山の本は道楽の極み2013年10月01日

 今日から10月。月末が「日本三百名山」の原稿締め切りになっている。大方は取材を終えていると思うが、写真はもう1回は行きたい。イメージ付けのために特に遠望は大切だ。
 それにしても山の本の出版ほどの道楽は他にありや。
 ある出版関係者と山の本の話をしていたら、実際に山へ登って取材するんですか?という質問に唖然とした。紙とハサミで作る感覚がありありだった。別の会社の人は有名作家でも?%ですよ、と印税を値切ってくる。山の本がどのようにしてつくられるのかまったく関心が無いように思える。歴史物を書く作家が取材をすればその取材と資料は別の作品にも生かせる。1回の取材で何作も書ける。山の本はそうは行かない。特にガイドブックはすぐに古くなってしまう。
 おまけに団体で作ると、印税は団体への上納金に召し上げられて、取材費すら出ない。今回でも出せません、と明言してある。やらずぶったくりの典型である。
 JACではヒマラヤなどの海外遠征は高額(100万円以上)の補助金を出している。それは良いのだが、もらった方は感謝の気持ちを団体への奉仕で返そうという気はなく、多くは退会してしまう。
 それならば出版も会の設立目的の一つなので、命がけで汗を流した人に還元するべきだと思うが、何やらワケのわからない使途に化けてしまう。社団法人では(公益社団でも)、利益を分配してはいけない、ことになっているとある先輩は言う。
 しかし、利益の意味をはき違えている。利益とは売上(印税収入)から原価(取材費)を差し引いたものだ。取材費の出費は原価であり、活動費である。団体としては赤字になってもやる。印税収入から取材費を引いて当面は赤字だろう。しかし、赤字の部分が純活動費である。売れて黒字になれば尚良い。収益事業には法人税が課税される。取材費を出さなければ、最初から黒字(=利益)になり、課税されてしまう。公益団体の運営には特に幹部は会計の知識が不可欠である。
 とまれ、一般会員は、会費を納めた上に、個人の財布と時間を犠牲にしてせっせと山に登り、取材し、執筆する。見返りを期待せずにやるからもうこれ以上の道楽はない。未踏峰やヒマラヤ登山以上の悦楽がある。
 もう登ることはあるまい、と思っていた奥茶臼山に新ルートから再訪できたのもこの取材であった。さてどう書こうか。

長谷川櫂『俳句の宇宙』を読む2013年10月02日

 中公文庫。2013.7.25刊行。 
 序章の”自然について”の考察がお見事。若い俳人の評論は荒っぽくて読まなかった。奇をてらうというか、人と変わったことを言って売らんかなの心が見えると読む気にならなかったのである。ところが文庫を手に序章を拾い読みするとすーっと入ってくるものがあった。

 著者によれば、「自然は俳句が抱え込んだ近代の矛盾だ。だから、近代の俳句はたえず自然への執着と自然を拭い捨てようとする衝動を同時に秘めている。」という件が深い考察から産まれたものだろう。

 確かに毎月天白区の句会で各自の俳句を読み解くと自分ではうまく表現したつもりなのにそうは理解(できない)されていない句が多い。そこで作句の現場や状況などを聞きながら添削をすることになる。

