吟詠!麦秋の鈴鹿山麓2013年06月01日

   菰野町千草の里から3句
鎌ヶ岳背にそそり立つ麦の秋

麦秋やヘリ飛び周る釈迦ヶ岳

庭園のごと整然と植田かな

   釈迦ヶ岳をへめぐる
ほとばしる如く飛び散る梅雨の滝

緑なす空より滝が落ちにけり

新樹の間溪の水げに白し

巻き道の苔むす壁に滴れり

シロヤシオすでに落花を踏みて行く

イワカガミ健気に咲きし山の道

梅雨晴れやしじまを破るヘリの音

茂る山旋回したりヘリコプター

登り着けば迷彩服が屯せり

老鶯や近く来て鳴く薮の中

ほととぎす何処に隠れて居りぬべし

万緑や紅一点のヤマツツジ

    阿下喜温泉・あじさいの里
汗のシャツ脱ぎて至福の湯に浸る

湯上りに手でなでるわが洗ひ髪

    国道1号線から
逆白波立つ木曽川や梅雨大河

    アクアプラザながらの河口堰の魚道
活き活きと鯉泳ぐ梅雨の長良川

六月の歌2013年06月04日

 明け易い六月の朝。起きると、何だか烏の鳴き声がうるさいと思っていたら、桜並木の1本に営巣中だった。お腹を空かせた雛たちが親にエサをねだっていたのだった。桜の樹上高い巣を、通りがかりの人らが見上げて行く。山ではウグイスやホトトギス、カッコウが営巣中で子育て真っ最中であるが、都会では烏が繁殖力の強さを見せる。
 烏の子(親烏、子烏)は夏の季語であったとは露知らなかった。単に雀といえば春の季語だが、雀の子は夏の季語である。子供の頃、雀の営巣を見たくて屋根に登り、親に注意されたことを思い出す。小津安二郎の映画「生まれてはみたけれど」にも雀の卵を集める少年の話がでる。ただし、烏はやはり可愛いものではない。撤去して欲しいくらいだ。

巣に篭り親に甘えし烏の子

雛とても獲りたくもなし烏の子

警戒の鳴き声発し親烏

親烏どれが親だか知らず飛ぶ

 冷蔵庫に保存してある食べ物でさえ腐敗し易くなった。今日のゴミだし日にまとめて捨てた。”冷蔵庫とて饐えしもの捨つるべし”(鳴風)は6月の台所を的確に捉えた俳句だ。

黴生えし食べ物なべて捨てるなり

冷蔵庫死ぬまで不眠不休かな

一と缶は冷やしてありし冷蔵庫

色薄くとも新茶は味が濃し(伊藤園・九州産の新茶と銘打ってある)

