御在所山裏道登山道の惨状悲し!2008年09月05日

 2008年9月2日から3日にかけて襲った豪雨が御在所山の裏道登山道が崩壊。藤内小屋が流され、日向小屋も基礎部分が流されて辛うじて建っている状況である。裏道は土砂で埋まり、復旧の目処は立たないらしい。
 ヤブコギネットの山のフォーラムに由れば緑水さんが現地を命がけで偵察に行き、撮影された。以下のサイトで惨状が見られ大変ショックを受けた。「故郷の山悲し 御在所山」で報告されているのでチエックされたし。
 http://www.yabukogi.net/forum/wforum.cgi?no=15715&mode=allread#15715
 3日といえば愛知県岡崎市の豪雨が大々的に報道されていた。又、福田首相の辞任報道に呆気にとられていた日だった。カーラジオで菰野町が豪雨に襲われて登山道が被害を受けたことは聞いていたが写真で見るとホントにひどい。
 特に藤内小屋と日向小屋が流されて倒壊したことは返す返すも残念である。一度は泊まりたいと思いながら思いは豪雨に断ち切られてしまった。
 藤内周辺は岩場だらけで保水力が無く、降雨は浸透せず、すぐに沢に流れ出す。『あゆみ60年』(愛知県山岳連盟)によると実は昭和46年の台風23号の集中豪雨で北谷小屋は一度屋根だけ残して流失している。今回はどうなっているか。HPによると藤内小屋は昭和34年開業、日向小屋は昭和37年でした。度々の台風や大雨をかいぐぐって来たはずなのに・・・。
 日向小屋のHPも現在の状況を伝えている。
http://hinata.skr.jp/
 小屋の関係者にはお見舞い申し上げる。

天然鮎の料理を堪能2008年09月07日

 山岳会の例会で久々に鮎料理を食べたい、との希望が多数あがった。週末はどうせ天気不順と見越してグルメ紀行を計画した。女性5名、男性2名の7名で板取川の旧板取村にある「おもだか」に出向いた。案に相違して天気はまあまあよくてこれなら山行を組めばよかった。
 美並ICで下りてR156を北上し、R256を走る。高賀山の北麓を走る。高畑鉱泉をやり過ごして狭い山道を走ると立派なトンネルが現れた。約4,7kmのタラガトンネルを抜けると板取村の県道に合流。タラガ越えの苦労は無くなった。
 「おもだか」には10時45分頃着いて11時の開店時刻にピッタリであった。少々早めであるが勘違いして予約席に通してくれた。建物は柱は頑丈であるがいわゆる東屋風の造りで窓は無く夏だけの利用であろう。すぐ近くの板取川の川風が涼しい。
 やがて料理が運ばれた。先ずは甘露煮、続いてから揚げ、塩焼き、最後は鮎雑炊で締めくくる。他にオプションでアジメの甘露煮も賞味した。アジメとはアジメ泥鰌のことで今では珍品である。検索すると昭和51年に天皇皇后両陛下が下呂の老舗旅館にご宿泊された折りに「あじめの甘炊き」を食された。お気に召されたようである。過去に一度食べた記憶はあるがどこかはもう忘れた。
 鮎料理を堪能した後は「奥美濃の黒部」と呼ばれる川浦谷を探勝した。吾妻清水にも寄ったが3,4台の車で来て大量のポリタンに清水をつめていた。私たちも一口飲んだが美味しい山のミネラル水である。
 喫茶店で休んで既に午後2時だったがそのまま帰らず、徳山ダムの満水状況を見たいと提案したら皆乗ってくれた。R256を南下、谷合、尾並坂峠、樽見、R157、県道270、馬坂トンネルを越えた。徳山富士(点名:白谷925m)の登山口をチエックしたが顕著な踏み跡はないので藪覚悟だろう。或いはトンネルの東側か。
 坂道を下ると満々と水を湛えた徳山湖が見えた。全てをダム湖に沈めてしまった。徳山会館に寄るが不在。そこから眺める徳山富士はなるほど素晴らしい山容である。
 揖斐へは不通との情報はあったがトンネルに通行止めの看板はない。軽トラを呼び止めて聞くとこちらには来れないが出ることはいい、との情報である。トンネルをいくつも潜って行ったが杉原辺りから水害の爪あとは見られた。沢から夥しい土砂が押し出された様だ。それをブルで掻いた後であった。どんどん下ると横山ダムでやはりおじさんが規制をしていた。道理でダム湖周辺に観光客が来れないわけだ。
 道の駅は満杯であった。揖斐の町にでると空はまだ晴れており、今日は一息つけたようだ。揖斐川沿いを南下して行くと西の空の夕焼けが美しい。

