国勢調査の説明会参加2010年09月01日

 今日は午後から5年に1回行われる国勢調査の説明会に出かけた。引き受けるのは初めてで会社員時代にはやれなかった仕事である。聞いてみると年々やりにくくなるとの話。何がってプライバシーの問題に非常に神経質に対応せざるを得なくなった。これも時代である。
 ただし、私は1棟の団地を上下するだけでしかも雑多な人間とはいえ似たような生活者ばかりだ。その点は安心だ。中には大学生とか、フリーターとか非協力な人への対応も聞いた。そんなものだろうか、と思う。 9月半ば以降雑用といえば典型的な雑用であるがこれでも準国家公務員の扱いになるとか。大切な国のデータ収集だからやむを得ない。そこで思い出すのは高齢者の死亡の無届の問題である。届けずに年金を不正に受給するなんて無茶だ。役所も堅いようでどこか手を抜いていた部分があった。図らずもそれが分ってよかった。国勢調査でもプライバシーの調査になるがしっかり把握してもらいたものである。

「東海白樺山岳会の仲間たち」閉鎖の予告2010年09月11日

 以下の通り、2004年以来長きにわたってアクセスしていただいたサイトは無料サービス終了を契機に閉鎖させていただきます。同時に掲示板「行ってきました」も閉鎖になります。
 サイトに組み込んであるブログ小屋番の山日記は運営会社が別ですので継続します。引き続きお読みいただけます。もともとブログの軽快さと簡素な点はホームページの比ではありません。そのためにホームページの更新を怠ってきたことも事実です。
 何か継承していく内容がないかどうか検証しましたが特別に希少性はないし残したくなる有用なコンテンツもないと判断しました。しかし新たなサイトを立ち上げるにはエネルギーが要ります。今は別の趣旨をもったブログを立ち上げる準備中です。このためにその余裕もありません。
 とりあえず当サイトは10月31日で閉鎖の予告をします。

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平素は、Infoseek をご利用いただきまして誠にありがとうございます。

インフォシークでは、2001年より、
・インフォシーク iswebライト (無料ホームページサービス)
・インフォシーク iswebライト 広告非表示オプション (有料版)
を提供してまいりました。

しかしながら、昨今のインターネット環境の変化を受け、弊社内にて慎重に検討を重ねた結果、誠に勝手ではございますが、サービスを終了させていただくこととなりました。

「インフォシーク iswebライト」、および「インフォシーク iswebライト
広告非表示オプション」を長年ご愛顧いただいたみなさまに、ご迷惑を
おかけすることを深くお詫びします。

※サービス終了に関するお知らせ
http://plaza.rakuten.co.jp/usersupport/diary/201008250000/


[サービス終了概要]

■サービス終了予定日
2010年10月31日(日) (11月1日に終了作業を行います)

■終了対象サービス
・インフォシーク iswebライト (無料サービス)
・インフォシーク iswebライト 広告非表示オプション (有料サービス)
※インフォシーク iswebベーシック (有料サービス)は今後もサービスを継続します

蛇峠山散策行2010年09月12日

天白区ハイキング講座の最終日は蛇峠山の高原散策で終わった。6/20の座学、7/25の猿投山ハイキングと続けてきた。受講生は6名プラス1名、スタッフは常に数名が応援にきてくれた。初心者の世話をすることが結構楽しく新鮮な気分を味わった。

蛇峠山は標高1663.9mと高い。9月中旬ならばもう涼しいと考えた。しかも登りは1時間前後と楽な山だ。予想が外れて暑くても何とかなる。

7時、植田駅に集まったのは11名。受講生は1名が都合で取りやめて6名。スタッフ5名と万全の体制だ。何かあっても充分対応可能であろう。

久々の猿投グリーンロードを通過してR153をドライブし治部坂峠に着いた。約100km弱で2時間ほど。三河、信州の快適な高原の山村ドライブだった。

別荘地を通り抜けてゲートに車を置いて以前はなかった遊歩道を登る。余りにもハイカーが多いので村が整備したのだろうか。岳樺の森を歩くとさわやかな信州の暑いながらも乾いた風が心地よい。

一旦車道に出たり遊歩道に入ったりして山頂付近で車道を通して歩く。雲が厚くて遠望は利かないが近場の山はすっきり見える。足元にはマツムシソウ、ウメバチソウ、ニガナ、アキノキリンソウ、リンドウなどが咲き乱れる。特にマツムシソウが多い。参加者の皆さんが喜んだ。

そうこうするうちにのろし台に着いた。パノラマの看板がある。のろし台の歴史があるので展望は折り紙つきである。今日はあいにく遠望は利かないが・・・。

山頂へは一旦ゆるくくだって登り返すと鉄骨の櫓がたつ山頂だった。W君が美味しい梨を剥いてくれた。実はスイカを予定したがもう市場から姿を消していたのだった。スイカはいち早く現れていち早く消えて行く代表的な果実である。

