吉田絃二郎『島の秋』2020年01月30日

 年末年始の対馬の山旅で、白岳の帰りがけに上見坂公園に立ち寄り、吉田絃二郎の文学碑を見た。帰名後対馬が舞台の『島の秋』を読んだ。大正5年(1916)の作品であり代表作になった。静謐な対馬の情景が浮かぶ小説です。小説の舞台のアンチモニーの鉱山と佐郷という地名がでてきますが、多分架空です。実在の白岳の山も登場します。また620mの三角点も登場しますが架空です。これは兵隊として対馬の稜線を縦走した体験から得たのでしょう。明治20年代は一等三角測量が行われた。ちなみに有明山は明治24年です。佐郷は厳原町かも知れません。
 対馬観光物産協会の売店で『つしまっ子 郷土読本』(対馬市教育委員会)を購入。読むと対馬は日本で最初の銀山があったところでした。アンチモニは銀山か。またP83には要塞云々の石標の写真があります。これこそ白岳2等三角点の南の鞍部で見たものと同じです。そして要塞地帯法という法律があり立入禁止だったようです。すると吉田が見た三角点は白岳だったかも知れない。ちなみに対馬の600m超の山は648mの矢立山しかない。対馬の銀山は厳原町樫根にあった。少し東に白岳から流れる日田川が合する。最後の場面では峠越えがありますが、実際は佐須峠(390m)を越えて厳原港へ出たと思われる。
 小説には炭焼きも登場する。白岳へは道のない谷を遡行したが炭焼き窯址をいくつか見た。エネルギー源として木炭に依存していたことは疑いない。

ソース:http://sybrma.sakura.ne.jp/171yoshida.shimanoaki.html
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       島の秋        吉田絃二郎

「淸(せい)さん一時(いつとき)俺が持たう。」
 でつぷりと肥つた五十恰好の日焦(ひや)けのした男は前に歩いてゐる色の蒼白い若者に聲をかけた。
「なあに、親方重くも何ともありませんから……」
 淸さんと呼ばれた若者はかう言つて肩にしてゐる振り分けの荷物をもう一方の肩にかへた。前の方の荷は四角な木の箱を白い布で巻いて、さらにその上を人目に立たないやうに鬱金(うこん)の風呂敷でつゝんであつた。後の方の荷物は蔓(つる)で編まれた籠(かご)で、中には鏨(たがね)や鎚のやうなものが、飯盒(はんがふ)や二三枚の着物といつしよにごつちやにして入れられてあつた。誰の目にもこの島の海岸のアンチモニー鑛山の工夫だといふことは一目で察せられた。二人はともすれば、だんまりこんで歩いた。
「これなら尚少(もうすこ)し遲く發(た)てば宜かつたのう。」
 親方は黑く煤(すゝ)けたパナマを脱いで、汗を拭いてちよつと太陽をかざしながら言つた。八月末の午後の太陽はこの島國の嶮(けは)しい山々の背を照らしてゐた。泥炭の屑のやうにくだけた山の背の道は、十日に一人か二十日に一人の旅人(たびびと)を迎へるだけで、野茨(のいばら)や木莓(きいちご)が兩側から道を掩うてゐた。岩に反射した太陽の熱はぎらぎらと照りかへして幾度かこの二人の旅人を眩ますやうにした。
「しかしこの山だけは太陽(ひ)があるうちに越しませんと難儀ですからなあ。」
 淸さんはかう言ひながら滴るやうな水々しい木莓の實を口に入れた。
 冬の海の風をまともに受けて幹の途中からぷつゝりと斷ち切られたやうな櫟(くぬぎ)の林が、帶のやうに山の腰をめぐつてゐる森林帶を通り越してからは、山は一面の芝草(しばぐさ)に埋められてゐた。釣鐘草のやうな形の藤紫の花や、チウリップに似た紅い花や、草菖蒲(くさあやめ)が一面に高原を埋めてゐた。
「今日は朝鮮の山がよう見えるぞなあ。」
 淸さんの後から隨(つ)いて歩いてゐた親方は草の上に腰を卸して、煙管(きせる)をぽんとはたいた。黑い海と白い波を越えて夕陽(ゆふひ)を受けた南朝鮮の山々が、赭(あか)ちやけた尾根(をね)の輪郭をくつきりと水淺葱(みづあさぎ)の空に投げかけてゐた。
「沖は大分荒れてるやうですねえ。」