 作者は芭蕉時代の俳句は古今集を前提にした「場の文芸」と喝破した。古今集の教養、杜甫の漢詩の素養などがないと理解できないというのだ。これを

 古池や蛙飛び込む水の音
 
の超有名な句で解説した。この句に古今集の要素が混じっているなんて現代の我々には想像もつかない。だから子規も虚子も「場」から離れて理解を試みたが本質ではないという。子規は「どこにでもある自然だけを俳句の「場」にしようとしたことーーーーそこに子規以降、近代の俳句のひとつの巧知をよみとることもできる。」
 それゆえに”古池や”の句の理解も本質を離れたものに変遷した。あの山本健吉すらも皮相的な鑑賞に終わった。
 子規は写生を主唱した。虚子は客観写生を説いた。それが現代まで続く。これは実は不思議に思っていた。俳句の「場」が失われた以上は自然を写生することでしか句作できなくなった。自然が「場」になった。しかも個人である。芭蕉が指導しながら、仲間内でわいわい言いながら句をつけてゆくことはなくなったのだ。その欠点を句会が補っているといえる。
 しかし、現代では、その自然の「共通の場」さえ失われた。蛙の鳴き声すら都会では聞けない。実はウシガエルはうるさいほどいるが風雅な趣はない。
 続けて引くと「そして、自然という「共通の場」が空気のようなものでなくなりつつあることは、俳句がもともと「場」に依存した文芸であること、読み手の方から「場」に参加してゆかなければ俳句はわからないことをしだいにはっきりさせてくるだろう」確かに一人で句作しても発表の「場」がないと寂しい。新聞俳壇、雑誌の俳壇への投稿もあるが「場」を醸成するには程遠い。
 富山市にある所属俳句結社の句会に行けないから近くの人らに呼びかけて作った句会がもう満3年、40回も続いて、先々月には八ヶ岳の山小屋を体験してもらった。登山経験のない高齢者を原自然のど真ん中へ案内したわけだ。日常から非日常へ、日常平凡から脱却するにはこちらから出かけなければならない。その意味では俳句は足で作る文芸とも言える。
 失われつつある自然。彼岸花は決して本来の自然ではない。人間が絶えず干渉する荒地や耕作地、土手などの擬似自然の生物である。杉や檜の植林山を見て、緑がいっぱい、自然の中の空気はうまい、などと叫んだ無知なアナウンサーが居た。現代人の劣化は相当酷いところまで来ている。すると本物の自然はもう長野県や岐阜県でも奥の山にしかないのだろう。
 自然詠の本義を考える好著である。

新米のミネアサヒを買う2013年10月05日

 10/4から10/6まで奥三河で友人が三河の山河の風景写真展を開催している。当初は軽い山歩きをセットしてみたが、黄葉には早いし、天気も今一なのでドライブと新米のミネアサヒを買う目的で出かけた。自宅を出たのは1時過ぎであったが、何処へ行くのかマイカーで渋滞気味であった。郊外にでてやっと快適なドライブになった。豊田市の田園地帯からは焙烙山と六所山を背景に愛環鉄道の列車が走ってゆく。のどかな風景である。都会で何かごそごそしていたい気持ちが吹っ切れて、田舎モードに切り替わる。
 足助からはR420と県道ルートがある。今日は足助川に沿う県道33を走る。寧比曽岳の登山口のある峠を乗り越すと大多賀町に下って、段戸川を溯り、裏谷の段戸湖を経由する。ここからは段戸高原を走り、鷹ノ巣山(旧段戸山)から流れる澄川を下る。ここらは落葉樹もあるので11月初旬からは黄葉が楽しめるだろう。宇連を経て、大名倉を過ぎるとしばらくでR257に抜ける道を登る。すぐに設楽町の中心地の田口である。名古屋から約80km、2時間かかった。
 会場は右折してすぐ信号を左折。山の町・田口を走るとすぐにある。会場に入ると、結構な来場者があった。今や閑散とした町だが、こんな文化的な行事を心から欲しているのだろう。名簿を見ると地元が多く、郊外の市からも来ていた。名古屋市は1名と私だけ。さすがに報道されないと知られない。作品の傾向は以前から変わりなく、目立たないが、今、撮影しておかないと、いつ又見られるか。人工林ばかりになった山の危うい自然を撮り貯めている。東松照明のようなタッチを感じる。ダイレクトであり、技巧を凝らさない。さりげなさがある。
 40分もいただろうか。会場を後にして、R257を走り、稲武のどんぐりの湯の道の駅でミネアサヒ5kg入り2200円也を購入した。他に懐かしい大根菜も買った。子供の頃は大根菜と揚げの味噌汁をよく飲んだ。都会のスーパーでは大根菜を置いてないことが多い。白菜菜も同時に買った。つくづく食い物に関しては保守的なようだ。昔の味覚を忘れないのだろう。こんな舌ではとても海外旅行なんて無理だな。
http://www.pref.aichi.jp/nogyo-keiei/nogyo-aichi/tokusanhin/bbs-data/360194/

 すっかり薄暗くなった三河路を帰路に着いた。足助では久々に、いつもの川魚料理の店でウナギを食した。肝吸い付きの上丼で1900円也。名古屋の名店との1000円の価格差がある。うぁというくらい安く感じる。往復150km超はやはり気楽な距離ではない。しかし、たまに三河の山気に浸れるのは気持ち良い。

