日中の不幸再び2010年09月26日

 またしても中国が本音をさらけ出しています。仙谷官房長官は井の中の蛙なんでしょうか。逮捕なんかしてはいけなかった。中国、韓国、北朝鮮とは距離をおいて付き合いたい。そういった先哲はいたのだ。福沢諭吉の脱亜論、学問のすすめにある。他のサイトからコピーさせてもらった。
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福沢諭吉 「脱亜論」    福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)より

  日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと 人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
 国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

<今回でも自分から衝突しておきながら賠償と謝罪を求めるとは>

もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。 「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

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 然るを支那人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに夷狄々々と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賎しめこれを嫌い、自国の力をも計らずして妄に外国人を追い払わんとし、却ってその夷狄に窘めらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずして我侭放蕩に陥る者というべし。王制一度新たなりしより以来、我日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。
  
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 かたや支那人は、外国人を四足畜生のように貶める。なんとわがまま放蕩であることか。

  
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 このような先哲がいたにも関わらず防共を目的に満洲国を建国したり、結果として日中戦争から太平洋戦争に及んでしまった。そのことを今もって攻め続けている。

 日本の経済人は後ろめたさを持ちながらも儲かりさえすればいいとかつてのことを忘れて中国に多額の投資を積み重ねた。それが今日の中国の経済の発展の元になっている。日本人の節操のなさも見抜かれているのだ。ソ連が崩壊したのは日本の投資が及ばなかったからだろう。北方領土問題を抱えて投資できるわけがない。
 北朝鮮とは拉致問題が未解決のままだ。そんな国に投資も経済援助もできるわけがない。今もって貧乏なままだ。だから中国も抑えるのがいい。我先に中国へとなだれ込む過当競争体質の日本も見抜かれている。伊藤忠出身の某大使さんは中国を知るためにもっと苦労して欲しい。

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