「あゝ白い波頭があねえに見えるぢやのう。」
 二人はまた歩き出した。遠い谿(たに)の底で蝉の聲が聞えた。秋らしい風が高原の草花の上を滑つて吹いて來た。道は今までの嶮(けは)しさに引き替へて山の背から山の背へと緩(ゆる)やかな傾斜をもつてつゞいた。
「あの三角柱(かくちう)ぢやつたのう。」
 親方は山の背の鞍部(あんぶ)を一つ越して向うの山の背に立つてゐる測量基點の三角柱を指さして言つた。
「えゝさうでしたね……」
 淸さんも向うの山の背の三角柱を眺めた。二人はそれつきり何(なん)にも言はないでまた歩みをつゞけた。親方にも淸さんにも新しい色々な寂しい思ひ出が湧いて來た。
「姐(ねえ)さんがあすこに立つて待つてるかも知れない。」
 淸さんは不圖かう想つた。それでも二三歩あるいてゐる間に淸さんは肩にしてゐる骨甕(こつがめ)のことを想つた。淸さんは寂しい絶望と悲しさとを感じた。
「あすこぢやつたのう、お菊のわろがもう歩けんというたのは……」
 親方には四五年前内地からこの島に渡つて來た時、同じこの山の背を傳うて歩いてゐた折のことが想ひ出された。自分の背に負ぶつてゐた男の子のことまでもが浮かんで來た。その男の子は鑛山に着いて間もなく死んだ。
 妻が草鞋(わらぢ)に足を喰はれて淸さんの肩に負ぶさるやうにして山を下つて行つたことなどを考へてゐると、親方は寂しいうちにも吹き出したくなつて來たりした。
「でも何もかもわやぢや。」
 親方は淸さんの肩の骨甕を見まいとしたが駄目であつた。
「淸さん、代らう……」
 親方はかう言つて淸さんの肩の荷に手をかけようとした。
「親方、何でもないんですから……」
 淸さんは逃げるやうにして親方の手を放した。
 二人はまただんまりこんで歩いた。
 樹の株をころがしたやうな黑い石が段々に重なつて道を塞(ふさ)いでゐた。やがて道はすつかり草に掩はれてしまつた。
 二人は一直線に三角柱を目あてに谿をのぼつて行つた。
「淸さん……」
「親方……」
 二人は時々深い草のなかに影を見失ふことがあつた。かちかちと後ろの籠のなかの道具がぶつ突かり合ふこともあつた。ごとごとと前の荷の骨甕が搖れるたんびに寂しい音を立てることもあつた。淸さんにはたゞ一人で何時までも草のなかを掻き分けて寂しい穴の底にはいつて行つてゐるやうにおもはれた。そして二度と太陽や人の顔や人の聲のない暗い世界にたつた一人ではいりこんで、泣けるだけ思ふ存分泣いて見たいとおもつたりした。
「淸さん……」
 淸さんは親方の聲を聽きながらもわざと聞えぬ振りをして應へなかつたこともあつた。それでも草を掻き分けてゐる音がしばらく絶えると淸さんは自分から親方を呼んだ。
「この邊であつたらう……」
 灰のやうな白い細かい苔につゝまれた岩を滑りながら淸さんは想つた。淸さんの心にもその折のことがはつきり浮かんで來た。
 男の子を背負つた親方はずんずん先きになつてこの山を下つて行つたのであつた。姐(ねえ)さんを負ふやうにして山を下つた淸さんはなかなか急いで歩けなかつた。二人は幾度も深い草のなかに道を失はうとした。姐さんのほてつた頬がすれすれに淸さんの頬に觸(ふ)れた。上氣したやうな姐さんの頬はやつともの心を覺えたばかりの淸さんの心にもたまらなく美しいものゝやうにおもはれた。姐さんの手を引いてゐながらも淸さんは幾度も女の柔かい手を意識した。
「淸さん、もう妾歩けない。二人で死んぢまひませうか。」
 姐さんは苦しいなかにもかう言つて笑つた。淸さんは女の手を握つて默つて山を下つて行つた。
「親方……」
 淸さんは急に親方を呼んで、どこかで「こつちだこつちだ……」と呼んでゐる親方の太い聲が聞えた。
「標高六二〇米三……」
 淸さんは讀むともなしに標柱に刻(きざ)まれてある文字を讀んだ。日蔭になつて黝(くろ)ずんだ白嶽(しらたけ)が、長い鋸形(のこぎりがた)の影を重なり合つた幾つもの低い山の背に投げかけてゐた。そこからはまた白嶽の背を越して銀のやうな海が空とひたひたになつてゐるのが見えた。
「あの海のわきが鑛山(やま)だ!」
