七月の俳句 東吉野村 山河万緑吟詠2014年08月10日

明神平で草を食む鹿
   伊予の旅

 7/19 名古屋から550kmのハイウェイのロングドライブの後、子規記念博物館を訪ねる。渋滞に大幅に遅れるが入館できた。

はるばると子規を訪ねし夏の夕  

長旅やことにビールのうまさかな

  7/20

夏の朝並びて温泉(おゆ)に入りけり

ふるさとの友と出会うや伊予の夏(松山市出身の同行者)

思わずもなまりなつかし夏の旅

夏雲の頂上に登るなり(高縄山)

夏の霧瀬戸内海も隠されし(同)

あじさいや句の献辞あり高縄寺

  子規の顕彰振りに比べれば・・・。しかし、子規は松山市だけのことで、虚子は各地で顕彰される。

炎天や虚子の石碑の寂しさよ

   東吉野村

群山の中の青田やうまし国

天然の池とうのごとき青田道

夏川に歓声母と子ら遊ぶ

  天誅組の石碑あり

近代にタイムスリップ夏の村

登山道谷を左右に徒渡る

あいさつも多々高校の登山隊

細々と長々と落つ明神滝

手でくめば何杯も飲む山清水

高原や天地もなべて緑なす

鹿が食む平の草地夏の山

東屋にしばし盛夏の風を知る

  三重県内最高峰の檜塚奥峰に登る

この先に高き山なし夏木立

大台の彼方夏雲湧き起こる

静かさやあるか無きかの登山道

じっとして休む間もなし夏の虫

山の湯に村人と汗を流しけり

台高山脈・明神平から桧塚奥峰を歩く2014年07月26日

 今日も暑いぞ、そんな予感がする朝だった。ホントは低山ではなく、高山に登るべきなのだが。
 午前5時出発の予定が6時になった。昨日までの疲れもあるか。名二環から伊勢湾岸道、東名阪の亀山ICまで走る。R25に入り、針ICを出て、後は東吉野村までは通いなれた道である。最後のコンビニは菟田野にあった。ここで飲み物とおにぎりなどを調達。東吉野村に行けば柿の葉寿司の販売を期待していたが時間的に早いようだ。
 登山口の大又までは165kmもある。更に3km奥まで走ると広い駐車場があって数台の先行者がいるようだ。
 9:50、炎天の下を歩き出すが、すぐに緑陰の下の林道歩きになった。車止めが本当の登山口らしく登山届けのポストが設置されていた。
 ここからしばらくは舗装されているがかなり急な坂道を登った。登りきると緩やかになる。砂利道を行くとまた舗装路となり、左へ曲がって行くが直進する山道に入った。ここから四郷川に沿う険しい沢道になった。最初は右岸だが、すぐに左岸へ渡渉する。滑らないように対岸にロープが渡してある。険しい道を登るとすぐに右岸に渡渉し、小さな梯子で山道に登った。今度は大きな岩がある。これもロープをつかみながら渡渉。ぐんぐん高度を上げてゆく。やがて、落差30m位の明神滝が落ちている箇所を通過。右岸を大きく巻く。水流がやや細くなる。傾斜がきついのでジグザグを大きくとりながら高度を上げてゆく。谷も一跨ぎできる細い流れになった。もうそろそろと思う頃、水場があった。これこそが源流である。湧き水に近いのでビニールパイプを差し込んで呑みやすいようになっている。4箇所もあった。
 水場から明神平へはすぐだった。ここでしばし休憩した。薊岳も懐かしい。広々とした緑の高原が美しい。緑をなすのはシダ類である。シダを敷き詰めてあるかのようだ。その中の白い花はバイケイソウである。
 12:00、明神平を出発した。シダはきれいに踏み分けられて踏み跡が分かりやすい。すぐに三塚分岐に着いた。左へ歩くとまた道標があり、桧塚は左を指す。県境は明瞭な痩せ尾根になり、ほどなく、穂高明神(明神岳の山頂標が建つ)に着いた。
 県境は千石山へと南下して別れる。桧塚奥峰へは西へ地形図にも破線路がないぶな林の中の迷走路である。等高線が緩くなり、わずかな踏み跡と赤テープが頼りになる。日が射さないのはありがたいが風も通らない蒸し暑い森の中の散策路であった。
 13:00、桧塚奥峰に着いた。山頂だけは岩の突起があって樹林から開放されていたので南への眺めはいい。まあまあの天気だが、台高山脈の遠望は霞む。
 先行者は桧塚を往復するために発って行った。私はここよりも低いピークに行く気が失せた。三角点があるだけの山である。後続が2名来た。中々に登山者が多いじゃないか。しかし、この静寂は素晴らしい。往路を戻った。明神平で長休みしていたら鹿が4頭から5頭、平の草を食み始めた。こっちを警戒しながらも草を食べていた。
 下山中に天花寺高校の連中が登ってきた。朝の組と交代らしい。下るに連れて暑くなった。Pに着いた。
 帰りがけに温泉に入湯し、汗を流した。四郷川では都会からのレジャーの家族連れが水遊びに興じていた。きれいな水が貴重である。

