴル帝国の西進に刺激されて離合集散を繰り返して来た。
日本の戦闘機に撃ち落とされたり、英国の戦艦は沈められた。アメリカの物量作戦にだけは負けた。その証拠に植民地を失った欧州は戦後は落ちぶれる一方である。
こうした歴史観が父親から娘たちに伝わる。すると学習院大学よりもマッカーサーが引っ張ってきたICUの方が先進的に思える。強い国になびく。
戦後、美人女優の某は名優だったが、日本の俳優を相手にせず、24歳で戦勝国の1つフランスの映画監督と結婚した。ところが仕事は日本からひっぱりだこなので留守にしがちになる。その隙をねらい、フランス人の夫をユダヤ人の家政婦に寝取られてしまった。結果は離婚である。
欧米を必要以上に過大評価してしまう。国際社会とは欧米社会なので外交に関しては今でも日本は肩身の狭い思いである。
この名女優は1932年生まれで半藤とほぼ同世代である。戦争に敗れた日本が悲しくてアメリカに怒りをぶつけず日本にぶつける。だらしない国だな、と。日本の弱い男なんて・・・・の思いである。当てつけ同然である。
秋篠宮家は一日も早く、半藤史観の呪縛から解放されるように願う。
「悠仁さまは聡明なお子さん」半藤一利さんが「戦争の授業」を
半藤さんが1時間ほど話をしたところで休憩に入った。紀子さまが淹れてくださったお茶を飲みながら、半藤さんが「質問はありますか?」と聞くと、悠仁さまは手を挙げて「アメリカはなぜ広島と長崎に原爆を落としたんでしょうか?」と質問されたという。
半藤さんは「これはなかなか難しいぞ」と思いながら、日本の「戦争責任」についても丁寧に答えた。
悠仁さまは’16年12月に長崎、’18年の8月上旬には広島を訪問されていて、ずっと「なぜ?」という疑問を抱かれたらしい。太平洋戦争や原爆についてもっとお知りになりたいという悠仁さまご自身の意向で、半藤さんの講義も行われたものだった。
講義の後半は、半藤さんの著書の読者である秋篠宮さまからの質問を受けて、子供が理解するにはかなり難しい内容になったのだが、悠仁さまは熱心に耳を傾けられていたという。
「あの戦争は片一方だけが悪いんじゃない、向こう(アメリカ)も悪いんだという説が当節盛んです。ですが、少なくとも戦争の状況に持って行くまでは、日本の責任が大きいと私は考えています」(『FRIDAY』‘19年6月28日号)
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対する西尾幹二氏らは『自ら歴史を貶める日本人』
世界の悪意を見なければ歴史は理解できない!
歴史戦というかたちで次の戦争はすでに始まっている!!
先ごろ亡くなった半藤一利氏の『昭和史』を始めとする現代史本がブームだ。しかし、いかにももっともらしいその歴史観は、GHQの占領政策と中国のプロパガンダによって、大きく歪められたものにすぎない。
先の大戦は日本の防衛戦争であったのに、侵略戦争とされて、日本悪玉・連合国善玉という善悪二元論で歴史がいまもまことしやかに語られている。従軍慰安婦問題や南京事件が何度も蒸し返されるのは、中韓の宣伝戦に日本が負けていることに加えて、捏造された歴史に日本人自身が騙されているからではないのか。
本書では西尾氏を中心として歴史研究の専門家たちが、世界史のレベルから日本の近現代史を徹底的に見直し、いまだ世にはびこるトンデモ史観を痛烈に批判する。
世界史のなかで必死に生きた日本の姿こそが歴史の真実
私たちがこの本を通じて読者の皆様にぜひとも認識を改めてもらいたいと願っているのは近代日本の戦争の評価ということです。それは公認の歴史教科書に書かれていることとは逆であります。先の大戦争は日本が主導して起こした戦争ではなく、日本は無理やりとも言っていいような状態で戦争に巻き込まれたということが現実の姿です。
日本は国家以前のような中国に介入するべきではなかったけれども、西洋の宗教戦争とも本来は無関係でした。
しかしあの時代には孤立を守っていることなどできなかった。世界に背を向けていれば、間違いなく日本民族とその列島は列強の餌食になったことでしょう。われわれの先人たちは必死に生きたのです。
(「はじめに」より)
以上
・・・・秋篠宮家は半藤史観に侵されてしまったのでないでしょうか。すべては日本が悪い、日本側に原因があるとの考え方をこんな高名な人物に教えられたらたまらんな。