 親方も淸さんもさう思つた。けれども二人ともお互に口に出すことを怖れた。鑛山は二人にとつては餘りに寂しい思ひ出の地となつてゐたから。
 炭を燒く白い煙が紫に煙つた谿底(たにそこ)から上つては海の方へなびいてゐた。
「佐郷(さがう)までは尚(も)う二里もあらうかのう?」
「さうですなあ……」
「佐郷の手前に行きや大(おほ)けな河があるで、思ふ存分體(からだ)拭いて行かう。」
 二人は離れ離れに歩いた。また沈默がつゞいた。重なり合つた山と山との間に深い暗影をつくつて日の光りは衰へて行つた。麓の谿々には深い霧が漂ひ始めた。淸さんは歩くのもいやになつた。急に亡くなつた姐さんのことがいろいろに想ひ出された。
「なぜ姐さんはあのやうに急に亡くなつたのであらう?」
 十三の歳はじめて淸さんが親方の家に伴はれて來た時は、姐さんは二十一か二で、親方とは親子ほど年がちがつてゐた。淸さんは子供心にも美しいやさしい小母さんだとおもつた。姐さんもまた淸さんを自分の弟か何かのやうにおもつて可愛がつた。
「錦絲堀知つてて? さう、曳船(ひきふね)も……」
 姐さんには娘のころ發(た)つて來てしまつた東京の町外れが懷しかつた。親に死に別れたといふこと、同じ東京に生まれたといふことまでもが姐さんには二人を結びつける何かの因縁であるやうにおもはれた。そのころ姐さんは親方と一緒に山陰道の雪深い海岸にゐた。親方はそのころから夏から秋にかけて海に出て、潜水機械をつかつては鮑(あはび)を取つた。姐さんと淸さんは何時(いつ)も喞筒(ポンプ)のハンドルを動かすのが役目になつてゐた。親方は潜水服を着て海のなかに下げられた梯子(はしご)に足をかけた。
「こればかりは身内の者にして貰ふと安心ぢやからのう。」
 姐さんと淸さんが重い冑(かぶと)を親方に冠(かぶ)せるとき親方は克くかう言つて笑つた。そして喫(の)みさしの煙草を靜かに水の面に捨てた。淸さんは冑を冠せて捻子(ねぢ)をしめた。姐さんは靜かに空氣喞筒(ポンプ)のハンドルを動かしてゐた。怪物のやうな黄銅の冑や、ゴムの赤い潜水服が見えなくなつてからは時折りぶくぶくと水の泡が船の周圍に音を立てゝ浮かんだ。姐さんは大阪で覺えたといふ唄などうたふこともあつたが、大抵は默つて機械的に手を動かしてゐた。
 冬の海が荒れて仕事ができなくなると、親方は鑿(のみ)や鶴嘴(つるはし)を擔いで、雪深い銀山の仕事に出かけた。親方の家には何時も五人や六人の男たちが親方を頼つて厄介になつてゐた。男たちも親方について銀山に行つた。淸さんだけはまだ姐さんと一緒に海岸の家にのこつてゐた。雪の深い夜、戸外には風の聲もしない靜かな夜、淸さんは榾(だた)の火が滅(き)えるまで姐さんと東京の話をした。
「妾東京に歸つたつて家もないんだけど、奉公したつて良いから歸つて見たい。」
 榾火(ほだび)が滅(き)えてしまつてからも二人は灰を掻きまぜた。そのたんびに小ひさな火がのこつてゐて二人の顔をちよつとの間紅く照らした。
 雪解(ゆきげ)の滴れが時たま軒をすべるのがばさと仄(ほの)かな音を立てゝ雪のなかに滅えた。夜更(よふ)けてからきまつて丹波行きの馬車がぽうぽうと喇叭を吹いて雪のなかを通つて行つた。
「こんな家から逃げて東京にかへりたい……」
 姐さんは戸を明けて眞つ白な雪の町を見た。
 黑い海と暗い空には限りもない星がまたゝいてゐた。姐さんにも淸さんにも明るい大都会が耐らなく戀しかつた。
「おつ母さんだつてあるにはあるんですよ。しかし父が早く亡くなつたものですから……妾が大阪につれられたのもほんとは賣られたやうなものなんですよ。それをまたこゝの親方が貰ふことになつたのです。」
 姐さんは雪の夜など克(よ)く淸さんに話した。姐さんはまだ夫婦といふものがどんなものだか、男といふものがどんなものだか少しも知らない間に親方に貰はれたのであつた。
 母につれられて里(さと)にかへつてゐたころも姐さんの母親は「この子さへなかつたら」と言つては何かにつけ姐さんに辛くあたつた。姐さんは子供心にも早く母親のところから出なければならない、それが母親を安樂にさせる方法だと考へた。母親は姐さんを捨てるやうにして再縁した。