 この村はかつて俳人の原石鼎が住んでいて名作を残している。その縁で句碑歌碑の建立が多い。14体もある。それでも村に根ざした作品かどうかは不明だ。
 頂上やことに野菊の吹かれをり    原 石鼎
 淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守    同

大杉谷を歩く2014年07月14日

梅雨晴れや宮川ダムの水碧し

岩盤を削り鎖の登山道

両の手を出し滴りを飲みにけり

滴りに濡れしままなる歩道かな

食欲の無きままさんま寿司を食ふ

天のダム壊れしごとき滝の水

山小屋の夜の涼しさに戸を閉める

溪谷の水音高し登山小屋

万緑の大杉谷に分け入りぬ

出合いなる谷の砂場に汗を拭く

登山こそビールの甘さ味はへり

寂しくとも山の蛇には癒されず

堂倉の滝や飛沫か雨模様

東紀州・熊野古道から天狗倉山を歩く2014年06月03日

 午前4時に目覚めたが、もう一眠りしたら6時を回ってしまった。朝食を済まし、車内を整理すると、出発は6時40分になった。今日も朝から暑いぞ、と思わせる。
 R42の歩道を歩いて熊野古道の入り口に行く。10分くらい。杉、桧の植林の中の石畳の道におもむろに入ってゆく。直射日光を避けられるので涼しいが、標高が低いから気温は高い。すぐに汗がにじんでくる。
 前方を見るとほぼ直線に石畳の道が伸びていく。デザイン的にも洗練された美しい道である。せせらぎを2箇所渡る。タオルを濡らして涼をとる。更に行くと右前方が皆伐された斜面が見えた。そして思いがけず林道が横切っている。眺めはいいのだが古道の雰囲気は台無しである。すぐ先が馬越峠であった。茶屋のあとは植林してある。一角から尾鷲市街を見下ろせた。
 一休みの後、天狗倉山に向かった。やや急な山道をよじ登ってゆくと道は二股に分かれている。今回は右にとった。山頂の大きな岩を巻くとすぐに鉄梯子が見えた。岩に登って休止。風も無くかなり暑い。降りてもう一つの岩に移ると風に当って涼しかった。尾鷲湾がよく見える。遠望はガスがあってすっきりしない。
 下山する。高齢の地元ハイカーと行きかう。何度登っても楽にはならんと言った。そりゃそうだ。峠に戻り、尾鷲市側に下った。こちら側は傾斜がきつい。ドンドン下ってゆく。多くの散歩の人と行きかう。こんな山のふもとに住む市民は幸せである。
 尾鷲に来るたびに訪れる喫茶「山帰来」に寄った。オーナーの川端守氏は登山のために不在だったが奥様が、開店10時のところ、30分早めに開けていただいた。冷たいコーヒーを注文。2年から3年に1回は来ているので見覚えはあるようだ。山の話題でもちきりになった。特に熊野古道に関して『熊野古道 古辺路紀行』を著されたこと、熊野古道センター長に就任されたこと、世界遺産登録10周年の今年はイベントも多くご多忙の様子だった。
 長居をしてしまった。道の駅「海山」へ戻るのにJR尾鷲駅から相賀駅まで利用する予定だったが、バス利用を勧められた。島勝行で鷲下で下車とのこと。熊野古道は何も山の中だけではなく、街中も通過していた。バス亭朝日町へ着いたが、地元の人の話で日曜運休か、という話になり、尾鷲駅まで歩くがバス亭はないし、R42へ線路を渡って、イオン前のバス亭を見つけて待っていたら1分後の11時50分に島勝行きが来た。結局朝日町でも乗れたわけだ。乗車10分、300円也。12時に鷲下で下車。何と熊野古道の入り口前だった。Pへは数分で着いた。
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 R42から紀勢道の無料区間のみ利用。紀伊長島ICで降りて、またスーパーで今度はさんま鮨を買った。道の駅で食べたが、やはり旨かった。どちらかといえば鰯鮨の方が旨い。

