映画『劔岳 点の記』鑑賞2009年06月28日

 原作は新田次郎の同名小説。木村大作監督は過去に新田次郎を原作とする映画作品の「八甲田山」「聖職の碑」などのキャメラマンとして知られる。今回は初監督。
 映画の出来栄えは優秀だった。最後まで退屈することなく鑑賞できた。ショットがメリハリがあり、冗長にならずいい映画の条件を満たしている。最近では若松孝二監督の映画「連合赤軍」がリアリズムに徹してよかったのと同様である。
 俳優では主役の香川照之と浅野忠信の演技がよかった。降雪のシーンは実景だという。この映画では主役は人間ではなく剣岳なんだと知らされる。
 浅野香川コンビの活躍はかつてみた黒沢明監督の映画「デルス・ウザーラ」に似ているな、と思った。そのはずで1902年から1910年頃のロシアの地図上の空白地帯を埋めるためアルセーニエフという探検家と案内人の現地人デルス・ウザーラとが厳しいシベリアの自然を背景に格闘する物語である。これも原作は東洋文庫の『デルスウ・ウザーラ』(1923年)がある。剣岳も未登頂だったために5万の地形図の空白地帯であった。
 「剣岳 点の記」では香川照之扮する宇治長次郎がデルス・ウザーラ役であり、アルセーニエフが浅野忠信である。荒天の中で家型テントが壊れて散々な目に遭うシーンや降雪が根雪になるといって行者を助け出す。そういう気象の予測も身についた勘である。そんな場面もあの映画にあった。新田次郎は「デルス・ウザーラ」をモデルにして換骨奪胎したのではないかと思うほど。
 日本山岳会の小島烏水らとの剣岳初登頂争いを絡ませるのも日本風の話の味付けであろうか。『日本風景論』の書物が実際にアップで写されているなど近代登山史を学習したことは理解できる。但し、日本山岳会の呼称は1905年(明治38年)の設立時は単に山岳会と呼んでいた。1909年になって初めて日本山岳会となった。ちなみに小島烏水が会長となるのは1931年のことであった。
 ちなみに剣岳点の記によると選点は明治40年で柴崎芳太郎には違いない。3等の設置は平成になってからのことだった。剣御前も同じ年で柴崎が明治40年に選点と設置をしている。映画の場面のように集中的に測量が行われたのは史実である。明治40年時点で日本山岳会(にっぽんさんがくかい)という会は存在しなかった。これは新田次郎の創作である。呼称も「にほんさんがくかい」である。
 剣岳の美しい映像、素人では立ち入れない場所からの剣岳の映像などでこの映画は人気を呼ぶかもしれない。

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