「この家さへ出たら仕合せがあるにちがひない。」
 姐さんは大川端の倉の窓から、濁つた大川の流れをながめながら幾度もさうおもつた。
「母が尚(もう)すこし温かな心をもつてゐましたら、こんな家に買はれるやうにして來ることもなかつたのですに。」
「しかしおつ母さんだつて、あなたを不仕合せにさせるつもりではなかつたでせう。」
「母だつて、叔父の家に母子(ふたり)で厄介になつてるのは苦しかつたにはちがひないんですけれど……」
 この島に來てからも二人は克くこんなことを話し合つた。
 何處(どこ)の鑛山に行つても、漁場に行つても姐さんは直ぐに若い人々の間の噂の中心になつた。誰れも彼れも親方ほど仕合せな男はないと言つた。それでも親方は酒をあふつては料理屋(ちやや)から料理屋へと夜を更かすことが多かつた。
 雪の深い山陰道からこの島に移つて來るとき姐さんは身重であつた。それでもこの島に着いて間もなく親方は姐さんの横腹を蹴つたのでおなかの子は流れてしまつた。
 親方はその日佐須奈(さすな)の町に行つて、大漁目當(めあ)てに内地から渡つて來てゐた女と、一日遊んで歸つて來たのであつた。
「きさまは亭主が他の女を買うても口惜しいとは思はぬか、きさまはあはうぢや。」
 親方は姐さんの親切や眞心(まごゝろ)を信じてゐた。けれども親方は何時も姐さんとの間に一枚のへだたりを感じてゐた。姐さんは一度でも夢中になつて親方に何(ど)うするといふことはなかつた。
「お前はやきもちといふことを知らんのか?」
 親方は酒を飲んではかう言つた。親方はもつともつと姐さんにやいてもらひたかつたのであつた。けれども姐さんはつひぞ嫉妬といふことを知らなかつた。
「いくらでも酒を飲まして置いた方が宜いのよ、うるさくなくつて!」
 姐さんはかう言つては幾らでも親方に酒を飲ました。
「妾だつてこの家に來たころは男といふものを大事にしようとおもつたんですよ。けれど今ではそんな面倒くさいことはいやになつちやつたの。」
 男の子が死んでからこつち姐さんの心は一層すさんで行つた。
「人間てものは振り出しが大事ですわねえ。振り出しが惡けりや一生うだつは上りませんよ。」
 姐さんは克(よ)くかういふことを言ふやうになつた。
「では、一度振り直して見たら何(ど)うです!」
 淸さんはこの時ばかりは何だか取りかへしのつかぬ惡いことを言つたやうな氣がした。
「えゝ、振り直して見ても宜いんだけれど……こんなことは嘘なのよ。」
 姐さんが笑つたので淸さんはやつと安心した。二度とそんなことを言ふものぢやないと思つたこともあつた。
 男の子が死んだので小ひさな土饅頭(つちまんぢゆう)の墓が濱の松林のなかに積み上げられた。姐さんはヒステリーのやうになつて朝から松林のなかを歩いてゐた。
「死んぢやつた方があの子のためにもましだつたでせう。」
 姐さんは淸さんにかう言つた。
 子供が死んだ頃から親方は大抵家にゐるやうになつた。姐さんは面と向つてはつひぞ親方と諍(いさかひ)などすることもなかつた。親方は自分の娘のやうに姐さんを可愛がつた。
          *
「宜(え)え凪(なぎ)になつたやうぢやのう。」
 親方は沖を見ながら後から歩いてゐる淸さんに話しかけた。黑い潮の上を幾十里の間幾萬とも知れぬ白い帆や紫の帆が動くともなく動いてゐた。島の浦々から夕風を受けて船出する漁船は、まるで巣をはなれた白鳥のやうに、空とも水ともわかぬ縹渺(へうべう)の間を走つてゐた。
「今年は烏賊(いか)は大そう宜(い)いといふことですなあ。」
「さうかも知れんのう。」
 親方は氣のないやうな返辭をして谿底(たにそこ)の方をのぞいてゐた。
「淸さん、流れの音が聞えはせぬかのう。」
 淸さんも立ちどまつて谿の方の音を聽いた。蜩(ひぐらし)の聲が一しきり聞えた。
「こりや、佐郷(さがう)に着きや、とつぷり日が暮れるかも知れんのう。」
 親方は懶(ものう)ささうに歩き出した。二人はまた默りこんで歩いた。
