国境の島・対馬の山旅⑧白岳の三角点2020年01月04日

 対馬まで山歩きに来てまさか藪漕ぎになろうとは思わなかった。12/31の白嶽で2等三角点を踏めないか少し動き回ってみたが叶わなかったので県道24号線を西回りに走って小茂田に来た。小茂田から上見坂まで県道44号線を走った際に日見川にかかる橋の付近に白嶽の道標を見たのである。滞在7日目で4日の登山の締めは白岳2等三角点と上見坂公園の虚子句碑見学にした。
 朝いつものようにホテルの朝食サービスを食べて出発。今回はR382から厳原町桟原ですぐに左折。県道44号線に入る。すると佐須坂の長いトンネルを抜けて下るとすぐに日見川橋になり、右折。鶏知に通じるエコーラインなる道でもある。2kmくらいで日見川左又を行く。未舗装になる。行けるところまで行くと道が荒れているので適当な場所にデポ。そこから歩き出すがすぐにチエーンがある。
 林道を淡々と歩くと地形図にない分かれ道等もあるが上流へと向かう。最後は有耶無耶になったので直前の谷に入ってみた。イメージでは上見坂の登山道と合流したいのだが山は低いし、水流は少なく、登山靴でもなんとかなると踏んだ。
 最初は広く歩きやすかった谷も段々狭くなり、間伐材の散乱が邪魔するようになってきた。そのうち右からの山道に出会えないかとの期待はむなしく、植林帯に迂回したり、間伐材の間をぬって高度を稼ぐ。明らかにこれはイメージした谷ではないと、撤退が頭にちらついた。こんなところで行倒れても誰も知らせることはできないからだ。
 高度計とスマホの地形図でチエックしながら登る。谷はいよいよ狭くなり急になってきた。転落に注意しながらジグザグで高度を稼ぐと空が明るくなり始めた。やれやれ稜線だ。登り着いた稜線は標高460m。目前かと登るが三角点の南のコブと分かった。やはり谷一つ手前だった。鞍部まで下って登り返すと良い山道になり赤テープが勇気づけてくれる。登山者に匂いがする道になった。
 やがて岩峰を巻くように登ると2等三角点:白岳の山頂だった。360度の大展望である。白嶽もよかったがここの山頂も人ずれしていないので好ましい。たった1人の山頂を満喫した。
 下山は鞍部までは同じ。そこには気が付かなったが陸軍省の石標が建っていた。これも戦争の遺跡である。
 鞍部からは赤テープを頼りに下った。というよりも道を外すと間伐材の散乱に身動きが取れず、歩けるところを行くと必ず赤テープがあったからだった。上部では広い谷間も中腹では狭くなった。地形図で崖の記号がある辺りで植林内に上がった。すると掘れ込んだ道型があった。廃道ではあるがかつてはよく歩かれたらしい。植林内ではその道型もあいまいになり藪に突入しながら谷の下部を目指す。
 日見川源流になるとスプーンでえぐったような地形になり、前方に上見坂の道標が目視できた。これで藪から脱出だ。ハイウェイのような上見坂の登山道に合流した。前回の引き返した辺りは三角点から真東に伸びる尾根との合流地だろう。5分も歩けばここまで来れたかも知れない。しばらくいい道を歩くと日見川源流の最奥へ下ってゆくきれいな踏み跡をたどる。谷間に下ると平坦な廃道を下る。すると左岸から右岸に移ったところで登った谷の入り口になった。よく見ると廃道の雑木に赤テープもあったが見落としたのだ。これで一周した後は元来た道をたどる。
 マイカーに戻り、県道44号まで走ると左折。上見坂公園へ入った。多分44号の旧道だろう。途中見晴らしのいい駐車地から白嶽の連嶺がよく見えた。2等三角点も谷筋まで見える。登りも下りの谷もとても急峻だった。よう登ったわな、と自分でも呆れかえった。さらに走ると公園への入り口を右折。広い園地がありトイレもあった。真っ先に目に入ったのは高浜虚子の弟子の河野静雲の句碑
     対州は大山国やほととぎす
 対州は対馬国の別称。海に浮かぶ島国だと思って来たら山だらけじゃないかという句意。多分ほととぎすの鳴く初夏に来たのだろう。虚子には、壱岐を詠んだ句もある。

    壱岐の島途切れて見ゆる夏の海

    西日今沈み終りぬ大対馬

    壱岐低く対馬は高し夏の海
               六月一日 門司より再び乗船、出帆。


    船涼し左右(そう)に迎ふる壱岐対馬

六月十日 雑詠選了。対馬見え壱岐見え来る。大阪朝日九州支社より、帰朝最初の一句を送れとの電報あり。

 ここも砲台跡だった。今も自衛隊の基地がある。展望台に上ると韓国が見えるだろう。韓国人観光客がレンタカーで入れ替わりに遊びに来ていた。これで一日の予定は終えた。