続報・御在所山裏道登山道の復旧に向けて!2008年09月13日

 山岳会のメーリングリストに配信された。内容は以下の通りである。いよいよ藤内小屋の後片付けに向けて動き出した。日向小屋のHPの掲示板には沢山の激励が寄せられている。小屋の荷物の運び出しも進んでいるようである。
 将来的にはどうなるのだろう。あの土石流の写真を見るととても放置できないだろう。下流の観光地が大雨のたびに脅かされる。スカイライン近くに大きな砂防堰堤が建造される可能性は否定できない。藤原岳の坂本谷にも砂防堰堤が建造されたことも頭に浮ぶ。
 WIKに拠ると鈴鹿国定公園は昭和43年7月22日の指定。両小屋は国定公園制定前に出来たが制定後は既得権があるのかどうか。そう簡単には再建はできないだろう。現在の御在所山の家を拠点に表道から藤内壁に迂回するような形が自然かも知れない。保水力の弱さを如実に見てしまった以上、沢沿いの小屋は危なくて作れない気がする。
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  【御在所山周辺の被害状況おしらせと倒壊した小屋等の後片付け支援ご協力の呼びか け】
>
> 9月当初に菰野町周辺に集中豪雨があり,大量の土石流により,朝明渓谷ならびに御 在所山周辺の登山道が崩壊しました.
> また,関連の山小屋も甚大な被害を受けました.特に御在所山裏道では,藤内小屋は倒壊し,日向小屋は土台の半分を削られています.
> 三重岳連や日本山岳会東海支部などの関係者により,藤内小屋などの後片付けへの協力できる範囲で呼びかけも始まっております.
> スカイラインは現在閉鎖されておりますので,冬場のようにゲートから歩くことになります. また,裏道も7-8割崩壊し,簡単に登れませんし,菰野町からは登山自粛の広報がなされております.
  このような状況をお知らせするとともに,当面は自主的な範囲ではありますが,ご協力いただける方は,藤内小屋の後片付けなど,ご支援いただきたいと思います. 依然として,不安定な状態であることにもご配慮いただき,安全に注意の上,ご協力 いただけますようお願いします.
取りあえず、今週末(9月13日(本日)~15日)の支援についての予定が決まりましたので、下記のとおりご案内します。  
         記
> 〔作業日時〕9月13日(本日)~15日午前10時ごろから夕方まで
> 〔支援内容〕主に、裏道登山道の修復と藤内小屋整理
> 〔必須持ち物〕背負子または特大サイズのザック(荷物搬出のため)・・・その他 は、作業等に必要と思われるもの(軍手、タオルほか)をご持参ください。
> 〔その他〕午前8時~昼頃までは担当者がスカイラインのゲートを開けますので、裏 道登山道入り口のトンネル向こうの駐車場まで車で入れます。駐車台数に限りがあり ますので、相乗りでお願いします。なお、作業車両の通行の妨げになりますので、路 駐車はご遠慮願います。時間外等で担当者がいない場合は、冬季同様、ゲートから 徒歩で入山ださい。
  今後の支援活動につきましては、予定が決まり次第配信します(主に毎週末に活動予 定です)。 それでは、できる限りの支援をよろしくお願いします。お心当たりの方にもメール転送等お願いします。
> なお、参加される場合には、くれぐれも安全にご注意くださるようお願いします。