 親方には姐さんの美しかつた眼や、胸や、優(やさ)しかつた心がけや、何時も子供のやうで頼りなかつたいぢらしさなどが犇々(ひしひし)と浮かんで來た。親方は幾度も深い吐息をついた。
「俺にはもうあのやうな世界は二度と來まい。俺はたゞ死ぬる日を待つてるばかりぢや。」
 親方はかう想つた。姐さんといふ女があつたばかりに親方の世界が今日まで意味があつたやうにおもはれた。
「花だつて咲くのは五日か十日ぢやからのう。」
 親方は吐き出すやうに言つた。ほんたうに人間の仕合せな時間といふものもやつぱり一生の間のほんの少(わづ)かの間であるのがあたりまへのやうに思はれた。
 島で一番大きいといはれる佐郷の川原に出た時は日はとつぷり暮れてゐた。廣い川原が白く夢のやうに暗い谿の底を縫ふてひろがつてゐた。
「もうさすがに秋ぢやのう、冷たうてようはいれぬ。」
 親方は頭から肩あたりに冷たい水を浴びながらさう言つた。
 淸さんは荷を磧(かはら)の上に置いて、足を投げ出したまゝ、犬蓼(いぬたで)の上に坐つてぼんやりしてゐた。
「姐さんを火葬にしたのもこのやうな川端の山であつた。」
 淸さんはつひ昨日のやうな氣がした。火葬場といふものゝない島では内地から來た人たちは大抵は土葬にして髮や爪だけを持つて内地にかへつた。親方や淸さんは姐さんの亡(な)き骸(がら)を島の土にするには忍びなかつた。たまに旅の人々が使用する火葬場といふのは川に沿うた小高い松林のなかに、竈(かまど)のやうに掘り下げた窪地であつた。人々は竈のやうになつた窪地に石を疊んでその上に姐さんの棺桶(くわんをけ)を置いた。棺桶の下と上と一面に松の枝を投げかけた。親方や村の人達はしつきりなしにやまねこ(地酒)を飲んだ。火をつけてから間もなく村の人達は歸つて行つた。親方と淸さんは燃え切つてしまふまでゐたが、親方はぐでんぐでんに醉つて、泣き出しては淸さんを困らせた。黑鳥(くろどり)がくつくつと啼いては松林の煙を追うて翔(と)んだ、淸さんまでもがしまひにはそこにあつたやまねこを德利から口づけにあふつた。
          *
 二人が今夜泊ることにして來た江村(えむら)といふ家は村の入り口で聞いて直ぐにわかつた。江村といふ男は海岸で親方の厄介になつた男の一人であつた。この島に來てからも親方は夏から秋にかけては鑛山(やま)から下つて海に出てゐた。そして潜水機を使用して海産物を取つてゐた。江村は鮑(あはび)取りの上手な男であつた。江村の家もこの島によく見る郷士(がうし)の邸(やしき)風な建物で、低い石の塀をめぐらしたり、玄關には式臺見たいなものがくつゝいてゐたりした。江村は暗い奥から出て來た。
「それはまあひどいことぢやしたなあ……そして何時(いつ)亡(な)くなつてぢやしたかなあ!」
 江村は薄暗い五分心(しん)のランプを掻き立てながら訊(たづ)ねた。
「恰度(ちやうど)昨日が四十九日にあたつたのぢやがのう。」
 親方は草鞋(わらぢ)をぬぎながら力ない返辭をした。
「四十九日が間は靈も家の軒をはなれぬ言ひますでなあ。」
 人の善ささうな江村の母親が洗足の水を運びながら言つた。
「それがたいそう急な病氣でものゝ二時間と經たない間に死んだのぢやからのう。」
 親方は淸さんが肩から卸(おろ)したばかりの包みを見ながら言つた。
「正午(ひる)少し過ぎでしたらう、私が濱から歸つて來ると姐(ねえ)さんは冷たくなつてゐたのです。」
「それはまあ……」
「何でも暑いのに戸外に出て張り物をしてゐたといふことぢやがのう。」
「えゝ、私が行つた時にはまだ張り板もそのまゝで、まだ一枚のなんか乾いてもゐなかつたのです。」
「まあ何とか尚(も)うちよつと早かつたら思ふがのう!」
「それで何ちふ病氣ですかい?」
「まあ腦貧血やら、腦充血やらいふものやらう。」
「まあむごいことぢやなあ……」
「いや、みんな人間の因縁ぢやで何うも爲(し)やうない。」
「さうとでもあきらめんぢやなあ……」
 淸さんは風呂敷包みをはゞかるやうにして縁の端に置いたが、江村は無理にとつて床の間に上げた。江村の母親は線香を焚(た)いて拜(をが)んだ。
 江村の家内もそれに出て來てみんなに挨拶した。そしてかの女が引つこんで間もなく酒の用意ができた。