牛蛙忍の一字で聞き流せ

鈴鹿・釈迦ヶ岳で行方不明?③2013年06月05日

 6/4の定例会で最近の山岳遭難をケーススタディした。特に近江の赤坂山の子ども2人のビバークには感心した。やたらに動き回らないことが無事の生還につながった。この際に釈迦ヶ岳の行方不明の捜索状況についても報告した。6/5は仕事の合間ができたので捜索に行くというと3人が乗ってきたので、6/5朝明P7時待ち合わせとした。
 S君が渋滞で大幅に遅れた。4人揃ったところで、予定の中峠から羽鳥峰峠までを範囲として捜索活動した。中峠への道はよく整備されている。もう10年以上歩いたことがない。大滝の上で一休みすると涼風が吹き抜けてゆく。切り立った崖に刻まれた山道を登る。タニウツギの花が美しい。上部で沢を横切り、左岸に移る。そのまま急斜面を登ってゆくと中峠に着いた。以前は笹原だったと思うが、今は裸地化している。
 峠も涼しい風が吹く。緑陰から出た所為で直射日光を浴びるが、うす曇りなので助かる。中峠からは断崖の上からの観察になる。時間をかけてあるく。低潅木の中の道をゆっくり歩きながら観察する。手がかりになるものは何も見つけられなかった。
 羽鳥峰峠の手前の追悼碑の前で一休みする。ホトトギスが盛んに鳴く。ここが事実上の昼食タイムになった。まだ11時前である。峠に下って、湿原も本当に久しぶりに散策した。潅木が多くなり、以前に比べると乾燥地化したように思う。
 峠からは谷コースを下った。この道も足元はしっかり踏まれてRFが必要だったり、危険と言える箇所はロープを張って、安全対策がしてある。下ってゆくと林道にでて、朝明に戻った。朝明茶屋に寄ると大勢の中学生が昼食中だった。名古屋市から野外活動に来たらしい。オーナーに捜索の報告とご挨拶をして、捜索の進展状況をお伺いした。
 6/1で自衛隊、四日市西警察署の捜索は打ち切られ、今後は三重岳連や鈴鹿の愛好家有志のボランティアになる。捜索した記録地図を見ると、県民の森上部で精細な捜索が行われた様子。携帯電話の電波が手がかりになると絞込みが楽になる。
 携帯電話を活用して救助を求めることができない不測の事態に陥っているのだろう。電波による科学的な追及と、地面を這うような人海戦術になる。これからは気温が上がり、雨が降り、蛭の活発化、草の繁茂などで捜索には不利になることばかりだ。一日でも早く、家族の元にお知らせできることを祈りたい。

白澤卓司氏の三浦雄一郎さんに学ぶアンチエージング2013年06月06日

 WEB版産経新聞から
 三浦氏の名冠した「冒険家大賞」創設、野口英世アフリカ賞以来 政府 
2013.6.6 19:21
 三浦雄一郎さん(左)からエベレスト登頂を記念して作られたカーペットを贈られた安倍晋三首相=6日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)
 安倍晋三首相は6日、史上最高齢の80歳で世界最高峰のエベレスト(8848メートル)登頂に成功したプロスキーヤーの三浦雄一郎氏の偉業をたたえ、大自然の中で人間の可能性にチャレンジした冒険家を表彰する「三浦雄一郎記念日本冒険家大賞」の創設を決めた。

 首相は官邸で三浦氏と面会し、「日本国民に勇気と元気を与えていただいた」と激賞。三浦氏の名前を冠にした賞を創設する考えを伝え、三浦氏も快諾した。
以上

 素晴らしいことですね。一方で以下の記事も後進の登山家の参考になる。ただ、知っておきたいのは三浦氏は北大獣医学部OBで助手をしていた。哺乳類の科学的知識はあるので健康管理に役立っていると思う。またアマスキー界ではトラブルを起しており、反骨の人でもある。

WEB版毎日新聞から

どうすれば安全安心:Dr・白澤に聞く 80歳でエベレスト、三浦さんの秘密 「絶対に登る」強い意志

毎日新聞 2013年06月06日 東京夕刊

しらさわ・たくじ 1958年、神奈川県生まれ。順天堂大大学院医学研究科・加齢制御医学講座教授。=須賀川理撮影

http://mainichi.jp/feature/news/20130606dde012100047000c.html

の2から

 約10年にわたってアンチエイジングの視点から三浦父子を見つめてきた白澤さん。そこからすくい上げた「長寿の秘密」のうち、私たちも実践できそうな健康法を挙げてもらった。

 一、自ら目標を立てる

 「定年を迎えたサラリーマンは社会的な活動をする期間が終わったとされ、目標を失ってしまいます。しかし、それは社会が決めていることで、実は本人の体力や精神力とは関係ない。エベレストに挑み続ける三浦さんの生き方は、それを自分で決めようというものです。年齢に縛られず自ら目標を立てる。そうすれば社会にも大きな活力をもたらすはずです」

