寒月に雲飛ぶ赤城榛名かな 河東碧梧桐2018年01月29日

 碧梧桐は愛媛県松山市の人。1873年~1937年没。作品は明治36年作。1903年だから30歳の作品。18歳で子規の添削をうけて俳句を始めたから12年目というところ。すでに20歳代で新聞俳壇の選者を務めたり理論書を出版している。近代俳句草創期はこんな早熟型が台頭していた。以上は岩波文庫・栗田靖編『碧梧桐俳句集』の年譜などを参考。

 さて、有季定型の堂々とした詠みぶり。解釈の用もなく明解。赤城は赤城山、榛名は榛名山の略。加えて妙義山で上毛三山。

 志賀重昂『日本風景論』は22歳時の明治27年に刊行。碧梧桐はすでに読んでいたと思います。本を参考に山岳俳句を試みたのか。山岳俳人の嚆矢かも知れません。白馬岳の越中側の谷を遡行して登頂しています。後に大町から現在のいわゆる裏銀座コースも縦走して後に有名な
  
  立山は手届く爪殺ぎの雪

を詠んでいます。

 ところで山名を一句に二座詰め込む名句を思い出しました。

  祖母山も傾山も夕立かな   山口青邨