「何もありませんが、今夜はゆつくり泊つて飲んで行つておくれ親方……」
 江村は親方に盃をさした。江村が佐郷川で捕(と)つたといふ鮎(あゆ)やら、海で捕つたといふ魚などが膳の上に並べられた。
 馬糞や秣(まぐさ)の醗酵(はつかう)する臭ひがかすかに漂うて來た。
「それでは内地に歸つて、二度とこつちへお出でにもならんのぢやなあ……」
「子供も亡(な)くす、家内も殺すしたんで、よう居る氣にもなれんからのう。」
 親方は盃を江村にかへした。
「何ですかい、やつぱり故郷(くに)の方へぢやすかい?」
「いんや、故郷いうてはないも同じぢやでのう。まあ内地に着いた上で何處に行くか決めよう思ふんぢや。」
 江村は淸さんに盃をさした。
「あのやうによい姐さんはありませんぢやしたがなあ。」
「俺の口からいふのも妙ぢやが俺にはよすぎとつたかも知れんハハハヽ……」
 親方はちよつと床の間の方を覗いて笑つた。
「さう言やあ姐さんには大分若いやつらはさわいでゐましたよ……なあ淸さん。」
 江村は笑ひながら淸さんの盃を受けた。
「しかし、お菊といふ女はもとさむらひの出ぢやいふのでか、さわがれたりするのがきらひでのう。」
「それで親方も安心ぢやつたのさ、でなけれや親方だつてあのやうな美しい姐さんを放(はふ)り出して鑛山(やま)なんぞにこもれるものかなあ。」
「お菊ばつかりや、あいつは女の石部金吉といふんぢやらうハハハヽ……」
 親方は眼を細くして笑つた。
「淸さん、何うしたのぢや、ちつともいけんぢやないか。」
 江村はぼんやりしてゐる淸さんの盃にさした。
「おい飲めや淸さん、若いもんが……」
 親方までもが盃を淸さんにさした。
「いや、私もう飲めません、疲れたせゐかすつかり醉ひがまはりました。」
「淸さん何いふか、内地にかへりや、これで島のやまねこが戀しいこともあらう。」
 江村は淸さんの肩を抱くやうにして燗德利(かんどくり)を淸さんの前に押しつけた。
「淸さんお前ほど仕合せものはなかつた。あのやうに姐さんに可愛がられて……」
「お菊の奴、淸さんいやあ、まるで血を分けた弟のやうに思ふとつたのでのう。」
「大分淸さんをうらやんでる奴もあつたよ。」
「お前もその一人ぢやつたらうハハハヽヽ。」
 三人が一緒に笑ひ出した。
 親方も江村も大分醉つてゐた。淸さんは縁端に出て涼しい風に胸をはだけた。山と山の間に深く抉(えぐ)られたやうな空は暗かつた。飽くまでも高く、飽くまでも澄んでゐた。限りもない星が暗い淵をのぞいてゐた。
 ことことと秣桶(まぐさをけ)の音がした。若い女たちの澄みちぎつた麥搗(つ)きの唄が、輕い杵(きね)の音に交つて聞えて來た。
「姐さんは何故(なぜ)あんなに早く死んだのだらう?」
 淸さんには姐さんの死が自然でなかつたやうにおもはれたりした。
「女つてつまらないものよ。妾なんか何のために生まれて來たんだかわからない。親にも可愛がられないで、一生ほんたうに誰も頼るものがないんですもの。」
 姐さんは淸さんと二人切りのときしみじみと語つたことがあつた。
「一生のうち、たつた一度で宜い、思ふ存分泣いて見たい、笑つて見たい。」
 姐さんはよくかう言つた。母親につれられて叔父の家に厄介になつてゐた姐さんは、娘のころからどのやうな悲しいことがあつても、顔に出して泣くことはできなかつた。
「この子は何て意地つ張りでせう。」よく叔母はさう言つて姐さんをつねつたりした。それでも姐さんは一度だつて、人の前で聲を立てゝ泣くやうなことはなかつた。親方の家に來てからもさうであつた。一度だつて姐さんは親方の前で泣いたことはなかつた。
「淸さん、何(ど)うしたんでせう。淸さんの前だけでは妾は泣けるやうな氣がしてならないのよ。泣かして頂戴。」
 姐さんはかう言つて眼を赤くしてゐた。
 親方が鑛山(やま)に籠つて海岸に歸つて來ない夜など、淸さんはよく暗の底に啜(すゝ)り上げて泣いてゐる姐さんを見出した。
「眼をさまさしてお氣の毒でしたね。堪忍して頂戴、妾の病氣なんですから。」
 姐さんは子供のやうにすゝり上げて泣いた。