 三浦さんも50代で世界七大陸最高峰のスキー滑降を達成し、冒険家としての目標を失った時期があった。たちまち体重は90キロ近くに増え“メタボ”に。しかし、父親が90歳を過ぎてモンブランのスキー滑降に挑戦すると言い出したのに刺激を受け、65歳のときに「70歳でエベレスト登頂」という目標を立てたのだ。75歳、80歳での登頂も、その延長線上にある。

 二、ビールは中瓶1本

 「とても肉が好きな人で、以前は韓国料理店に行っては焼き肉にビールという感じでしたが、最近は飲む量が減ったようです。ビールなら中瓶(500ミリリットル)1本、ワインならグラス3杯までと上限を設定しています。アルコールの量にして30グラム以下が適量です」

 三、肉と魚は1対1に

 「良質なたんぱく質を取ることはアスリートだけでなく高齢者にとっても重要です。コツは肉と魚を1対1の比率にすること。例えば今日、肉を食べたら明日は魚にする。
 魚には動脈硬化を抑制する不飽和脂肪酸が含まれ、牛肉には亜鉛、豚肉にはビタミンB1、羊肉にはカルニチンと、それぞれに違った栄養素が豊富に含まれています。だからバランスよく取ることが重要なのです。動脈硬化を促進する飽和脂肪酸を避けたい場合はバラ肉ではなくヒレ肉を選ぶ、あるいは、しゃぶしゃぶにして脂分を取り除くなど調理方法を工夫するといいですよ」

 四、野菜はたっぷりと

 「厚生労働省は野菜を1日に350グラム以上、果物を200グラム以上取るよう指導していますが、これは結構な量。お勧めはミキサーで野菜ジュースをつくることです。三浦さんもそうしていますよ」

 五、朝食に発酵食品

三浦さんは朝食にヨーグルトや納豆、キムチなどの発酵食品を取ることが多い。「発酵食品にはビタミンやミネラルといった栄養素が豊富に含まれ、消化吸収がいいなどの利点もあります。敬三さんが毎朝食べていたのが『納豆キムチ豆腐』。豆腐の上に納豆とキムチをのせただけのシンプルな料理ですが、骨粗しょう症の予防に適しています。敬三さんはテレビの健康番組をチェックして、試してみようと思った食べ物などをメモするノートを持っていました」

 六、トレーニング

 三浦さんは両足首にそれぞれ5キロ近くあるおもりを付け、リュックを背負って歩くトレーニングをしている。「あれは講演活動などで忙しいから日常生活の中でトレーニングできる方法として編み出したものでしょう。敬三さんは同じことをして転んだので、一般の高齢者にはお勧めできません。地下鉄の駅などで階段を上り下りすることで十分でしょう」

 七、笑いの効用

 今回の登山パーティーは標高8500メートルの最終キャンプで抹茶をたてて冗談を交わすなど笑いが絶えなかった。
 「高所で低酸素状態になると、血管が収縮して血液循環が悪化しますが、笑うと“脳内麻薬”と呼ばれるエンドルフィンというホルモンが分泌され、自律神経を安定させて末梢(まっしょう)の血管を広げたりする効果があるのです。
 雄一郎さんはノリがよくて周囲に笑いを振りまくような人なのに対し、敬三さんはコツコツと日々努力を重ねていくようなまじめなタイプ。ただ『目標に向かって前進する』というところは親譲りで重要な共通点です」

 「皆さんも富士山やエベレストに登れなんて言いません。温泉に行こう、海外旅行に行こうと、まずは家から出ることが大切」。帰国会見での三浦さんの言葉だ。
 白澤さんも「高齢期にQOL(生活の質)を保つのに大事なのは骨粗しょう症と認知症の予防。そのためには日ごろから体をしっかり動かすことが欠かせません」と指摘する。まずは歩数計で1日にどれぐらい歩いているかを知ろう。3000歩に届かないなら、ほとんど外出していない恐れがある。買い物に出れば4000〜5000歩にはなる。
 「骨粗しょう症の予防には6000歩、体力維持には8000歩、メタボ予防には1万歩以上が必要です。現状プラス1000歩という目標を立てれば、家の中でテレビばかり見ていた人も1日1回は買い物に出かけようとなるはず。
 歩数計とともに体重計、血圧計で毎日、自分の体調をチェックして手帳につけることが健康管理の第一歩です」
以上

