小津安次郎を偲ぶ会に参加2009年12月06日

 東京深川に生まれた小津安次郎であるが9歳で父親の生家のある三重県松阪市に移住。少年期は父の故郷で教育を受けた。19歳で代用教員になり、局ヶ岳の麓の尋常小学校で1年を過ごした。小津が世界的に知られるようになり、顕彰活動が盛んになる。地元でも熱心に調査されて少年期の小津が掘り起こされた。以来、今年も15回目のオーヅ会で小津を偲ぶ集いがもたれた。
 映画は「東京暮色」を鑑賞。午後からは主演女優だった有馬稲子を招いてトークショーも行われた。彼女は当時27歳位で映画ではショートカットの女子大生役だった。今70歳代後半の高齢者であるが妖艶な美貌振りは変わらず、常に人に見られる商売なので磨いているのだろう。
 トークショーでは司会者を逆リードする大物ぶりもちらっと見せる。司会のリードで小津監督の思い出話を語る。2作品にしか出演していないが強烈な印象を持ったようだ。しかし、小津の話もさることながら彼女自身の人生の話の方が波乱があって興味深い。意外にも大陸からの命からがらの引き上げ体験者であった。
 おまけに養母に育てられた点で高峰秀子と同じような境遇である。それに芸名までも2代目という点も同じ。ただ彼女自身も「私は喧嘩早い」という。腹にしまって置けないのである。そのことは中公文庫『バラと痛恨の日々』有馬稲子自伝に詳しい。ペンを持つことが好きなことでもやはり高峰秀子と良く似ている。
 逆境にめげず、絶えず向上心を失わず、新境地を求めて生きて来たのである。私が生まれた頃に活躍した有馬稲子とはこんな女優さんだったのかと思いを新たにして松阪市を後にした。