台高山脈・古ヶ丸山を歩く2014年06月02日

 5/31(土)。5時40分、東海ICから伊勢湾岸道に入る。これだけ早いと四日市からの渋滞にもあわずに走れる。ところが天気が良すぎて、松阪まで来ると霧が濃くなった。勢和多気JCTから紀勢道にかけて霧の中を走る。自動車走行には恐いが、この霧が名産の伊勢茶を育ててきた。今日は大宮大台ICで下りて、R42を若干戻る。三差路で大杉谷の方面に向かう。
 しばらくは県道を走るが飯高から来たR422になる。R422は古ヶ野まで延びて山越えに向かうが切れている。盲腸のような国道である。宮川には多くの鮎釣りが糸を垂らしている。
 登山口は犁(からすき)谷の橋を渡った番屋にある。ここには駐車場、東屋、トイレ兼着替え室もあって登山者に親切なところだ。谷コースと尾根コースがあるが、尾根を選ぶ。入り口はすぐに見つかる。
 9時過ぎ出発。最初は急だが、すぐに平になる。直角に左折して小谷に沿って登ると尾根の端緒に取り付くところに道標があった。これまでもこれからもずっと杉や桧の植林の中なので直射日光を浴びずに済むのがありがたい。
 865mの柁(かじ)山に着く。周辺には落葉広葉樹の自然林の大木が結構残されている。登山口の168mからここまで比高697mなので67%を稼いだことになる。残り345mは距離は長いが、素敵な尾根歩きが続く。意外なほど太く高いぶなの天然木も見た。樹齢数百年はあろうか。往時の植生の豊かさを思う。樹林の間からは迷岳が大きく見える。
 急俊な道を凌いで、1056mの奥芋口に着いた。ここから谷への登山道が下っている。一休みしていると虫がうるさいので出立する。緩やかになった尾根上にはシロヤシオがそこかしこに咲いている。植生も自然林になって若葉が目に優しい。足元はいつしか岩がゴツゴツでてきている。今日最初で最後の登山者に出会った。神戸NOの登山者か。
 多雨地帯なので表層が洗われて古成層がむき出している感じだ。大きな岩の間を攀じ登ったり急登も強いられる。山頂直下は特に急俊でやれやれの思いで登頂した。
 3度目の山頂であった。所要時間は12時半着、3時間30分だった。
 ガスが濃くて遠望はきかない。周囲はシロヤシオだらけだった。その花にたかる虫でうるさく、昼食をとる間もなく20分ほどで退散した。かつては更に白倉山まで足を延ばしたこともあった。赤テープに誘われて少し歩いて見たが踏み跡は薄いので余り歩く人はいないのだろう。
 どこかで昼食にいい場所はないか探しながら歩いたが奥芋口までなかった。ここで少しつまんで小腹を満たす。
 尾根を戻るつもりでいたが、赤テープに誘われて谷へ下ってみた。ほとんど記憶はない。尾根を下るだけ下って、途中から山腹を横断する。このイメージは記憶にあった。崩れた山道が若干やばい、と思ったが難なく通過。鹿避けネットをくぐり、しつこく山道を下りつつ横切る。ネットくぐりは数度繰り返す。
 途中、ジグザグの道の折り返しを突破して直進してしまい、迷いかけた。薮っぽくなり、踏み跡も薄くなるので戻った。ちゃんと入り込まないように倒木で通せんぼしてあった。立派な杉の高木地帯を横切ると谷を渡る。ここの水が美味かった。更に歩きとおすとレンガ滝への通行を注意喚起する立て札があり、反対に下ると林道にぽんと出た。15時5分だった。林道歩きは約50分だった。
 トイレで体を拭いて着替えする。次の目的地は道の駅「海山」で車中泊。R42まで戻り、尾鷲市まで走る。尾鷲まで53kmの表示がある。近くない距離である。長島ICからは無料区間になり、交通量の殆ど紀勢道に移ったのでスイスイ走れる。GSや喫茶店、レストランなど閉店の憂き目にあった店を見たが、世の移り変わりは避けられない。
 尾鷲市のスーパーで夕食とビールを買い込み、道の駅まで戻る。暑いのでビールはぐいぐい飲めるが食欲は今一。特に油の多いものは受け付けない。薄く切った蕪を載せた小鰯の鮨だけは舌が受け付けた。この季節は酸味のある鮨に限る。さんま寿司、目ハリ寿司などご当地の美味いものは酢がきく。鮨本来の味はこんなものだったはずである。ゆえに鮨は夏の季語にもなっている。それに鰯は新鮮でなければ・・・美味しいはずである。