 先立つものはカネということになるが、有名になればスポンサーがつく。有名になるまでの実績がいる。週刊文春6/18号が叩くのもカネの話。
「総費用1億5000万円!

三浦雄一郎80歳
エベレスト登頂は本当に快挙なのか
ヒマラヤ遭難死 河野さんは200万円」
とあるが、200万円は噓っぽい。600万円から700万円と仄聞している。それにしても桁違いのカネが消費された。道楽というよりビジネスに近い。しかし、無事デスゾーンを帰還したんだ、文春よ、そんなに叩くな。
 山頂に立つと風当たりが強い。高い山ほど強く偏西風の影響で立木も風下に伸びるほどだ。三浦さんも80歳でエベレストに立ったことで世間からの風当たりの強さも感じているだろう。しかし、何せ、反骨の人だ。雑音など意に介さず生きてゆく人だ。

鈴鹿・釈迦ヶ岳で行方不明?④2013年06月09日

 6/9(日)は複数の日程が重なる中、来週は降雨必至と思い、今日も出動した。2人の山岳会仲間と大井谷附近を捜索したもののすぐに下山。午前中に終わった。その内、捜索の情報を持った人が見つかったと教えてくれた。
 一旦、入浴も済ましたが、朝明茶屋に寄った際、留守本部が手薄なため消防署員のサポートで、再び登山靴を履き、汗のシャツに着替えて中尾根を登った。場所は中尾根の鳴滝コバの手前だった。枯れ木が折れた新しい断面におかしいと思った捜索隊の人が約150mくらい降りて発見されたようだ。
 登山道で転落した際に思わず握った枯れ木が折れて流れ谷側へ一気に落ちたと思われる。斜面には枯れ葉が堆積し滑りやすい。陥穽とはこのことだろう。持参のストック1本は真ん中で折損していたから体勢を立て直す余裕もなかったと思われる。
 今日は別の場所でも遭難事故があったようだ。ヘリもフル活動の様子。ヘリで遺体を山麓まで運ぶ段取りの最中だったが中途で下山した。

 こんな事故があったからといって、中尾根登山道が危険ということではない。足腰の弱った中高年登山者、初心者は一歩一歩を確実に地面を踏みつけて登ることだ。登山者自身が危険を把握して対応することだろう。携帯電話が使える場所だっただけに単独では急を知らせることもできない。昔から繰り返される登山の注意だが改まることはない。

 四日市西警察署員、守山と久居の自衛隊員、三重岳連等が総動員で捜索活動されたが悲しい結果に終わった。

腐臭こそ死者が生者に語りかける言葉 曽野綾子2013年06月11日

 のぼりんさんへ
 コメントは何度トライしても消えてしまうので本文で返信します。

 お誕生日だったのにちょっと巡り合わせが悪かったですねえ。

 大先輩曰く、日本人は遺体をそのまま山に放置しておけず、見つかるまで捜すよ、と。今回も大掛かりな捜索になりました。あれだけ動員して見つからず、私も9日が最後と他の予定を断って出動しました。

 朝、菰野町の麦畑の中を走っていたら、山麓から煙がまっすぐに昇っているのを見て、無風、今日は見つかるとの予感に胸が騒ぎました。

 思い出したのは曽野綾子の近刊『この世の偽善』(金美麗との共著PHP)という本の中の一節に「腐臭こそ、死者が生者に語りかける言葉」と書いています。今日こそは見つけてくれと死者が教えてくれたのでしょう。