幽境の谷 中ノ水谷から屏風山へ2008年09月18日

 秋の山焚き火の煙立ち込める

 秋風が火吹き竹めく大焚火

 名月や森の葉漏れより仰ぐ

 梨は皮剥かずに食べよ山の中

 沢胡桃五人家族のごとく立つ
 
 橡の実を拾い子らへの土産とす

 恐れ多き熊見し秋の谷の中
 
 澄む水を棲みかとしたり岩魚かな

 水脈細る秋の谷にも岩魚棲む

 食べられぬキノコが多し枯木かな

 穴惑い乾きし滝にとぐろ巻く

 霧の谷より登頂しても霧

 霧深き山から山を名指しする

 いち早くナナカマドだけ紅葉す

 赤い実がたわわに実るナナカマド

 不時露営やむなし谷の秋の暮

 遭難の二文字身にしむ白湯を飲む

 あるだけの衣着て尚もそぞろ寒

 蹴散らされツルリンドウの花転がる

 麓から天まで咲きし釣舟草

猿投山を見る2008年09月21日

 午後4時ころ、雑用を終えて自宅マンションのベランダから外を眺めると綺麗に猿投山が見える。更に遠くには段戸山らしい山なみを発見した。空は黒い雲がどんより漂っているがこれが気圧の谷であろうか。
 昨夜は広島県からの客人(広島支部)を迎えてミニ宴会があった。数は少なかったがフロアを埋めるに充分な人数であった。目的は活動ぶりの見学であり、山やの交歓会である。私は勤務で遅くなったが宴会には間に合った。差し入れの銘酒加茂泉が旨かった。
 先々週以来の抜歯に次いで歯の治療や沢登りの疲れもあって体調が優れず、二次会はキャンセルした。話題は様々であるが私は桑原良敏著『西中国山地』のことを話した。昭和57年の発刊で今西錦司の序文があるので買っておいた本であった。今は6座登頂している。冠山のブナ原生林の凄さなど、そんな話をして過ぎた。宴会といっても山やは清遊である。
 朝起きてみると今日も天気が悪い。大雨が降り、雷も鳴り出した。良ければ御在所周辺の様子見に行こうかと考えていたが観念して溜まった雑用を片付ける。
 ベランダに干したままのツエルト、スパッツ、沢靴他あるある。PCにデジカメの写真を取り込もうとしたがエラーになる。マニュアルを読んでも埒が明かず、別の方法で取り込み、とりあえず、9/14.9/15の沢登りを掲示板に貼る。メンバーにも送信しておいた。
 猿投山に黒い雲がかかり、また一雨来そうな感じである。広島支部の人たちは猿投の森を見学して帰るといっていたが三重県は大雨、広島県内も水害が報道されている。ご無事であれ。

中央アルプス・権現山に登る2008年09月23日

 午前5時頃、起きて外を見ると東の空が赤い。朝焼けなんて久々である。自宅を6時半に出て名古屋ICまでは車は多めであるがスムーズであった。中央道を走ると意外にも霧が多い。朝霧は晴天の兆しともいうが恵那山トンネルを抜けると濃霧であった。
 これはこれはどうしたものか、もう行く気が失せていく。南アルプスは一つも見えない。伊那ICで下りて少し迷走したが記憶で走ると古い登山口が見つかり、道標に従って入って見たがすぐに両側からのヤブで撤退。伊那リゾートスキー場に周った。ここも小さな道標はあり、ゲレンデに沿ってほぼ直登して行く。腕時計の標高で1080m。約670mの標高差がある。既に3台が止めてある。
 10時ジャスト出発。 登山口には1分。ポストもある本格的な登山道である。始めは檜の植林で薄暗い。小さな沢を渡り、山腹を巻きながら尾根道に行く。土俵跡という変わった休み場がある。その通り小さめの広場である。ここからは自然林となり、小鳥の鳴き声も多い。白樺混じりの道を小さくジグザグして登ると明るい唐松林の尾根道となった。日光が入る所為か笹が繁茂している。登山道はしっかりしている。急な傾斜は相変わらずである。アキノキリンソウ、センブリなどが見られる。キノコも多い。
 尾根の中途で小休止。そこからすぐに旧来の登山道との分岐である。そこにしっかりした道標がある。常に手入れはされているようだ。いよいよ山頂へ向う。ツルリンドウの花、赤い実をぶら下げたツルリンドウも見られた。なぜかこんな尾根にトリカブトも咲いている。
 山頂へは傾斜がいや増す。明るい山頂に着いたのは11時45分であった。快調なピッチであった。三角点は約1分で尾根の笹原に埋まる。山頂には夫婦が先着していた。あいさつを交わす。なんでも奥さんは脳梗塞で倒れて、リハビリ15年で登山が楽しめるまでに回復したという。素晴らしい話である。山岳展望が余りに良いので同定を始めると夫婦も関心を寄せて感動しきりであった。別に教えたわけではないのに感謝された。
 北の美ヶ原、蓼科山、八ヶ岳、甲斐駒、仙丈、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳、荒川三山、赤石岳、聖岳、小河内岳、茶臼山、大無間山も。中アは樹林で見えない。北アルプスも樹林に隠れる。展望はしつこいくらいに眺めた。
 山腹は下は檜、中部は唐松、山頂付近はダケカンバが混じる。巨木が伊那谷に倒れ掛かるほど傾いて伸びている。周囲はサルオガセが多い。近くの花を巡ってアキアカネ、アサギマダラ、黄色の蝶々等が飛び交う。秋深しの様相である。
 下山はわずか1時間15分であった。山麓からの撮影を済ますと、「こぶしの湯」に向った。いいお湯である。広域林道を飯田に向けて走り、秋の風光を愉しむ。少し、地場産さんの農産物を買った。飯田からは昼神温泉に向う。園原ICから帰名した。