昼飯には時間が早すぎるが何となく昼食の雰囲気となった。自己紹介などして時間を埋めたがすばらしい気候がさわやかな気分を支えてくれる。その三角点のことなど話して下山した。

それでもまだ12時前だ。帰りは治部坂峠の温泉に入湯して帰った。持ち帰りたいほどのさわやかな空気も名古屋では蒸し暑い不快な感じに変わった。やれやれまだ残暑が厳しい名古屋だな。


信州の山ならではのマツムシソウ

山頂に立つさわやかな風の吹く

秋雲は絶えず流れてみんなみへ

天魚の模様のごとき鱗雲

新涼や狼煙の跡ののろし台

三角の大川入山秋高し

手際よく梨が剥かれて差し出され

ジューシーな梨の果汁がほとばしり

差し入れの栗を剥くげに手間をかけ

噛むでなし飲むでなしつるっと葡萄食ぶ

南信濃残る暑さも気にならず

コスモスの風に揺られる峠かな

軽やかに舞う秋のてふ見ていたり

山の田に稲穂の垂れる三河かな

秋の日を浴びて黄金やミネアサヒ

二つの「いば昇」(うなぎ屋)2010年09月16日

 じわじわと残暑が遠のいてゆく。朝夕はもう秋そのものだ。窓を開けているとちょいと小寒い。蒲団が恋しい季節である。ぐっすり眠れて朝の寝覚めが今日は良かった。
 思いつくのは久々にうなぎ丼を食べたことだがいつもはこんなに顕著ではない。多分うなぎの肝焼きのせいだろう。時価とあるので問うとひと鉢800円と高価だ。しかしビタミンたっぷりなので疲労回復効果を狙って注文したのだった。
 豚のホルモン焼きとかうなぎの肝焼きは疲労回復が顕著だ。ビタミンB1剤も3日続けていくとすっと体から疲労が抜けていることを自覚する。しかし所詮は薬剤であるから避けたいものだ。高くても食品を選びたい。生さんまはうなぎに倍するビタミンがあるという。せっせとたべて厳暑の疲れを取りたい。
 ところで「いば昇」なる店は二つあることを知った。私はいつも栄店に行く。最近岳連の機関紙に広告を出してくれたので女将さんらしい人に聞くと知りませんだって。店違いと思って突っ込んで聞かなかった。自宅に戻って機関紙の広告を読むとなるほど「いば昇」には違いないが錦店と分った次第。地図で見るといつも通過する通りにあるが気がつかなかった。錦店の方はまた日を置いて行ってみよう。

敬老の日2010年09月20日

 前日夕方は会場作りのために天白区役所講堂に出向く。約400席の椅子を並べて終わった。
 今日は朝8時半から出動開始。終始駐車場の誘導係の役目。日射が強く立ったままで疲れる。記念品だけでもと取りに来る人が圧倒的に多い。アトラクションは中学生のブラスバンド、地区婦人会の踊り、フラダンスなどの他警察署の署長の訓話みたいらしい。詰まらなそうな気がする。これでは動員は難しい。
 12時過ぎに終り、テントを撤収、弁当とお茶をもらって解散した。規模が大きすぎてこうなるのだろう。小規模ならもっときめ細かい行事になる気がする。そうすると予算が足りない、人手が足りない、市への圧力もかけられない、などの懸念もある。
 喜んでもらえるならいいが何となく徒労の二文字が浮かんだ。


      敬老の日や弁当は稲荷寿司    拙作

国勢調査のお仕事開始2010年09月21日

 昨日夕方からは敬老の日の行事が終わったと思ったら地域のパトロールに出かけた。徒歩で一区画を夜回りする。いまはびっしり住宅が立て込んでいることを嘆くでもないが古くから住んでいる人は雑木林で鶫がとれたし、炊き込みご飯にすると旨かったとか昔話を聞いた。要するに冬の鶫は油がのって旨いものだったのだろう。当時でも霞網は禁じられていたから釣り針で仕掛けたそうだ。
 道々そんな話を聞きながら現在の地形の改変の変わりように驚かれた。約1時間で一周したが秋口とはいえうっすら汗をかく。コミセンに戻るともう暗かった。
 そんな世間話に国勢調査の話もあってビラを配布し終わったということで当方も今朝からとりかかった。説明会で聞いたことはもう忘れてしまった。また一から説明を読むがよく理解できない。マンションでは一世帯に別名で住むひともいるから事実上の2世帯になる。そんなこまごましたことを電話で解決しながら書き込んで行った。そしてもう一度各戸を回って表札のある世帯をチエックした。すると4年前の名簿とはもう入れ替わっていたりして変化があったことがわかる。
 いまの時代は個人情報の保護のやかましいことになって郵送になった。隣の事情が筒抜けになった昔はもうない。その象徴がこの夏騒がしかった戸籍上の高齢者の生存であった。死亡届を出すか、出さないかで家族がサボると全国的には大騒ぎの元になってしまった。
 大変な時代である。

清冽な谷を溯り!激藪とたたかう究極の登山!奥美濃の天狗山に無情の雨が降る2010年09月24日

 
空はどんよりしているが緑濃い親谷に入り思わず呟いた

奥美濃の山はいいなあ!