彼は、釈迦の山に咲くシロヤシオの落花のごとく、転落死され、卯の花の盛りになって出て来られた。家族にも会われたし、きっと安らかに成仏されていることでしょう。

梅雨夕焼け2013年06月14日

 いよいよ空梅雨の傾向あり。降りそうで降らない。泥で汚れたマイカーの洗車を延び延びにしていたが今日こそはと洗車してさっぱり。内側の窓ガラスも水拭きした。ゴム部分に黴が生えている。こんな場所では俳句にはならない。

 スーパーに寄った。レジ待ち中にはお母さん風の女性が幼児を「剣」と呼ぶので、ご主人は山やさんですか、と聞くとにっこり肯かれた。こんなところにも夏山インの気がする。ところで、明日はNHKの登山教室で錫杖ヶ岳へ随行の予定。この時期にこんな低山もあるまいと、気が利かない委員をうらんだ。

 帰り際に西空を見上げると夕焼けだきれいだ。これは梅雨夕焼けか。

 帰宅後、俳句会を休んでいた女性から久しぶりに電話があった。家事のことでストレスが高じて句作どころではなくなったんだが、所詮、人生のことはすっきり解決することは少ない。諦めて、句作を再開する由。人生は諦めなんだ。ここまではやりたい、すっきり解決したい。中々できないとストレスがたまる。

 芭蕉の人生も諦めではなかったか。伊賀上野の若殿が早世して仕官をあきらめ、江戸へでて、江戸城の土木工事の監督に飽き足らず、俳諧の道も小金持ち相手の宗匠生活を見切り、妻帯を諦め、野晒しを覚悟の旅に人生を見出す。俳諧の他に道なし。生きるということは自分が一番真剣に取り組む仕事を見出すこと。

 株式投資の指南書にも株の利益は諦めなんです、とある。もうこれでいい。黒字ならいうことなし。赤字でもこの程度の損で済んだか、という諦め。とことんまで相場に付き合うと追証に追いまくられ、資産形成どころか自宅を失いかねない。自己破産への道もある。株式投資で財を築くも、破産は数知れず、ピストル自殺したものもいる。

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母が子に「剣」と呼ぶや梅雨夕焼

洗車して拭くや額の汗ぬぐう

明け易し寝覚めの悪き本の題

梅雨空の錫杖ヶ岳に登る2013年06月15日

梅雨時というのに無残にも湖底を晒す
 今日はNHKの登山教室における実地登山の日。標高は676mという低山歩きは初心者には親切だが、山の性格はちょっと骨っぽい。朝、7時過ぎに栄のNHK前を出発。四日市IC常態化した渋滞もなくスムーズに登山口に着いた。かつて登った記憶のあるところで、今は卯の花が歓迎してくれた。
 登山口からは総勢18名が歩き始める。植林内の沢沿いの道はよく整備されて歩きやすい。柚之木峠に着くと風が涼しい。ここからはやせた尾根の登り一本調子の道となる。どちらに落ちてもケガだけでは済まない急峻さである。
 尾根の登りが一段落するとシライトソウの群生が目に付いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%BD%E3%82%A6
 http://www.plantsindex.com/plantsindex/demo_html/demo_db/result61580.htm
http://www.geocities.jp/mc7045/sub280.htm
 ヒトリシズカに似ていなくもないがちょっと違う。

