映画『終戦のエンペラー』鑑賞2013年08月07日

 8/4(日)久々に映画を見に行く。名古屋駅前のミッドランドスクェアシネマにて。映画スペースに着くと、いきなりポップコーンの甘い臭いが鼻につく。逃れようのない臭いを我慢しながらチケットを買うと、すでに良い席は埋まっていて、スクリーンに近い席しかない。シニアと申し出て1000円を支払う。時刻どおりに館内に入ると意外にこじんまりしている。ほぼ満席であった。スクリーンと席の距離が近すぎて、近視のめがねに合わない。少し気持ち悪いのを我慢して約1時間半の鑑賞に耐えた。
 感想は可もなく不可もなくだった。クレジットには英語でENTERTAINMENTとはっきり出ていたから要するに娯楽映画である。歴史の秘話を描きたいのだろうが、結果は分かっているのだからそんなに面白い話でもない。だから演出する側はラブストーリーを絡ませた。
 ラブストーリーの部分で、清楚な美人女優・初音映莉子が好演している。島田洋子の若い頃にそっくりだった。私には初見で、こんな綺麗な女優がいるのは発見だった。あとはよく知られた名優らが脇を固めている。
 多くのコメントを参考に読んだが、押しなべてラブストーリーの部分が蛇足だの余計だのと評価は芳しくない。確かに話の腰を折るというか、歴史の秘話にどれだけ迫るのか期待する向きにはがっかりする。私もそのひとりだった。
 ただ、史実だけを追うならば、マッカーサーと昭和天皇が会見するだけで終わってしまう。事実は小説より奇なり、の奇の部分を期待するがそれは無理だ。
 昭和天皇は自分の発言の一言一句が歴史に残ることを意識された。ゆえに韜晦を貫いた。マッカーサーは後に『マッカーサー回想録(DOUGLAS MacARTHUR Reminiscences)』(上・下)ダグラス・マッカーサー著 津島一夫 訳 朝日新聞社発行 昭和39年 (定価上下各480円) 』の中の

「4 天皇との会見    (下巻pp141-143)

 私が東京に着いて間もないころ、私の幕僚たちは、権力を示すため、天皇を総司令都に招き寄せてはどうかと、私に強くすすめた。私はそういった申出をしりぞけた。「そんなことをすれば、日本の国民感情をふみにじり、天皇を国民の目に殉教者に仕立てあげることになる。いや、私は待とう。そのうちには、天皇が自発的に私に会いに来るだろう。いまの場合は、西洋のせっかちよりは、東洋のしんぼう強さの方が、われわれの目的にいちばんかなっている」というのが私の説明だった。
 実際に、天皇は間もなく会見を求めてこられた、モーニングにシマのズボン、トップ・ハットという姿で、裕仁天皇は御用車のダイムラーに宮内大臣と向い合せに乗って、大使館に到着した。私は占領当初から、天皇の扱いを粗末にしてはならないと命令し、君主にふさわしい、あらゆる礼遇をさきげることを求めていた。私は丁重に出迎え、日露戦争終結の際、私は一度天皇の父君に拝謁したことがあるという思い出話をしてさしあげた。天皇は落着きがなく、それまでの幾月かの緊張を、はっきりおもてに現わしていた。天皇の通訳官以外は、全部退席させたあと、私たちは長い迎賓室の端にある暖炉の前にすわった。
 私が米国製のタバコを差出すと、天早は礼をいって受取られた。そのタバコに火をつけてさしあげた時、私は天皇の手がふるえているのに気がついた。私はできるだけ天皇のご気分を楽にすることにつとめたが、天皇の感じている屈辱の苦しみが、いかに深いものであるかが、私にはよくわかっていた。
 私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感した。連合国の一都、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よくわかっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。
 ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんなことをすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇が戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられることにでもなれば、日本中に軍政をしかねばならなくなり、ゲリラ戦がはじまることは、まず間違いないと私はみていた。けっきょく天皇の名は、リストからはずされたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。
 しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした」
 私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。
 天皇が去ったあと、私はその風貌を妻に話そうとしかけたが、妻はくつくつと笑ってそれをとめ「ええ、私も拝見しましたのよ。アーサー(注4)と私は赤いカーテンのかげからのぞいていましたの」といった。まことに珍しいことの起る世界ではある。しかし、どう見ても、ほほえましい世界であることは間違いない。天皇との初対面以後、私はしばしば天皇の訪問を受け、世界のほとんどの問題について話合った。私はいつも・占領政策の背後にあるいろいろな理由を注意深く説明したが、天皇は私が話合ったほとんど、どの日本人よりも民主的な考え方をしっかり身につけていた。天皇は日本の精神的復活に大きい役割を演じ、占領の成功は天皇の誠実な協力と影響力に負うところがきわめて大きかった。(注4) マッカーサー夫妻の令息 」

で明らかにしている。
当時の通訳官のユーチューブがあった。
http://www.youtube.com/watch?v=inE1DSH0jrk

 他に、映画の下敷きになったような記事があった。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html

 ある事実にラブストーリーを絡ませて膨らませる手法は昔からある。

 中河与一の『天の夕顔』は、事実は実の美しい姉に恋して、20歳位まで入浴していたほどだった。その弟が戦争に行くことになって姉と別れることを惜しんで中河に小説に書くように依頼したとされる。純愛小説仕立てになっている。

 井上靖『氷壁』は穂高で起きたナイロンザイル切断事件が社会的な広がりを見せる中で、ラブストーリーを絡ませた小説に仕立てた。

 主役のフェラーズ准将(マシュー)は、マックの下働き役なので、ラブストーリーがないと埋もれてしまう。マシューと初音の竹林の中での抱擁シーンなど如何にもアメリカ人の映画らしさは感じる。アメリカ人にとってバンブー(竹林)が日本にあるのはサプライズなんだそうだ。実際、あんな薮蚊の多そうなところで抱擁するカップルが居るものか。
 日本発の情報(原作は岡本嗣郎さん著「陛下をお救いなさいまし」)をアメリカが制作した。日本食にコーヒーがつくことがあるが、トーストに味噌汁はない。この映画は後者だと思う。要するにいくら食べても満腹感は得られず、違和感が残る。可もなく不可もないとする由縁である。