たまゆらの恋なりき君はセルを着て 深田久弥2013年05月21日

 表記の句と「おもかげに似たるホームのセルの人」とセットで鑑賞する。共にセルが季語になる。セルって何だろう。IT用語にもセルはある。表計算の一区画である。ここでは着物の名称になる。
 
 素人の解説よりも専門家の門を叩いた。ブログ「針箱 お着物まわりのお手伝い 針箱  -日々のできごと-」から。

 ウールと呼ばれる前のこと - セルカテゴリ:着物まわりの知識昨日は”ネル”のことを書きましたが、今日は一文字違いの”セル”についてです。

洋服地としての呼称はサージ。英語で"serge"。羊毛織物の一つです。

ここでは、和服・着物地としての”セル”をご紹介いたします。
和服地としても、初めは”セルジ”と呼ばれていたようですが、
”セル地”と勘違いしたことなどから、略されて”セル”となってしまったようです。

ネルと同様、単衣着物の生地として親しまれてきたセル。
明治の初期に輸入が始まりましたが、モスリン(メリンス)の約3倍の価格だったこともあり、ようやく明治終のわりころに広く普及。
大正・昭和にかけては大流行しました。

この頃の女学生といえば、”はいからさん”の格好ですが、あの袴はセルで作られたものが多かったそうです。中略。

初めに紹介しましたが、セルとネルは単衣着物として愛用されてきました。とくに季節の変わり目にあたる、初秋や初夏などには重宝されたようです。袷では暑く、夏用の単衣では涼しいという時に選ばれました。
以上

 分かりやすい解説に感謝します。深田にはすでに愛人の北畠八穂がいて同棲までしておったようです。ところが、友人の結婚式で偶然、目の前に初恋の人=志げ子(後の妻)が現れたのです。
 ちょうど、今頃だろうか、美しい女学生に見とれる東大の学生がいた。
 志げ子は当時15歳のセルを着たハイカラな女学生だった。遠くから見つめるだけの淡い恋心で終わった。初恋をたまゆらの恋(=かすか、一時期を意味する古語)と表現して作家志向の青年らしい。
 北畠八穂とは精神的、肉体的、文学的にも抜きさしならぬ関係になっていたが、八穂を捨てて、志げ子に走る。本当に好きだったのは志げ子だった。この恋は成就したが、作家としての道は絶たれた。
 朝日文庫『山さまざま』の中の「湯沢の1年」で後に山の作家として再起する深田久弥がある。食うや食わずの戦後のことだった。昭和39年の『日本百名山』で立派に山の作家の名声を得た。名声も束の間に、昭和46年3月、茅ヶ岳で死去。享年68歳だった。沢木は同じ石川県の盟友に追悼の句を詠んだ。上手い!人となりを良く知ればこそだ。

   ”さながらに羽化登仙の山霞   沢木欣一”

もっと詳細は
http://homepage1.nifty.com/B-semi/library/koiku/18fukada.htm

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