 続いて歓迎された白い花はエゴノキの花だった。もう樹上から落ち始めている。

http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/ego.htm

 エゴの花は文学性も高いようで、万葉集にも歌われている。

http://manyuraku.exblog.jp/13312941

 花の饗宴が終わると、いよいよ最後の岩場の登りになる。鎖、ロープがあり、無難に登れるか。足元を見ながら見守る。一気に高度を上げて山頂に着いたが、あいにく梅雨空で遠望は利かず、経ヶ峰が見えるのみで、眼下には錫杖湖の湖底が見えて、渇水が目に痛々しい。空梅雨を示す典型的な風景である。
 頂上で記念写真の後、少し下った東屋で昼食をとる。こんな日でも登って来るハイカーがいる。食事後は錫杖湖側へ下る。風の通らない蒸し暑い林内の下りは楽だったが不快指数の高いものだった。
 村落に着くと車道を少し歩いて行くとクルマが待機していた。トイレのある湖畔まで行ってクールダウンの体操。帰名の途に着いた。途中から降り始め、名古屋は雨だった。NHKの地下にある居酒屋で軽くビールで反省会を開いて解散した。有意義な一日になったでしょうか。

追記
 6/17付けの中日新聞夕刊の一面に大きく「空梅雨深刻空に乞う」とあり、私たちが登った2日後の6/17に湖畔で、ダムの水の利用者50人が水位回復の行事で「雨たもれ、雨たもれ」と祈られたようだ。
 記事には錫杖ヶ岳が雨乞い信仰の山だったとの記述がある。ダムのある今でも雨が降らなければ雨乞いをする。今に生きる信仰の山だったのだ。

梅雨晴れの冠山を歩く2013年06月16日

 朝7時、友人と合流して揖斐川町の冠山へと走る。冠山峠に着いたのは9時半だった。早いものである。

 古い時代を知るものには隔世の感がある。いたずらに昔を懐かしむのは年を取った証拠だろうけれど、28歳ころ、レンタカーに乗って、馬坂峠を越えて、本郷へ下った。徳山村は明けたばかりであった。下りの道から朝餉の支度の煙が昇るのが見えた。徳山村初見であった。そして冠山に登るために峠へと走った。

 本郷から最奥の村、塚の更に奥に聳えていた。冠山は奥美濃のマッターホルンと呼ばれていた。特異な山容がそういわせたのであろう。奥美濃の初の登山だった。あれから35年の歳月が経過して、目ぼしい山はみな登った。励谷は登っていたが、湖底に沈む前にと競うように赤谷、金ヶ丸谷、根洞谷なども踏破できた。前夜発沢中一泊で切り抜けた。

 冠山はだから原点の山といってもいい。

 映画「ふるさと」に描かれた山村風景の懐かしさ。『徳山村史』を読んで歴史の古さを知った。

 今は東洋一というダム湖が出現した。渇水が言われるが、ここは満水に近い喫水線を維持していた。かつては羊腸の道を走ったが、今はトンネルと橋でつないであっという間に冠山峠に行ける。

 峠の福井県側、岐阜県側とも想像以上に多数のマイカーが止まっていた。梅雨時最後のチャンスと見たか。多くのハイカーが登ってゆく。登山道は一旦ピークを踏んで結構下って登りかえす。途中のブナの原生林に霧が流れて素晴らしい。朴の花が遠くに見える。アザミの花、タニウツギ、ユキザサの花、ギンリョウソウも見える。やがて、冠平への道を分けて山頂へは最後の登りが待っている。北アルプスの岩場のような登りが続いて、薮に隠れた道を登ると山頂だった。
 しばらくすると徳山ダム湖も俯瞰、冠平も小さく見えた。山頂を辞して下り、冠平へ行くと、ニッコウキスゲの花が美しく咲いている。これからの花である。登山道に戻って、往路を引き返す。
 峠に下って、R417を走る。徳山会館に寄った。職員としばし雑談に花を咲かせた。きはだの話をした。森本次男『樹林の山旅』にでてくるキハダの村のこと。キハダならあるよ、と教えてくれた。何と試食もできて、苦味を味わうことができる。世界に土産物多々あれど、苦味で売るのはこれだけであろう。一袋300円。ウツに悩む友人に買った。以前、よくキハダのことを書いていた。山でキハダを見つけると嬉しがった記憶がある。
 藤橋村の道の駅で入浴。駐車場には一杯の車が溢れていた。その帰りにはアユ料理をと、道草にも熱心だった。揖斐川沿いにはなく、根尾川沿いにでてヤナの店に入って賞味できた。
 