登山口の表示がない、赤テープがない、踏み跡がない、登山をサポートするものはないからわれわれの力だけが試される。これが究極の登山なのさ。

雷雲が上空を通過していく

滝を直登したり、高巻きしたり

水流の尽きるまで行くと激藪の世界

根曲がり竹を踏みつけ、くぐったり、

危うく眼鏡を飛ばしそうになりながら

山頂の三角点に着いた

楽しく弁当を広げたりして決してくつろげる雰囲気ではないが

満足感が強い

そのまま戻るかと思えば別の谷を下るという

再び尾根の激藪に突入さ

ブナが素晴らしく綺麗な樹皮を魅せる

地形図を片手に首っ引きになりながら

下る尾根と谷を目指す

時には戻ることもあったが

ピッたしで目的通りの谷を下れた

途中で日没、またもビバークかと案じたが

杉の植林内に残るかすかな踏み跡が見つかった

18時過ぎ、車の音と赤い尾灯が眼下に見えて一安心

車道に飛び出した

戦い済んで日が暮れて!

国勢調査用紙の配布2010年09月25日

 9/23から9/30までに国勢調査の記入用紙を配布することになっている。今朝9時半から各戸を廻って配布作業をやった。不在者も多かった。11時半までかかる。しかしデスクワーク程ではない。
 午後2時からが愛知会で遺産相続手続きの研修会があるので参加した。研修室は3F4Fと映像でつないで実施するほどの盛況であった。高齢社会を迎えてかなりの需要がある分野なのだろう。専門でなくとも相談は受けるので知識を蓄えておかねばならない。
 講師は若干30歳代の若手行政書士さんだった。この夏に専門の書籍を出版されたとかでテキストにつかった。話は実務的で自信が付いてくるような内容であった。実務家だから当然だろう。事務所要員も増員をはかり繁盛しておられる様子だ。
 事務所に戻って現在入力中のホームページ(といってもブログだが)の内容を実践的に書き直した。話を聞くと通り一遍の解説書だけでは分らない煩雑な手続きが多そうなので報酬も細分化してやや高くした。そうしないととても引き合わない感じだ。講師の東先生も大変ですよ、報酬もそれに見合うようにしてくださいね、とのアドバイスもあった。ある弁護士のサイトを参考に見たがみな高い。しかし紛争を伴わない場合は三分の一と但し書きがあった。弁護士への相談には紛争がつきものだろう。途中で高くするよりはいい。
 9/24に契約したボイスワープが早速届いた。事務所に電話すると指定した電話に電話してくれるのだ。不在がちな事務所には必須のシステムだ。思いつきで色々準備してきたがそろそろHPも公開するかな。地元ミニコミ誌にも広告掲載を依頼しなくちゃね。

日中の不幸再び2010年09月26日

 またしても中国が本音をさらけ出しています。仙谷官房長官は井の中の蛙なんでしょうか。逮捕なんかしてはいけなかった。中国、韓国、北朝鮮とは距離をおいて付き合いたい。そういった先哲はいたのだ。福沢諭吉の脱亜論、学問のすすめにある。他のサイトからコピーさせてもらった。
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福沢諭吉 「脱亜論」    福沢諭吉 「脱亜論」(明治18年)より

  日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと 人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
 国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

<今回でも自分から衝突しておきながら賠償と謝罪を求めるとは>

もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。 「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

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 然るを支那人などの如く、我国より外に国なき如く、外国の人を見ればひとくちに夷狄々々と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賎しめこれを嫌い、自国の力をも計らずして妄に外国人を追い払わんとし、却ってその夷狄に窘めらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずして我侭放蕩に陥る者というべし。王制一度新たなりしより以来、我日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。
  
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 かたや支那人は、外国人を四足畜生のように貶める。なんとわがまま放蕩であることか。

  
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 このような先哲がいたにも関わらず防共を目的に満洲国を建国したり、結果として日中戦争から太平洋戦争に及んでしまった。そのことを今もって攻め続けている。

 日本の経済人は後ろめたさを持ちながらも儲かりさえすればいいとかつてのことを忘れて中国に多額の投資を積み重ねた。それが今日の中国の経済の発展の元になっている。日本人の節操のなさも見抜かれているのだ。ソ連が崩壊したのは日本の投資が及ばなかったからだろう。北方領土問題を抱えて投資できるわけがない。
 北朝鮮とは拉致問題が未解決のままだ。そんな国に投資も経済援助もできるわけがない。今もって貧乏なままだ。だから中国も抑えるのがいい。我先に中国へとなだれ込む過当競争体質の日本も見抜かれている。伊藤忠出身の某大使さんは中国を知るためにもっと苦労して欲しい。