やった!80歳で世界最高峰に登頂の快挙2013年05月24日

WEB版産経新聞から
三浦さん、エベレストに登頂、史上最高齢80歳の夢実現
2013.5.23 12:28 [アジア・オセアニア]

80歳で3度目のエベレストの頂上に立つ三浦雄一郎さん=5月23日9時、ネパール・プモリ・キャンプ1から(早坂洋祐撮影) 
 【プモリ・キャンプ1(ネパール)=早坂洋祐】80歳で3度目の世界最高峰・エベレスト(標高8848メートル)登頂を目指していたプロスキーヤーの三浦雄一郎さんは23日、登頂に成功した。80歳7カ月での最高齢登頂記録となった。

 登頂したのは三浦さんをはじめ、次男の豪太さん(43)、登攀(とうはん)隊長の倉岡裕之さん(51)、撮影担当の平出和也さん(33)の日本人隊員4人と、登山をサポートした6人のシェルパたち。

 三浦さんらは23日午前2時15分(日本時間同5時半)ごろ、最終キャンプ(8500メートル)を出発。無風快晴の天候の中、午前6時40分には8700メートルの南峰まで到達。最後の難所の岩壁「ヒラリーステップ」を越え、“地球の頂点”にたどり着いた。

 三浦さんは2003年に70歳で、08年に75歳でエベレストに登頂。その後、スキー事故による骨盤骨折や持病の不整脈を乗り越え、今年3月29日に日本を発ち、エベレスト街道でトレッキングを開始。4月16日にベースキャンプに到着、5月16日から頂上アタックを始めた。その後、6カ所のキャンプを経由して頂上を目指していた。

http://sankei.jp.msn.com/pdf/2013/05/20130523miura.pdf
【号外】三浦さんエベレスト登頂 最高齢80歳で成功(PDF)
以上

 三浦ドルフィンのHP
http://www.snowdolphins.com/

 三浦語録
・小さな挫折や失敗を気にせず、「今日はこれだけやれた」という達成感を積み上げていく。無理しない範囲で、できることを積み重ねていけば、やがて無理がきくようになります。私は70歳でエベレストの頂に立つという大きな目標を掲げながら、日々の生活では階段を一段一段上ることに意義や喜びを見出してきました。
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・トレーニングというものは、いつでも、どんなレベルでも疲れるものです。これをやり続けるためには、焦らず、常に前向きに物事を考えることが大切です。二日酔いで一日トレーニングをさぼっても、自分を責めたりしない。明日からなんとかなるさ、と大雑把に考えた方がいいんです。
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・私の父親は、あと数カ月で100歳になりますが、今年白寿でモンブランでのスキー滑走をやってのけた。98歳から99歳の二年間で本も三冊書いています。その姿を間近に見ていたら、自分もまだまだと思わずにはいられません。エベレスト登頂を前にして、私の体力が、30代後半の水準まで戻ったのは、父親に負けてはいられないという思いが、それだけ強かったからかもしれません。
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・いま、企業で働く中高年には、夢をなくしていた頃の私とだぶる人が多いような気がします。会社の業績もいまいちで、何とはなくしょぼくれている。年齢的にも「もう限界」と挑戦を諦めているのではないでしょうか。でも、私がそうだったように、50歳、60歳からでも相当のことができるんです。
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・再びやる気になっても、初めはまさに醜態をさらす状態でした。札幌の自宅から藻岩山に登ってみたんですが、過去の栄光は見る影もない。「たかが500メートルの小山」と思っていたのに、途中で息が切れて先に進めなくなった。その横を70歳、80歳の人たちがスイスイ追い越していくんです。世界のミウラの横をですよ。
【覚書き|53歳で世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げた後、目的もなくトレーニングしていなかったために体がなまってしまったこと当時を振り返って】
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・53歳の時に、世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げて以来、私は全く普通のおじさんになってしまいました。冒険家としての挑戦は、この辺でいいのかなという気がして、飲み放題、食べ放題。その結果、164センチの身長で体重は80キログラム以上に増え、高血圧に高脂血症、おまけに糖尿病の兆候まで出てきた。そこから、「人生、このままたそがれてちゃいけない」と一念発起し、本気でエベレストを目指して始めたのは6年前のことです。
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以上

 語録を読むと、いかに目標が大切か分かります。
 私の山仲間で日本百名山を達成した人が何か最近はえらい、というのです。疲れるのか気力が入らないのか、目標を達成して次に向かわないと腑抜け同然になりかねません。
 私の場合は「ぎふ百山」の二順目です。かつて登った山をスキーか沢から登りなおす途上です。
 
 若い頃はヒマヤラだの海外遠征だのと燃えていたのに次第に燃え尽きてただのおっさんになってしまう話はよく聞きます。情熱は継続しがたいようです。かつては山三昧だった人も結婚、家庭、仕事に縛られて、やることはゴルフとかテニスのような大人しいスポーツに堕してしまう。三浦さんほどではないにしてもコツコツと静かにいいとおもう山を登り続けてゆきたいものです。

髭白きまで山を攀ぢ何を得し 福田蓼汀2013年05月24日

 三浦雄一郎さんが世界最高峰に80歳の高齢でチャレンジし、見事登頂した。新聞各紙も祝福している。登山をやらないフツーの人々にも感動を与えたことだろう。

 中日プラスの「達人に訊け」の中の「世界の山々3」の記事にはエベレストの7初登頂は1953年5月29日だったとある。丁度60年前の今頃である。
http://chuplus.jp/blog/article/detail.php?comment_id=1076&comment_sub_id=0&category_id=240&pl=2624639952

 エベレスト初登頂から3年後、1956年5月9日の日本山岳会のマナスル初登頂では日本中が沸き立ったという。
 俳人の山口誓子は病弱だった青年期を過ごした四日市市から毎日眺めた鈴鹿の山々のうち、御在所岳に挑戦して見事登頂した。初登頂から半年後のことだった。マナスルが彼の病まで克服させたのである。
 
 表題の俳句は新聞で三浦さんの顔写真を見て思いついた一句である。登山が夏の季語になっている。髭どころか髪が真っ白で三浦雄一郎翁と呼びたいほどである。私も鬢(びん)に多少白いものが混じるようになって気恥ずかしい。

 作者のことはココ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E8%93%BC%E6%B1%80
 人口に膾炙した名品は

   福寿草家族のごとくかたまれり

 であろう。この俳句のように、彼の今までの成功は、同行した次男の豪太さん、銃後の守りを預る妻や長男の嫁たちなど三浦一族の結束がもたらした。友人らの協力も大きい。亡くなった加藤幸彦さん(名古屋山岳会)も草葉の影で喜んでいることだろう。

http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a19300/literary/fukuda.html

 何を得し、って言われても、性(さが)、或いは業(ごう)というしかない。三浦さんなら夢を得し、というだろうか。登山はのめりこむと果てしない欲に駆られる。どこかで登山靴を納め、ピッケルをしまうときが来る。

 とまれ、無事の下山と帰国を望む。