奥美濃・徳山富士に登る2008年09月28日

 9/27から9/28にかけて所属の山岳会のリーダー向けのビバーク講習会を持った。昨年、多発する山岳遭難に危機意識をもって持ちかけたものであり、1年後に実現できてよかった。実際、2007年度は転倒、転落、滑落、道迷いで72%近い。これは道に迷った結果の転落、滑落、転倒もある。事故は複合していると思う。
 9/27は徳山富士925mに登った。馬坂トンネルの徳山側が登山口である。ここには登山口の看板や赤テープもない。地形図だけの登山である。車2台は置けるスペースの先に踏み跡があり、左から小さな溝が出合う。大水で荒れている。ここから踏み跡が続いていそうなので注意深く登ると急な溝となるが他に踏み跡らしい道はないので強引に登ると左からいい踏み跡が来ている。どこかで見落としたらしい。
 この踏み跡に従うとすぐに馬坂峠に着いた。石碑には「ういは馬坂・・・」と刻まれている。『徳山村史』にも載っていた俗謡である。なんとも峠らしいこの風情は嬉しい。
 ここから右へ(南)急な尾根を登る。もう踏み跡とというよりは山道である。休み場はなく、一本調子の登りである。しかし、短いのですぐに山頂の一角にある電波反射板に着いた。この道は反射板の作業のためにつけられたようだ。
 三角点へは少し戻って藪の薄いところに入る。地形図では山頂は平坦で三角点は南東よりと思われた。旧根尾村側の界へ赤布をつけながら寄れるだけ寄って行く。すると古い赤テープがあったり、木札が落ちていた。少しのヤブコギで三角点に着いた。展望は樹林に囲まれて皆無である。
 昼食は電波反射板に行って摂る事にした。反射板からは徳山ダム湖が俯瞰できた。堰堤も見える。この反射板はダム湖から発信される様々な情報を受けてどこかへ伝えているのだろう。看板には平成18年塗装とあるからダム完成と歩調を合わせながら完成したものであろう。すると登ってきた道もその作業員のための道に違いない。北のちょっとした伐採跡にはおそらく小屋掛けでもしたことが想像された。
 蕎麦粒山、上谷山、鏡山、天狗山、黒津山、伊吹山などが見えた。これだけ見えればいい方だろう。私たちは運がよかったと喜んだ。
 下山は転落に注意しながら下った。峠からも何か明瞭な道はないかと探したがない。急な溝の所に来て、いい踏み跡を辿ると木の階段もある山道であった。そして溝が急になるところでまた浅い溝に戻れた。余り、利用されないともう2年でこんな有様である。
 RFの大切さ、赤い布の的確な付け方を学んでもらった。ダム湖畔まで下りて徳山会館に寄った。さっき登った徳山富士を見上げてまた愉しんだ。
 ビバークの場所は赤谷の源流部である。ウソ越えから徒歩で若干下って、渡渉して着いた小広い平地が適地である。30mのザイルに参加者11名の1人用ツエルトの通気穴に通して両端を大石で固定。中間では木やストックで支持した。11枚のツエルトが並ぶ光景は壮観である。
 一方で焚き火の準備をした。小石を敷き詰めて地面からの水蒸気の上昇を抑えることと、石の熱気の伝わり易さを活用するためである。小枝、枯れ枝、太い流木を集めてもらった。まず、古新聞紙を丸めて着火。小枝を乗せて延焼を待つ。今回は成功した。豪勢な焚き火となった。ビバーク訓練なので共同の調理はせず、個食で対応する。
 焚き火が大きくなると赤谷下流から3人の岩魚釣り師が上がって来た。しばし、歓談した。夜空は星が瞬くほど美しい。焚き火の火勢が衰えると周囲に集まり、久々に山の歌を歌った。落ち込みがちなビバークで元気付けるには歌うのが一番である。
 星空のビバークとなった。
 9/28の午前3時頃はよく冷えた。木綿のズボンを通して寒気が沁み込んで来た。上着は冬の下着と羽毛ジャケットで万全、下は木綿のズボンのままシュラフカバーに潜り、ザックに足を入れるとあったかい。丁度腹部が良く冷えた。雨具のズボンでも履けばよかったかも知れない。
 5時過ぎ起きる。今日は日ノ窪権現でヤブ山登山の実践である。7時過ぎウソ越えに戻る。
 7時50分、高倉峠から笹のヤブに突っ込む。以前より踏み跡は見出しにくくなった。一旦戻って右、左も探るが中央の踏み跡が結局は本命らしい。赤い布を付けながらヤブをこいだ。ロボット跡からはやや平坦になり、順調に進んだ。権現山の頂上は素晴らしい展望だ。金草岳が立派。赤い布を回収しながら下った。
 R417を南下。藤橋のお湯で汗を流して帰名した。