中島正文の俳句2013年10月07日

 中島正文小伝
明治31(1898)年に富山県西砺波郡津沢町(現小矢部市)に誕生
大正13(1924)年6月日本山岳会に入会(会員番号857)
大正15(1926)年 俳句を作り始め、前田普羅に師事(号 杏子(きょうし))
昭和12~14年 「黒部奥山と奥山廻り役」を日本山岳会の機関紙「山岳」に発表
昭和16(1941)年 「神河内誌」を「山岳」に発表
昭和23~27年 「白馬岳雑攷」を「山岳」に発表
昭和37(1962)年 「山の恩人」として厚生大臣表彰
昭和43(1968)年 岐阜県神岡町円城寺境内に句碑建立
 ”鈴蘭の雨に遊杖巡し去る”
昭和48(1973)年 日本山岳会永年会員に推挙(在籍50年)
昭和55(1980)年死去
昭和59(1984)年 富山県立図書館内に句碑建立
 ”夏山に地獄を抱きて紺青に”
昭和60(1985)年 小矢部市津沢町遺宅址に句碑建立
 ”おほらかに堰のり越すや春の水”

 中島杏子180句の中から趣くままに選句

夏山の峰谷々に名ありけり

・・・無名の沢、ピークというのはありえない。知らないだけである。山岳史家を自認する杏子の面目躍如。

山の上に光る海見ゆななかまど

・・・太郎平辺りから富山市の夜景が見える。目を凝らせば見えるかも知れない。秋ならば大気も澄んでいる。

夏山や地獄を抱きて紺青に

・・・おそらく立山の一角でしょう。何ら技巧を用いず、直叙する。

真っ黒に山暮れてゆく端居かな

・・・自宅と言わず、どこでもいい。背後に高い山を借景にできる富山県人ならではの句。

山々の色あざやかに台風来

・・・折角、錦秋の山に登ってきたのに台風が来ている。この紅葉も台風後は見られないだろう。目に焼き付けておきたい。装う山々。

飛騨山の根雪にかざす濃山吹

・・・昭和27年の作。普羅の地域別句集『飛騨紬』の世界を彷彿する。飛騨、根雪、山吹は普羅の大好きなキーワードだった。普羅の嗜好に忠実に詠まれた。富山市を去った普羅の死去が昭和29年ということを考えると師への恩から生まれたのだろう。オマージュという言葉が適当か。

雪山のかぶさる下の花の山

・・・かぶさる、というと普羅の”立山のかぶさる町や水を打つ”を思う。オマージュというでもないが、思慕の念を感じる。

玲瓏とつらら束ねて瀑立てり

・・・玲瓏とは「玉などが透き通るように美しいさま。」という。結氷した滝の氷柱を表現した。氷柱を束ねて滝の水が立っている、というのだ。そこに居ないと詠めない。演歌歌手の島津亜矢は今年のコンサートの名称に「玲瓏」を用いた。こちらは「玉などの触れ合って美しく鳴るさま。また、音声の澄んで響くさま。「―たる笛の音」の意味だろう。なるほど。

栃の実をゆさぶる熊に月漏れし

・・・熊の大好物という。揺さぶって実を落す熊の知恵である。揺さぶった際に、枝が折れたか、梢が開いて月が見えた、というのだ。
 奥越の屏風山へ遡行した際にビバークした箇所からブナの森の梢から白い月が見えた。そんなイメージだろう。
 腹いっぱい食べて冬眠中に子供を産んで育てる。食べられないと冬でも里に出て山家の柿などを食い荒らす。
 石橋辰之助にも”白樺の葉漏れの月に径を得ぬ”がある。月が漏れるか、葉から(月)が漏れるか、どちらも同じことだが、月明かりに熊が見えたと解するとしたらちょっと恐い風景である。

弥陀ヶ原夏逝く餓鬼田水落す

・・・まるで水耕の田んぼのような描写である。行く夏を惜しむ。寂寥感溢れる句。冬になれば広大な弥陀ヶ原もやがては20mもの厚い雪の下になる。

百百重(いほへ)なす山脈閉ざす大冬木

・・・五百重のミスかも知れない。百重でも”ももえ”でいくつもの重なりあいを表現する。更に多くの重なりを言うのだろう。すっかり落葉した後も派手さはないが好きな風景である。

