初詣は荒子観音へ2007年01月02日

 初詣は今まで行ったことがなかった中川区の荒子観音にした。
 ネットの検索で知ったが荒子観音は越前の僧泰澄が創建したそうだ。それなら山やの自分として行かないではいられない。
 僧泰澄は682年に福井県福井市に生まれた。717年36歳で白山に登拝した。このとき十一面観音菩薩を祀ったという。白山信仰の始まりであった。以来2府17県に寺や神社を開いたそうだ。767年に86歳で死んだという。
 荒子観音は729年に泰澄が開基(他のHPでは草創といい天平13年(741年)自性上人が開山した。という記述もある)した。47歳であった。白山を開山以来名声が高まり11年後に創建されたことになる。正式には浄海山圓龍(円竜)院観音寺といわれる。天台宗の古刹とか荒子の観音さんといて親しまれている。ここは十一面観音菩薩ではなく聖観音菩薩を泰澄が彫ったそうである。
聖観音菩薩については
http://www.butsuzou.com/jiten/index.htmlが体系的で詳細だ。
十一面観音菩薩も掲載されている。
http://www1.cts.ne.jp/~butuzou/kannon.htmlは聖観音について詳しいので以下に転載する。
 「観音さまは仏になろうとして修行中ですが、現世に降りてきて、あらゆる災難に際して人間を守護しようとされている菩薩です。
 困難に面した人が、一心に観音さまにお願いすれば、その声に感じて願い事を聞き届ける、すなわち声(音)を観じるところからその名が付けられたそうです。
 観音様は、髪の毛を結い上げて、胸飾りをつけ、体つきを女性的に作りますが、本当は男女の性を越えた性と言う事です。
 観音様の頭上の前面には、阿弥陀如来の化仏を頂き、右手は「与願」印(願い事を聞き届けると言う印相)で、左手に持った花は、蓮の蕾が一輪だけ開き、悟りの開き始めを示しています。
 首に掛け、両腕に掛けた天衣は、縫っていない布で、ここから俗に「天衣無縫」の言葉が生まれたようです。
 「聖」の字は「しょう」と読み、「正」の字を当てる事もあります。観音菩薩は、現世利益の仏様で、十一面観音菩薩、千手観音菩薩と、一層の力を付けた「変化観音」と発展しましたので、「聖」の字を当て、「元の、本当の」などの意味で付けられたようです。」

 泰澄は今の平泉寺辺りから白山に登山したらしい。この実績を引っさげて白山信仰を広めた。病や水害、天災、不作など悩みはつきなかった当時の民衆の悩みに応えたのである。おそらくあちこちから引っ張りだこになったであろう。
 なぜ今の中川区なのかは謎である。今の荒子川を灌漑して新田を開拓したらしい。中小河川なので灌漑しやすかったとは思う。何よりも平地であるがゆえに白山がよく見えたであろう。
 心配した渋滞はなかった。それどころか参拝客のピークは元日だけであったみたいだ。2月3日の豆まきは相当な人出があるようだ。前田利家ゆかりの天満宮にも寄った。細い路地が印象に残る。
  
  旧年の日の匂いする布団かな

  積読の本そのままや去年今年

  雪深き旅先からの初メール

  介護ゆえ別れた人の賀状来る

 肺ガンと闘う、メニエル病とつきあうという一行を添えて
  病なほ治らぬままと賀状来る

  喫茶店に寄りたくなりしお元日

  穏やかな風もなき日の初観音

  二日はや人もまばらな露店かな
  
  氏神は二日とならば静かなり

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