 梅雨時というのに崩れそうにない良い天気で終わった。

第37回天白川俳句会三周年!!2013年06月24日

 早いもので、地元で、足もとで句会を、と2010年5月末に立ち上げて、もう3年経過した。タウン誌に会員を募ってみたら70歳代の女性2名に知人の同年代の女性も加えて4名でスタート。そのうち1名が病弱で来られなくなり、半年後、新たに募ったら、男性1名、女性1名が加わり、5名となった。以来、この体制で経過してきた。
 方式は最初こそ1人10句の雑詠を求めたが、大変というので5句に減らし、渾身の句評が効果を上げたようだ。力がついてくると、それぞれが物申すようになり、会合らしくなった。目指すところは小沢栄一的な句会である。会員のすべては人生経験充分な人ばかりなので後はてにおは、文法、例示などでアドバイスしていく。一言一句聞き漏らすまいとメモされる。時には反論もでてくるようになった。充実してきた、と思うが、時には何で、とおもうような句も出されて戸惑う。
 6/23は何はともあれ、よく続いたということでちょっと改まった料理屋で三周年のお祝いということになった。

 短評

 六月やメンデルスゾーン高らかに      且行
・・・ジューンブライドを彷彿する。結婚行進曲が高らかに聞こえてくるような一句。作者も喜びに浸っているのだろう。もちろん結婚行進曲を指す。http://www.youtube.com/watch?v=9Wd-KwthQ7s 

 梅干をつける仕草に惚れ直す        且行
・・・愛妻家と見える。”梅漬けてあかき妻の手夜は愛す”(能村登四郎・句集「咀嚼音」から)を思い出した。引用の句は能村が40歳ころの作品に対し、掲載の句は70歳前後の人だが老いを感じることはない。

 木いちごの紅を摘みにしファランドール   順子
・・・http://www.youtube.com/watch?v=BAyJovBpABAを聴く。いつしか聴いた名曲と分かる。
 句の説明では収穫の喜びを子の気分を味わうのだという。やや飛躍があるが、分かる人には分かる。

 バス待つ間成らぬ想いを草いきれ      順子
・・・中々、結婚したがらない適齢期の娘を持つ母親の苦悩が現れている。小津映画の名作「晩春」や「麦秋」の世界である。映画ではようやく重い腰をあげて嫁に行く。「麦秋」では子持ちのやもめに嫁いでゆくのだが・・・。

 天空にしげる若葉の鸇(サシバ)の巣       宏子
・・・大景である。単なる鳥ではなく、サシバと具象的であり、ワシタカの仲間なので悠々と大空を飛翔する姿の嘱目吟。時は若葉の頃で、サシバも営巣中であった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B7%E3%83%90

 足柄の山路の奥や熊谷草             宏子
・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%82%A6の写真で見るのみで、実物は未見である。一度は見たい幻の山野草である。絶滅危惧種のようである。

 夏至の夜やかいなを撫でる外の雨    和子
・・・神経を病んでいるそうだ。それならば、梅雨時の冷えは一層体に悪いだろう。窓の外は雨が降っている。雨を見ながらかいなを撫でている作者。

 童女乗せちゃぐちゃぐ馬っ子祭の音    和子
・・・一見すると何を?と思ったが、子ども時代は東北で育った作者の追憶の一句。南部盛岡地方の駒祭になると句のように馬に乗せてもらう。馬子は自分の馬に化粧綱をつけて祭り気分に浸る。
WIKIから http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B0%E9%A6%AC%E3%82%B3
滝沢村 http://www.vill.takizawa.iwate.jp/01chag/
 こんな俳句こそ宮坂静生氏の提唱する「地貌季語」というものだろう。http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201206070301.html