葛垂れて秋急ぐなり深山櫨

・・・昭和35年の作。秋の深まる直前であろうか。もの侘びた風景が心理的に「急がせる」のだろう。昭和2年に水原秋桜子が、”啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々” を詠んでいる。これは赤城山での作。秋は心急く。

百合咲いて立山日々に青きかな

・・・百合の花の華やかさと荘厳な立山との対比。春から夏へ移り行く富山平野の季節感が横溢する。把握が見事。

雷過ぐる剣岳は八峰よりなだれ

・・・剣岳に登った。折悪しく雷様が通り過ぎる。大音響で雪渓を刺激したのだろうか、雪崩を誘発した。目の前で見ているのだろう。恐ろしい風景である。山岳俳句の典型。

立山の雪も少な目去年今年

・・・お元日を迎えての静謐な句。毎年、何十年と長い間立山を見続けてきた人ならではの句。

両界岳と古地図に名あり雷起こる(両界岳=白馬岳の古名)

・・・新潟県側からは大蓮華という。長野県側からは西山、代馬岳の名称は知っていた。越中側の名称だろう。こんな古名があるとは初耳である。これも山岳史家ならではの句。

続報・2020年オリンピックの歌手には「島津亜矢」を!2013年10月10日

ガジェット通信によれば

JOCが「東京オリンピック開会式に登場してほしい歌手」を発表した。このランキングは公式サイトから103,537件、はがきは39,857件、合計143,394件寄せられたアンケートでそれらを集計したもの。結果は次の通り。


■2020年の東京オリンピック開会式に登場してほしい歌手は?(上位20項目)
1位:サザンオールスターズ 8,939票
2位:嵐 7,482票
3位:EXILE 6,820票
4位:SMAP 5,956票
5位:ゆず 3,760票
6位:DREAMS COME TRUE 3,167票
7位:AKB48 3,057票
8位:宇多田ヒカル 2,952票
9位:B’z 2,840票
10位:和田アキ子 2,336票
11位:MISIA 2,240票
12位:Mr. Children 2,146票
13位:由紀さおり 2,114票
14位:秋川雅史 2,063票
15位:福山雅治 2,015票
16位:北島三郎 2,010票
17位:桑田佳祐 1,944票
18位:いきものがかり 1,888票
19位:氷川きよし 1,876票
20位:安室奈美恵 1,814票

このように1位はサザンオールスターズ、2位は嵐、3位はEXILEとなっている。これらの結果は実際に2020年東京オリンピックに反映されるものではなく、あくまでアンケートである。
以上
9/9にアップしてみたが拡がらなかったのは残念でした。20人のうち、13人は聞いたこともない歌手ばかりだった。しかし、「君が代」とサザンの取り合わせって、奇想天外に思う。あの独特の歌い方で、♪きいーみーがあーよおーわあー♪なんてお念仏みたいに引っ張りながら、リズミカルにアクティブに歌うんででしょうか。

http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/09/09/6977029

 でもでも実力で推挙される道はまだあるので諦めない。

伊賀焼の土釜で炊く2013年10月12日

 西友系の無印良品で手に入れた逸品。能書きは
「土釜おこげ 3合炊き 3合炊き 約直径22×高さ15cm

直火で手軽に炊飯ができる土鍋です。火加減を途中で調節することなく、約17分でおこげ付のご飯が炊けます。(伊賀焼)」
http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4934761052076?sc_bh=param1

 早速、梱包を解いて、残りご飯を入れてまずはお粥をつくり、釜に馴染ませる。その後1日おいて、米を炊く。水は600ccとあったが多すぎる気がして500cc位で炊いた。ガスは中火。