「自分でも分らないんですよ。でも、かう泣けるだけ泣いてしまふと宜いんですよ。妾は昔からかうなんです。」
 親方すら姐さんが人にかくれて泣いてゐたといふことは知らなかつた。
 死ぬ少し前だつた。
「淸さん妾が死んだら、あなたも死んで頂戴。」
 姐さんは冗談に言つたことがあつた。
 つひこなひだであつた。親方が鑛山(やま)から下りて來て、明日から海にはいらうといふので、姐さんと淸さんは潜水機の手入れをしてゐた。
「お菊、空氣筒(ホース)をよく見といておくれ。それが生命(いのち)の綱で、いつち大切ぢやからのう。」
 親方はさう言つて濱の方へ船を見に行つた。
 姐さんはいつまでも空氣筒(ホース)を調べてゐたが、そこには一つの罅(ひゞ)もなかつた。
「淸さん、これで大丈夫だわねえ。」
 淸さんは一應調べて見た。が、そこには何の異状もなかつた。
 翌(あけ)の日、船に乘つてからであつた。姐さんが眞つ先きに空氣筒に小ひさな罅がはいつてゐるのを發見した。
 それでも姐さんは親方には言はないでこつそり淸さんに言つて修理さした。空氣筒は鋭利な小刀(ナイフ)のやうなもので五分ばかり切られてあつた。
「何(ど)うしたんかい?」
 親方は空氣筒を繕(つくろ)うてゐる淸さんの手許を見ながら訊いた。
「少し孔が出來たんです。」
「水にはいらぬ前で宜かつたのう。」
 親方は何でもないと言つた風で煙草をふかしながら、方錐形(はうすゐけい)の木の枠に硝子を張つた覗きで海の底を見てゐた。
「親方も不仕合せな人さ、妾のやうな女を貰つたんですから。」
 親方が潜水した後でハンドルを動かしながら姐さんが淸さんに話した。
 それから四五日經つてからだつた姐さんが死んだのは。
「親方、もう佛さまのおのろけは大概にしてさ、うんと飲まうぢやありませんか。」
 筒拔けた聲を出して江村が今度は大きな椀を親方にさしてゐた。
「飲むとも。」
 かう言つて親方は椀を受けとつた。
 そしてなみなみと注いだ酒を一息に飲みほして、江村にさした。江村もまた一息に飲みほした。
「相かはらずお前もいけるのう。」
 親方はどろんと曇つた眼を瞠(みは)るやうにして言つた。親方の手は顫へてゐた。
「酒を飲むのと、戰(いくさ)するのが昔から島の男のしやうばいぢやつたからなあ。」
 江村はかう言つて床の間を眺めた。
「わしどんが幼(こま)かときは、まだこゝにはちやんと甲冑櫃(よろひびつ)があつたんですが、親父が酒のかはりに賣りこくつたんですたい。」
「お前も手傳うたんぢやろ。」
「いゝや、親父の奴が酒と、それから博多から來とつたじやうもん(美人)に夢中になつてぢやすたい。」
「そいぢや親父さんは戰爭もでけんだつたらう。」
「戰爭したなあ、蒙古(もうこ)が來たころぢやすたい。」
「そいぢや大昔ぢや。」
「うんにや、そいでも島の人間は今でも戰(いくさ)は上手ぢやす。去年もわしどまあ大演習に呼ばれて内地に行つたが、警備隊の兵隊がいちばん宜う働いたですよ。」
「酒飲むことゝ女郎買ふことばかり働くんぢやろ。」
「女郎買ひも働くにや働いた。ばつて柳町のじやうもんは宜(よ)か、あればつかりや内地が宜か。」
 二人の醉漢(すゐかん)は大きな聲を出して笑つた。
 江村のおかみさんが飯をはこんで來たのは麥搗(むぎつ)き唄(うた)も聞えなくなつてからであつた。江村の老人は二三度床の間の線香を立てかへに來た。
          *
 淸さんは何うしても眠れなかつた。酒と山越しに疲れた體中に、鋭い神經がいやが上に鋭く働いた。佐郷川の流れと遠い海の響きが絶え間なく近い山に谺(こだま)した。勝手の方では老人とおかみさんは一目も寝ないで準備(したく)をしてゐた。親方も眠れないので二三度起き上つては水を飲んだ。江村の高い鼾(いびき)のみが夜つぴて絶えなかつた。
「淸さん。それでは夜が明けるまでに港まで出ることにせうかのう。」
 細くしたランプの心(しん)をかきたてながら親方は煙草に火を點(つ)けた。
 おかみさんが來て江村をゆり起した。江村はなかなか覺めなかつた。