そもそも半藤一利は売文業社の会社役員であり歴史は体験をベースにした余技でしかなかった。事実をちょいときりとって面白おかしく述べる。基本的にアメリカを善人、日本を悪者に描けばよく売れたのでしょう。
先の大戦で勝利した国はアメリカだけである。欧州は高度な文明でもなかった。欧州もまたモンゴル帝国の西進に刺激されて離合集散を繰り返して来た。
日本の戦闘機に撃ち落とされたり、英国の戦艦は沈められた。アメリカの物量作戦にだけは負けた。その証拠に植民地を失った欧州は戦後は落ちぶれる一方である。
こうした歴史観が父親から娘たちに伝わる。すると学習院大学よりもマッカーサーが引っ張ってきたICUの方が先進的に思える。強い国になびく。
戦後、美人女優の某は名優だったが、日本の俳優を相手にせず、24歳で戦勝国の1つフランスの映画監督と結婚した。ところが仕事は日本からひっぱりだこなので留守にしがちになる。その隙をねらい、フランス人の夫をユダヤ人の家政婦に寝取られてしまった。結果は離婚である。
欧米を必要以上に過大評価してしまう。国際社会とは欧米社会なので外交に関しては今でも日本は肩身の狭い思いである。
この名女優は1932年生まれで半藤とほぼ同世代である。戦争に敗れた日本が悲しくてアメリカに怒りをぶつけず日本にぶつける。だらしない国だな、と。日本の弱い男なんて・・・・の思いである。当てつけ同然である。
秋篠宮家は一日も早く、半藤史観の呪縛から解放されるように願う。
出羽三山の山旅パッキング編 ― 2021年10月06日
山岳会の友人ら2人が月山に行くというので入れてもらった。この2年は登山らしい登山をしていないので体力に不安はあったが、案ずるよりは倦むがやすし、と飛び乗った感じである。
さてパッキングとなると、3日間の山の用意と旅の用意も要る。GPSを活用するような山ではないがスマホの充電器も入れた。10月初旬の東北なので防寒に備えて長袖も入れた。
6日の夜は山岳会の会合だったが月山行きを告げて例会後の懇談はパスして帰宅した。すでに彼らは待機中である。ザック類を運び入れるとさあもうこころはみちのくへ。
さてパッキングとなると、3日間の山の用意と旅の用意も要る。GPSを活用するような山ではないがスマホの充電器も入れた。10月初旬の東北なので防寒に備えて長袖も入れた。
6日の夜は山岳会の会合だったが月山行きを告げて例会後の懇談はパスして帰宅した。すでに彼らは待機中である。ザック類を運び入れるとさあもうこころはみちのくへ。
出羽三山の山旅①月山 ― 2021年10月07日
計画では
10/6夜出発
10/7 羽黒山
10/8 月山
10/9 湯殿山
だったが、8日は天気が崩れそうなので前倒しして、7日に登った。8合目は標高約1390mあるから比高600mくらいしかない。2時間歩けば登頂できる。弥陀ヶ原の池塘は今は草黄葉で覆われている。そこへ赤いナナカマドの実が美しく映える。
さほど高低差はないがやはり山路である。整地してある箇所は良いが、荒れたところは歩きにくく足に負荷がかかる。1740mの佛生池小屋はすでに閉鎖されていた。ここから頂上までも等高線は緩く歩きやすい。先ずは月山神社に登拝し、いったん降りて1等三角点にも登った。
後は往路を戻るだけだが、弥陀ヶ原の岐路から鳥居のある歩道に入った。日本海に傾きかけた太陽が草黄葉に当たり鈍く光る。まるでビロードのような感じだった。
Pに下って、羽黒山の麓の出羽三山神社の近くにある多聞坊という旅館に泊まった。
10/6夜出発
10/7 羽黒山
10/8 月山
10/9 湯殿山
だったが、8日は天気が崩れそうなので前倒しして、7日に登った。8合目は標高約1390mあるから比高600mくらいしかない。2時間歩けば登頂できる。弥陀ヶ原の池塘は今は草黄葉で覆われている。そこへ赤いナナカマドの実が美しく映える。
さほど高低差はないがやはり山路である。整地してある箇所は良いが、荒れたところは歩きにくく足に負荷がかかる。1740mの佛生池小屋はすでに閉鎖されていた。ここから頂上までも等高線は緩く歩きやすい。先ずは月山神社に登拝し、いったん降りて1等三角点にも登った。
後は往路を戻るだけだが、弥陀ヶ原の岐路から鳥居のある歩道に入った。日本海に傾きかけた太陽が草黄葉に当たり鈍く光る。まるでビロードのような感じだった。
Pに下って、羽黒山の麓の出羽三山神社の近くにある多聞坊という旅館に泊まった。
出羽三山の山旅②羽黒山 ― 2021年10月08日
