南アルプス・奥茶臼山(2473m)を歩く2013年08月10日

ご存知、日本三百名山の一つ。日本アルプスの多くの名山が営業小屋が出来たりして、利権の対象に堕落してゆく中で、この山はまだ観光的登山者を寄せ付けない野武士のような風格を保っている。

 奥茶臼山の西側に青木川(青木川→小渋川→天竜川)の源流が食い込んでいる。かつては青木川一帯を皆伐するために青木林道が整備された。登山するために林道の利用希望者がよほど多かったのか、ある所長は地元のタクシー利用を条件に許可していた。私が申し込んだときは所長が変わったという理由で許可されなかった。已む無く徒歩で延々10km以上はある林道を歩いて奥茶臼山に登ったのだった。

 それが南のしらびそ峠から尾高山を越えて、登山されるようになったのは時代の趨勢とういうものだろう。登山道が整備されたらしい、とは聞いていた。東京から来た登山者が、下山が遅くなり心配して遭難騒ぎになったことを聞いた。尾高山と奥茶臼山の間は踏み跡程度か、けものみちらしかった。それでもかえってファイトを沸かす人もいて、まず薮好きによって、赤い布や赤テープのマーキングが随所につけられるようになった。それを頼りに登山者が増えて踏み跡が濃くなってゆく。営林署か、地元の愛好家、登山グループかは知らないが、風倒木をチェーンソーでカットして通過を助けたりして、整備が進む。

 今はしらびそ峠の登山口に奥茶臼山まで8km、4.5時間などと案内の看板が建っている。名古屋を出たのは朝2時50分で、ここに着いたのは6時半ごろになった。寝不足でぼーっとして飯田ICを通過してしまい、不本意にも松川ICで降りた。R153まで下って南下し、天竜川の左岸に渡る。喬木村から小川川にそう地元の道を辿って、矢筈トンネルまで来るとR474になる。山中に似つかわしくない高速道路規格のトンネル潜るとR152に合流。ここからは案内板も増えて迷わなくなる。エアコンを切って、窓を全開にすると寒いくらいの冷涼な高原の峠に着いた。夜発で来るのはちょっと大変な道中である。

 到着すると車は数台あった。ここからの南アルプスの大観が素晴らしいがすでに高く登った太陽の逆光でうすもやがかかっている。名古屋、横浜、などのみなさんは出発してゆく。聞くと尾高山らしい。尾高山はマイナーな山であるが、以前、80歳代の作家・田中澄江が4時間かけて登山したと聞いた。

 7時10分、気合を入れて出発。いきなりの急登で始まる。右自然林のしらびそか、左は落葉松の人工林で、林床には小笹がびっしり生えて美しい。そんなところに白いセンシュガンピが顔を見せる。尾高山への登山道は、ゴミ一つない。近年のガイドブックで知られて登られるようになったにしては清潔に保たれている。
 途中で、尾高山まで何キロという案内板が親切過ぎる。ビューポイントまで設けられている。この山への期待(来たい)の一つには南アルプスの展望があるはずだ。そんな配慮であろうか。奥茶への長丁場を考えて立ち寄りは一箇所のみとしてひたすら登ることにした。2089mポイントを通過。ここから下り、登りを繰り返して、尾高山に着いたのは丁度1時間半後だった。
 頂上といっても絶頂感はなく、尾根の途上のコブである。北西に地蔵峠への尾根が派生するが、踏み跡は見なかった。ビューポイントもあったがパス。更に奥へと進む。小さな岩場から北に聳える奥茶のビューポイントがあったが先を急ぐ。だらだら下って原生林の中を歩くが、植生の変化はほとんどない。独立標高点2296mに着く寸前に真坂と思った下山者に会った。初めて人に会ったとその若者が言った。名古屋から来たという。この若さでこんな渋い山を好きなのは珍しい。相互の無事を祈って別れた。
 山頂には奥尾高山の山頂標があった。山名にはハングル文字もあった。韓国人にも日本三百名山完登を目指す人がいるのか知らん。小休止。水を呑んだり、行動食をつまむ。
 また赤テープに導かれて踏み跡を追う。こんなマーキングがなくても歩けるが、判断ミスは減るだろう。尾高山から北は尾根歩きというよりも、広い山稜を歩く感じがする。普通には山頂が近づくと尾根は狭くなる経験則があるが、逆に広くなる。今日は快晴だからいいが、ガスでもかかっていたらやっぱり恐い気がする。
 しらびそ、とうひといった原生林の森の中の彷徨である。広い山稜では踏み跡はまっすぐではなく、倒木を避けたりしてまがりくねっている。痩せ尾根であれば、踏み跡もきれいにつくが、さすがに乱れているところもある。要所要所の赤テープに救われる形で踏み跡を辿る。絶頂感を得られないまま、2269mの独立標高点に着いた。岩本山である。何のことはない、奥尾高山に比して3mしか稼いでいないとは。登り甲斐のない山である。
 2296m(岩本山)からはさらに等高線が緩んで、恐いような空間の広がる樹林の中の彷徨を続ける。青木林道は真西まで登ってきているし、錆びたワイーヤーロープも見たから伐採の現場だったかも知れない。
 しかし、登頂への予感はある。疲れた体に鞭打つように高度を稼ぐ。標高2300m、2354mと来て、後は一気に高みへの登高が待っていた。立ち枯れの森の一角からはここが紛れもなく南アルプスであることを実感する。赤石岳、聖岳のジャイアンツが高度感で迫る。景観に後ろ髪引かれる思いで、更に踏み跡を辿るとまた樹林の中に入り、絶頂感のある奥茶臼山に着いた。北西にはさわやかな緑の岳樺があり、周囲の景観は得られない。11時20分。登山口から4時間10分の行程だった。
 人の気配がするのではっと振り返ると若い人が登ってきた。彼も名古屋の人だった。40歳代という。2時間40分だったそうで、えっというほど早い。韋駄天走りのように歩いてきたのだろう。しばらく歓談の後、ともに12時ジャスト、山頂を去った。
 下山も後姿を一度も見ることはなかった。悔し紛れに言うわけではないが、あれでは何も見ていない、ただただ体力を消耗するために歩いているような。いやいや自分も40代のころは同行者に嫌われるほど早く歩いていた。若いということは浪費であり、徒労であろう。
 2296mへは45分であった。奥尾高山を経て、尾高山までは疲労感が募ってペースダウン。尾高山の岩場にあるビューポイントで休憩。奥茶を眺められる唯一のビューポイントである。たしかに遠い山だと実感する。遙かなる奥茶だった。
 尾高山を懐かしくも通過した。ここから先はよく整備された登山道である。しかし、太股の筋肉は相当な疲れをためていて先を急げない。ゆっくり転倒しないように下る。2089mで小休止。右手に人工の落葉松を見るとほっとする。登山道からはしらびそ山荘の建物が見えた。山中の御殿かと思うような立派なホテルである。
 しらびそ峠には15時40分着。3時間40分かかった。峠は暑かった。今朝の冷涼さはなく、街の炎暑まで登ってきたかに思った。山荘まで走ってドリンクを飲んだ。立て続けに2本飲んだ。
 飯田市までまた山岳路のドライブが始まった。かつては小川温泉という湯があったが閉鎖されていた。途中、JAの店で、名物の鯉の煮物などを買う。信州の味である。一風呂浴びることもなく高速へ向かう。帰宅後、鯉の身をつつきながら、メダボ腹を気にしながら缶ビール500ミリリットルを空ける。久々に手応えを感じた登山だった。