「そいぢやどうしてもこの夜なかに發(た)つとですか?」
 江村は眼をこすりながら言つた。
「そいぢや馬にして行きなはれ。」
 老人が庭に下りて親方と江村の顔を見ながら言つた。
「夜の道ぢや危ない。私が港まで行かう。」
「いやそいぢや氣の毒ぢやから、燈(あかり)だけ貰うて行かう。」
 江村は山一つ向うまでといふので、炬火(たいまつ)を持つて先きに立つた。淸さんは荷を振り分けにしてかついだ。
「さよなら……厄介になりました。」
「あい、さよなら……」
 老人と江村のおかみさんは泣いてゐた。そして淸さんの肩の風呂敷包みを拜(をが)んだ。山にかゝるまで江村の家の燈(あかり)だけが白い佐郷川のほとりに見えた。
「良い心持ちぢや。」
 親方は胸をはだけながら冷たい風をうけて、先きに立つて歩いた。滿天の銀河(ぎんが)は秋らしい淸爽(せいさう)の氣に充ちてゐた。
 幾萬と限りもない漁火(いさりび)が玄海を埋めて明滅してゐた。大きな山螢が道を横切つて滅(き)えた。
「こゝいら冬になると鹿が出ますよ。」 
 江村が親方に話した。
「山猫なら今から捕れますよ。あいつは惡い奴で、夜になると鳥の塒(ねぐら)にやつて來るのですたい。」
 親方は疲れたかして幾度も道ばたに腰を卸しては煙草を喫(の)んだ。江村一人がのべつに話しつゞけた。
「淸さん、内地行つたらあんまりじやうもんを泣かせちや罪ばい。」
 淸さんは默つたまゝ歩いた。親方の煙草の火だけが後ろの方で遠く時々明るくなつた。
 嶺(みね)に達したころ炬火は燃え切つてしまつた。それでも山の背は明るかつた。白い道がかすかに靑い草原を縫うて走つてゐるのが見えた。
「それではこれでおわかれとせう……いや、どこまで來て貰つてもはてはないから……」
「それぢやまたどこぞで逢ふこともありませうで。」
「落ちついたら知らせるから……」
 江村の立つてゐる黑い姿が空に投影して久しいこと嶺の上に見えてゐた。
「やまねこにたゝられたと見えて體がだるい。」
 親方はともすればおくれがちになつた。
「淸さん、俺いつとき代つて擔(かつ)がう……」
 淸さんに追ひついては親方がかう言つた。
 二人は何(なん)にも語らないで白い道を歩いた。
「何時までもこのまゝ夜道がつゞけば宜い。」
 二人はさうおもつた。
 ばたばたと二人の跫音が靜かに聞えた。黑鳥(くろどり)がくゝくゝと草のなかを鳴いて走つた。
「親方、あれが港の燈臺でせう。」
 淸さんは立ちどまつて山の裾の方を指さした。そこには暗い山の陰に際立つて明るい火が燃えてゐた。
「もう直きぢや、一休みして行くことにせう。」
 親方は投げ出すやうにして體を草の上に横たへた。淸さんも親方の傍に行つて腰を卸した。草の中の蚊が時折り耳をかすめて飛んだ。
 二人は靑い葉の枝を折つては焚いた。白い煙がくつきりと草原を這うて海の方へなびいた。白い波頭(なみがしら)が山の根を噛んでゐるのが銀の帶のやうに見えた。
「もう東も白んで來るぢやらう。」
 眠さうに親方が言つた。
 二人は限りもない空の星と沖の漁火(いさりび)を見つめたまゝ默りこんでゐた。二人は何時とはなしにうとうとと眠つた。親方の鼾(いびき)が高くきこえた。
 淸さんが眼をさました時には、既う夜はすつかり明けてゐた。海には灰色の帆が限りもなくつゞいてゐた。空はすつかり曇つてゐた。壱岐の勝本の鼻が少(わづ)かにどんより見えるだけで、内地の島影は見えなかつた。
 暗い玄海の面を燻し銀のやうな白い波が、涯もなく流れては、雲や空のなかに滅えて行つた。
 絶望と困憊(こんぱい)とをたゝへた親方の顔の色は土のやうに見えた。親方は他愛もなく眠つてゐた。力ない呼吸と鼾とが土の底から洩れて來るやうにおもはれた。
 淸さんは全身の骨と筋肉とが一つづゝ離れ離れになつたやうに懶(ものう)かつた。
 淸さんはぢつと親方の死人のやうな顔を見つめてゐた。そこには鬱金(うこん)の風呂敷包みが草の上に横たへられてあつた。
 淸さんは子供のやうになつて泣いた。

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