夜、小用に起きると激しい雨音であった。日程を入れ替えて良かった。朝食後は少雨になったが宿で傘を借りた。
今日は414mの羽黒山の出羽三山神社へ登拝するだけの楽な登山であるから気が楽だ。傘をさして、五重塔とか、1000段の石段を上ると山頂に神社が建っている。参拝させてもらう。ただし414mの頂上は本殿の背後が工事中で踏み込めなかった。
そのまま下山。中途の茶屋で茸汁を賞味した。少し冷えた体に温かく美味しい。麓へ出るともうすることはなく、湯殿山へと向かった。ここも分かりにくい場所である、三山といいながら大きく迂回して山中へ向かった。
ここは出羽三山の奥宮という位置づけであり格式は高そうだが賑わいは一々か。ここの大鳥居のある参篭所が今夜の宿である。ひなびた山宿であるが温泉をひいてあるので少しは魅力がある。
今日は414mの羽黒山の出羽三山神社へ登拝するだけの楽な登山であるから気が楽だ。傘をさして、五重塔とか、1000段の石段を上ると山頂に神社が建っている。参拝させてもらう。ただし414mの頂上は本殿の背後が工事中で踏み込めなかった。
そのまま下山。中途の茶屋で茸汁を賞味した。少し冷えた体に温かく美味しい。麓へ出るともうすることはなく、湯殿山へと向かった。ここも分かりにくい場所である、三山といいながら大きく迂回して山中へ向かった。
ここは出羽三山の奥宮という位置づけであり格式は高そうだが賑わいは一々か。ここの大鳥居のある参篭所が今夜の宿である。ひなびた山宿であるが温泉をひいてあるので少しは魅力がある。
出羽三山の山旅③湯殿山 ― 2021年10月09日
朝起きるとすぐ朝食。質素なメニューが心地よい。今日はご神体である湯殿の拝観である。車でも行けるが、登山口までは徒歩30分というので歩いた。空は青く抜けるような快晴である。
歩き始めは少し小寒い気がしたが少しづつ汗ばんできた。周囲はブナなどの落葉樹の森と清流である。神社にありがちな杉はここでは見られない。
バスの終点は湯殿山への参拝路と月山の登山口でもある。多数の登山者が下りてきた。この先はご神体ということで撮影禁止になっていた。昔は口外するなという戒律があったそうな。
語られぬ湯殿に濡らす袂かな 松尾芭蕉
芭蕉は月山から駆けてきてきて参拝後は登り返したという。相当な健脚であった。8合目まで車の時代ではなく、羽黒辺りからすべて徒歩である。
なるほど、ご神体の岩から湯が噴出していた。昔の人はここに神をみいだした。
車に戻ると今度は問句箱に4句を投稿した。即席ながら。そしてあとはあつみ温泉に入湯の予定を残して現地を去った。あつみ温泉は日本海に近い山峡の山里さながこじんまりした温泉ホテルも建っている。その中の共同湯に入らせてもらった。熱い熱い。なので水で冷ましてやっと足を入れるまでになった。石鹸等はないので温まるだけである。
予定をすべて終えて後はまた帰名するのみ。幸い雨の日も大したことなくつつがなく山旅を楽しんだ。
歩き始めは少し小寒い気がしたが少しづつ汗ばんできた。周囲はブナなどの落葉樹の森と清流である。神社にありがちな杉はここでは見られない。
バスの終点は湯殿山への参拝路と月山の登山口でもある。多数の登山者が下りてきた。この先はご神体ということで撮影禁止になっていた。昔は口外するなという戒律があったそうな。
語られぬ湯殿に濡らす袂かな 松尾芭蕉
芭蕉は月山から駆けてきてきて参拝後は登り返したという。相当な健脚であった。8合目まで車の時代ではなく、羽黒辺りからすべて徒歩である。
なるほど、ご神体の岩から湯が噴出していた。昔の人はここに神をみいだした。
車に戻ると今度は問句箱に4句を投稿した。即席ながら。そしてあとはあつみ温泉に入湯の予定を残して現地を去った。あつみ温泉は日本海に近い山峡の山里さながこじんまりした温泉ホテルも建っている。その中の共同湯に入らせてもらった。熱い熱い。なので水で冷ましてやっと足を入れるまでになった。石鹸等はないので温まるだけである。
予定をすべて終えて後はまた帰名するのみ。幸い雨の日も大したことなくつつがなく山旅を楽しんだ。
微熱からちょっと高熱へ ― 2021年10月10日
昨夜は体温37.2℃で微熱だったが、今朝は38.3℃まで上がった。それでも汚れ物を洗濯して休養する。月曜日朝までに平熱にならなかったら保健所の指導を仰ぐか。
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