冷蔵庫饐へしものみな捨つるべし 福永鳴風2018年06月08日

 前田普羅晩年の弟子を自認する辛夷社の3代目の主宰。1923(大正12)年生れで、2007(平成19)年死去。富山市出身。辛夷社を拠点に北陸俳壇の指導者として活躍した。

 梅雨入り後、今朝は特に蒸し暑い。寝ていても体が腐敗しそうな気分がする。今日は生ごみを出す日。しかも午前8時に繰り上がったので、早起きして、以前から気になっていた冷蔵庫の整理を始めた。
 あるわあるわ、2012年、2011年の瓶詰めの惣菜など、保存のきくものであったが、珍味はすぐ飽きるので、しまいっ放しになりやすい。閉店前に値下げされた食品もちょいと買ってしまう。すぐ食すれば良いのに。もったいないの気持ちが冷蔵庫を一杯にしてしまう。続いて、冷凍庫も底を探るとやっぱり、使いかけの肉のパックなどが出てきた。3ヶ月以内なら利用するがそれ以上だと健康を考えて二の足を踏む。
 ある有名メーカーに賞味期限後の食品の安全度を電話で問い合わせた。レトルトパックは空気を遮断しているので腐敗は無いが風味は落ちてしまうでしょう、との回答であった。試しに食べたが、その通りであった。食えないことはない。しかし、美味しくない。
 必ずしも饐えたものではないが、賞味期限、保存期間を越えたものは忍びないが捨てることにした。10Lの生ごみ2袋になった。もったいないと思いつつ捨てた。咄嗟に思い出したのが掲句であった。

 因みに鳴風先生の句風はや、かな、けりをほとんど使わない。俳句の上でも抒情性があり、当時の流行作家だった水原秋桜子が新興俳句を囃した影響が反映されているように思う。俳句とは妻や子供など家族を詠むことが指導、喧伝された時代であった。
 普羅の弟子を自認するが、富山県に生れながら自然詠には積極的ではなかった。自然に没することは孤独を愛する人間でないと無理。愛妻家であった鳴風師の限界である。高浜虚子も普羅に対し、普羅君は山が好きだね、僕は人間が好き、と言ったという。
 基本的に文学、文芸の世界は人間嫌いで何ともならない。それは承知の上で、人間は自然の一部に過ぎないという感じ方のできる自然詠が良い。普羅はそれを詠んだ。普羅先生は天才だよ、と鳴風師は言われた。凡人としての覚悟を見た。