 コンロの前を離れて少し香ばしい匂いが漂うので見てみると少し焦げたような感じだった。すぐに火をとめた。金属の鍋ならば、チリチリという音がする。鍋の内側の粘々が固形化する音であろう。土釜は重い蓋の隙間からシューと蒸気が吹いているだけだ。衰える寸前に火を止めた。十数分蒸らした後、蓋をとってみると、美味そうな匂いというより香がする。底には少しこげがあった。
 お椀にすくって食べると実に美味い。おかずが要らないほど美味い。常備菜の海苔を塗って食べると飯の美味さが引き立つ。海苔の甘辛い味が米の甘さを引き出す。この味こそ子供の頃に親しんだ釜の飯ではないか。

 法事で田舎に帰ると、親戚で大量のご飯を炊く。これが美味い。米の質も良いのだが、沢山の量と、水、ガス釜の強火が良いのだろう。混ぜご飯はとくに顕著に美味い。次は混ぜご飯にするか。

 さて、メンテナンスは重い分、やや慎重にしなければならない。食欲の秋を支えるツールが頼もしい。

女性自衛官の歌姫・三宅由佳莉さんって!?2013年10月13日

 中日新聞朝刊コラムの「この人」に三宅由佳莉が挙げられている。少し前の朝日新聞のコラムにも掲載されていた。どんな人かググってみた。
 朝日新聞でググってみると、9/17のデジタル版がヒットした。

 幼少期から祖母とともに童謡集を広げて歌に親しんで育った女の子が、児童合唱団に入り、やがて高校・大学と音楽の道に進み、成長する過程において自然と歌い続けてきた「宝物」とも言える歌の数々を、海上自衛隊東京音楽隊の演奏で収録した一枚が8月28日に発売された。アルバムは早くも4万枚を売り上げ、オリコン週間ランキングのクラシック部門で3週連続1位と、ヒットチャートに名を連ねている。

 数多く発表されている海上自衛隊東京音楽隊によるCDの中でも、唯一ヴォーカリストとして東京音楽隊に配属されている自衛官、三宅由佳莉3等海曹(ソプラノ)をフィーチャーした歌と吹奏楽のアルバム『祈り~未来への歌声』。ピュアな美声で「希望の歌」を歌い上げている。

 このアルバムは、東日本大震災により大切な家族を失ってしまった子供たちや被災者の方々への応援歌として、海上自衛隊東京音楽隊・河邊一彦隊長(2等海佐)が作詞・作曲したオリジナル曲「祈り~a prayer」をはじめ、「花は咲く」「アメイジング・グレイス」「ふるさと」「夢やぶれて」といった名曲ばかりを収録している。

 Youtubeで2011年12月のサントリーホールでの「祈り」の演奏映像が流されると、ページビューは30万を超え、三宅さんが歌う別の映像を合わせると100万ページビューと彼女の歌は人気を集めている。また、「祈り」の映像は多くのユーザーから「感動で涙が止まらない」と書き込みがされ、落ちついた歌声に光る澄んだ声量が心に響く。

 アルバムの収益の一部は、日本赤十字社に寄付される。

プロフィール:3等海曹 三宅 由佳莉 (ソプラノ)

 岡山県出身。岡山県立岡山城東高等学校普通科音楽系、日本大学芸術学部音楽学科声楽コース卒業。声楽を渡邊馨氏に師事。2009年4月に海上自衛隊に入隊。同年9月、東京音楽隊に初のヴォーカリストとして配属。ジャンルにとらわれないその歌声は、これまで多くの支持を集めている。なかでも河邊一彦の作品を中心とした「歌と吹奏楽」という新たなスタイルへの取組みは、多方面から高評を得ている。
以上
 
 で、肝心の歌はどんなものか、ユーチューブで視聴してみた。声楽の出身だけあって、声の出し方が違う。映像もでるので歌い方までばっちり分ってしまう。
 お堅い自衛官には不謹慎かも知れないが、可愛くて、清楚な美人である。自衛隊員の士気もあがるんではないか。何より、大学で打ち込んだ歌を活かせる仕事を得たことが晴れがましい。いい居場所を得た。今後のご活躍を祈りたい。

 インタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=n-PIPDb0QCY

 東日本大震災の被災者への応援歌として作詞された「祈り」
http://www.youtube.com/watch?v=DRG3WEelkj8

ぐっとくだけてブルーライトヨコハマを歌う
http://www.youtube.com/watch?v=jAIeYBNz45o

追記 アップした13日は45000件が今日15日は47000件を突破。1日で1000件も再生されている勘定だ。すごく人気が高い。こんなさわやかな歌声とチャーミングな物腰では毎日聞きたくなる。

