黒部の山旅Ⅴ2013年08月22日

祖父岳から雲の平を前景にした薬師岳!
 8/17、薬師沢小屋は少な目の宿泊客で快適だった。8/14の夜は2人のスペースに3人が寝た。昨夜は悠々と寝られた。朝食後は5時40分に出発。7時40分には太郎平小屋へ登り返す。そして8時10分、折立へのロングトレイルの下りが始まる。今日も多くの登山客とすれ違う。鷲羽岳登頂の満足感と黒部源流は完全に踏破できなかったが、祖父沢に迷い込んでの遡行もひと味違う思い出になる。
 10時50分折立に到着。登山口で早速ドリンクを買って飲む。体にしみこむ美味さである。重い足でマイカーに向かう。たちまち炎暑に戻った。残暑なんてものでなく、炎昼そのものである。着替えして、折立林道を走り、ゲートの近くにある亀谷温泉に入湯して汗と汚れを落とした。髭も剃って山賊みたいな顔をリフレッシュする。
 温泉旅館内で法事が行われていた。掲示された氏名に覚えがあるので少し目をやると知人のY氏だった。取り込み中とはいえ、少し挨拶して立ち話もした。亡母の一周忌だった。
 その後は富山市内で食事を済まして、富山県立図書館に向かった。鷲羽岳の山名に疑義を訴えた中島正文はかつては津沢町郵便局長にして、私立図書館を持つほどの富裕な家柄だった。後に県立図書館長にもなった。死後、蔵書が寄付されて中島文庫として整理されており、その目録を拝読するのが目的で来館したのである。
 深田久弥が『日本百名山』にこのエピソードを取り上げなかったら、中島は地方の一名士、山岳史家として埋もれてしまったのではないか。同じ北陸人、同じ俳人、山の話が好きであり、文献渉猟が好きな深田久弥には放って置けなかっただろう。
 図書館の庭の一角には句碑も建立されている。実は中島は戦前からの日本山岳会会員であると同時に前田普羅に師事した山岳俳人でもあった。戦前戦後は普羅の生活の援助もしていたようだ。死後は俳句雑誌「辛夷」の発行を継承した。
 句碑は「夏山や地獄を抱きて紺青に 杏子」。杏子は中島正文の俳号で「きょうし」と読む。立山の地獄谷辺りの嘱目吟だろう。夏山というのは当然立山のことで、紺青というほどに澄み切った空の色と地獄谷との対比のすごさを味わう。「地獄を抱きて」の表現が秀逸。

 帰路は高速は渋滞必至なのでR156経由にした。白山の山ふところを窓全開で快適に走れた。白鳥から高速に入り帰名。一宮JCTで若干詰まったが後は順調に走る。登山もロングドライブも無事に終えた。