奥美濃・俵谷を溯る2008年08月19日

 昨年のリベンジ行であったが今回は核心部は突破したものの登頂はならず、であった。
 16日の6時、W君宅に集合する。近くで買い物を済まして東海北陸道を走る。白鳥から油坂峠を越えて福井県に行く。和泉村で石徹白川に沿って溯る。石徹白ダムを過ぎると廃村三面を過ぎ、道が細くなって小谷堂はすぐである。
 俵谷林道に入り、右折した辺りの小広い空き地でテントを張る。簡単な宴会を済ますともう12時を回っている。就寝。
 17日3時目覚ましが鳴る。深夜から雨が時々降っていたが今朝はもうやんだようだ。簡単な朝食を摂ってテントを出る。地元の祭の世話で同行出着なかったI君が5時には来るはず。そう言っていたら4時半に着いた。5時、テントサイトを出発。I君の軽トラの荷台に3人が乗せてもらう。路肩崩壊で進めず、デポ。ザイルがもう1本欲しいとWリーダーがいい、取りに行く。林道デポ地を6時に歩き出す。草深い林道である。6時56分、仮に名付けた第三堰堤に到着。古い記録ではここまで車で来られた。あちこちで路肩が崩壊して自然に帰っていく。
 第三堰堤を7時過ぎ、出発。河原歩きから華麗な最初の滝に遭遇した。ここで俵石を見た。安山岩にある柱状節理である。俵谷の名前の由来は俵石の産出と分かる。
 しばらくで滝が次々現れる。詳細は「掲示板・行ってきました」の写真でご覧いただくことにしたい。核心部に入ったのである。技術的に比較的易しい滝ばかりであった。
 核心部最後の15mの滝の上で12時を過ぎ、下降の時間を考慮すると山頂へは行っておれない。已む無く下山した。巻いた滝も直接登攀した滝も懸垂を多用した。4人で下降するため時間がかかるが安全が第一である。
 第三堰堤の河原に戻った。また草深い林道を下ると18時を回った。温泉入湯は諦めざるを得ない。登頂を逃がしたことが残念であるが日帰りの記録があるために安心していたが当時からすでに15年経過、最新の岳人でさえ2001年、と7年前になる。その間に林道の状況が大きく変わっていた。往復2時間の林道歩きがロスタイムとなって響いた。体力的な限界もある。前日に第三堰堤の河原まで来ておいて翌日早く出発しなければ無理である。
 小谷堂については殆ど知らなかったが検索で調べると面白いことが分かった。小谷堂の背後の949mの三角点の点名が平家ヶ墓という。実際山腹の500m付近に平家の落人の墓があるという。地蔵坊というらしい。その墓石がなんと俵石であるらしい。又、1609mの通称小白山は点名は石徹白という。実はここも石徹白の末社人のムラだった。かなり歴史のあるムラである。縄文遺跡もあるという。それなのに何の記念碑もなくただススキの茂る草原に埋れていく。跡かたもない夢の跡なのである。
 釣師I君の話では以前に釣れたのはアマゴだったといって首を傾げていた。ここは日本海側なので大島線(昭和6年発表)でいえばイワナ、ヤマメの領域であろう。大島線は放流で崩れてしまっている。俵谷上流部には魚影は少ない。大きな堰堤が三箇所もあって荒れた印象を受けるのでしばらく回復は難しいだろう。