女性自衛官が歌う Time To Say Goodbye
http://www.youtube.com/watch?v=wS9UmJkTEs8

 これぞ三宅さんの真骨頂という歌唱です。自衛官が歌うのではなく、本格的な歌手が自衛官になった、というべきでしょう。ルックスの良さもあって人気が高まるかも知れません。

「岳人」バックナンバーが生きた!2013年10月15日

 昨日、伊那の山からの帰路、中央道の大渋滞にはまった。その時に携帯がなった。旧知の先輩から「岳人」のNO605(1997.11)は持って居ないかと問う。運転中では込み入った話も出来ないので帰宅後書架を調べるとあった。
 執筆者は服部英雄氏で、名古屋生まれで、現在は九大教授。テーマは「鎌倉街道安房峠越え踏査記」であった。実はNO595とNO596に「検証 天正12年、佐々成政は本当に厳冬期の針ノ木峠を越えたのか」を寄稿して世のファンに問うたのであった。No605は「佐々成政「ザラ峠越え」の新事実」として、再検証された。
 今は『峠の歴史学』(朝日選書)に収録されている。HPには一部掲載されている。

 安房山なら私も登った。そしてすぐ下に安房峠の存在があることも興味をもっていた。ウェストンが越えた峠もそこに違いない。小島烏水も越えた。あれは鎌倉街道だったのだ。そこを実地踏査されたのだ。

 先輩は山好き。本は大、超がつくほどの蒐集マニアであるが、岳人のバックナンバーは全部捨てたそうだ。
 実は私ももう処分したい。新たな本が続々増えてゆく。近頃、値ごろの中古マンションが出回るので本専用に買いたいと思うことがある。私設図書館の設立である。書斎からライブラリーへの発展といえば聞こえはいいが、捨てられない症候群に過ぎない。しかし、それより、もう2度と眼を通すこともあるまいと雑誌を処分する気が沸いては消える。なぜなら、書籍ならば中古本で手にすることもできるが雑誌は処分したが最後、2度と手に入らないだろう。雑誌を残して単行本を処分するかと迷う。
 ともあれ、今回のことで雑誌を処分する気が無くなった。我慢するだけ我慢して最後は捨てることになろう。

長靴に腰埋め野分の老教師 登四郎2013年10月16日

 能村登四郎(1911- 2002)の作品。中学校教員。句集『咀嚼音』『合掌部落』など。句作と文筆の両方に才を見せた俳人だった。先生というと今は公務員でも若干高めの待遇で、富裕層というが、登四郎先生の頃は安月給の代名詞だった。でもしか先生と揶揄された時代があった。 ”子に土産なき秋の夜の肩車”、”梅漬けてあかき妻の手夜は愛す”などの佳作を残す。

 野分とは台風の古語。何もないときに読むと、オーバーな気がするが、今日の台風26号のような強風下で歩いて見ると、あながちオーバーでなく、むしろ活写されている。
 西からの強風に思わず、上着が捲れ上がり、飛ばされるくらいの風圧も感じた。それに抵抗せんと前かがみになり、ノロノロ歩むことになった。句では長靴を履いているから降雨中なのだろう。傘を斜めに差しながら、うつむき加減に歩いている姿は、まるで深い長靴に、腰まで埋まるようだ、という見立て。老の言葉に強調がある。

伊那山脈・鬼面山!秋天に立つ2013年10月17日

鬼面山櫓に立てば天高し

天高し屏風のごとき木曽の山

恵那山のドームのごとし秋麗

登りついてすぐに汗引くさはやかに

山頂や名は知らねども初紅葉

妻恋の鹿啼く声のあはれなり

十月や青きままなるぶな林(巨樹)

朝寒や峠地蔵に一礼す

羽毛シュラフ被る身に入む夜の山

漆黒の秋の闇夜の峠かな

大鹿の村の白樺黄葉す

秋雲のまとわりつきし奥茶臼

秋の日や仰ぐ赤石岳高し

断層の恐さも知らず秋の川(青木川・安康露頭)

人を見ぬ大鹿村や秋桜

山と川のほか何もなし花すすき(大鹿村)