雪崩に関する書籍2013年11月26日

 未だ覚めやらぬ真砂岳の雪崩の事故である。われわれは何も学んで来なかったのだろうか。もちろん、そんなことはない。最新の科学的な研究以前にも雪崩の言葉を集めた本もある。
 ふと思い出したのは、岩科小一郎『山ことば辞典ー岩科山岳語彙集成』(藤本一美編、百水社刊、星雲社発売、1993年)である。この中の「山岳語彙」に続く、「雪崩語彙」がすごい。積雪地帯の各地から雪崩の語彙を集めて整理してある。文献を渉猟して集成したものらしい。
 例えば、飛騨周辺の山ではアワという。これは橘南谿(たちばななんけい)の『東遊記』(寛政7年)からも引用してある。”アワというは冬多し、で始まる。
 昭和5年1月、立山剣沢小屋が雪崩で倒壊した。死に瀕して、”音も無く降る雪はアワナダレを起し”と書かれたようだ。
 今は岐阜県と福井県境にある、いわゆる、石徹白の野伏ヶ岳の山頂直下(東側)を確か、アワツキダイラといった。タイラというが急斜面である。北西の季節風と日本海の水蒸気で、湿雪気味の雪の庇が出来るのだろう。限界を超えると落ちて雪崩れる。そんな意味に理解している。
 大島亮吉の『山ー研究と随想』に雪崩のことがあるようだが、私の中公文庫には除外されている。
 鈴木牧之編『北越雪譜』(岩波文庫)も引用してある。書架にあるのを直接読むと最初から雪崩である。見出しの雪頽は”なだれ”とルビがある。
 ”山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に”なだれ”ともいふ。按ずるになだれは撫で下りる也、る=を=れ=といふは活用ことばなり、山にもいふなり。ここには雪頽(ゆきくづる)の字を借りて用ふ。字書に頽は暴風ともあればよく叶へるにや。”とあり、以上は岩科の本にも引用されている。「雪頽(なだれ)人に災す」の小見出しで雪国の生活の難儀を記す。

  頽雪かけて日暮るゝ早し打保村     前田普羅

 今は飛騨市になった打保村のこと。頽雪の語彙がここに出ていたとはね。すると普羅はこの本を読んでいたのだろう。たいせつかけて、と読んでいたが、なだれかけて、の方が正しいようだ。イメージでは、山か或いは身近な山家の屋根からなだれかけていて、そのままに日が暮れてゆく寒々とした風景である。
 ちょっと飛ぶが、
 映画「雪国」(川端康成原作)でも岸惠子扮する駒子のセリフに”雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に晒(そそ)ぎ、雪上に曝す。雪ありて縮みあり、されば越後縮みは雪と人の相半ばして名産の名あり。魚沼郡の雪は縮みの親というべし”を朗々と唱えるショットがあった。枕元に於いて折に読むべき名著なり。
 話題に戻す。
 今西錦司『山岳省察』の中にも雪崩の見出しがある。今西さんも山スキーの名手であった。好んで読んだ著作である。短い文章だが読んでおきたい。
 最後の文のみ転載する。”けれども私は山へ入って雪崩の音を聴き、そのデブリを見るごとに、自然に対する感覚のつねにあらたなる興奮を感ずる。”と結ぶ。危険と隣り合わせの登山である。リスクを負わないと生きている気がしないのも又人間の一面である。
 
 こんな本を読んでいると、雪国越後へ行きたくなった。