 よく馴れし親指ほどの鰯寿司     拙作

台高山脈・池木屋山を歩く2014年05月20日

 先週に続き、5/18(日)も台高山脈に向かう。朝3時起床。3時40分に自宅を出た。高速料金節約のため至近の名二環・植田ICではなく、伊勢湾岸・東海ICから行く。未明ならそんなに違わない。四日市から亀山間の渋滞にもあわない。
 4時50分に松阪icを出た。伊勢湾の彼方に日の出が上がり始めた。夜明けである。地方道からR166に合流。一路奥香肌峡に向かう。幸い今日の天気も良く、しかも北からの風が吹くので乾燥している。さわやかな初夏の季節を味わえる。何よりこんな日は山蛭も邪魔しないだろう。
 道の駅「いいたか」で朝飯用の弁当を食べる。数台は止まっており、車中泊組だろうか。食べ終わるとまた走る。スメールへの案内で蓮峡線に左折。蓮ダムを越えて、湖岸道路を行くと、宮の谷への案内があり左折。峡谷のハイキングは宣伝中なのだろう。
 また左折して宮の谷の林道を走ると駐車場に着いた。すでに3台が止まっている。いずれも山やさんらしい。私も仕度して出発する。
 午前6時50分出発。宮の谷は一度は歩いたはずだがもうまったく記憶はない。約30年前だろうか、池小屋山に今西ルートが開削されたという情報を得て登りに来た。奥の出合いからの尾根道のことである。高速も久居icが終点だった頃(1975年開通)だ。
 宮の谷は溪谷美の探勝が目的で鉄製の桟橋や階段が取り付けられて安全に歩くことができる。但し、朝早いこともあるがかなり陰気な谷である。上部に登るに連れて明るくなる。風折の滝への分岐(岳魂の碑)から山道を辿り、高滝に着く。手前に土石流の跡があり、若干迂回する。すぐ目の前に落差65Mという高滝が轟音を立てて落ちている。問題は高巻き道の安全性である。これまでに遭難が多く滑落死亡事故が多発している。一応、虎ロープが張ってあるのでありがたく使わせていただく。巻き道の頂点には地蔵様が設置してあった。あそこで落命した人がいたのだろうか。
 ここをやれやれの思いで突破してもまだまだ難所があった。奥の出合いに着いたときはほっとした。標高817Mなのでこここからまだ比高578Mもある。2時間弱はある尾根道である。浅い谷を奥まで進むと渡渉して尾根に取り付く。木の根が絡む急登になった。上部では明るくなり、芽吹きに戻った。シャクナゲの花が咲き乱れ、落花し、またアカヤシオの花も美しい。写真を撮りながら息を整えることしばしであった。
 そして、山頂が近くなるとブナの林になった。これは二次林と思われる。下ってきた志摩市の登山者kさんと会い、雑談(ルートの情報交換)すると自分も霧降山を下りたい、と同行することになって、戻った。
 11時20分登頂。4時間半かかった。山頂は15年ぶり2度目である。50歳になった際の体力テストでgwの長期休暇に伊勢辻から大台までツエルトで3泊4日の縦走をした。休んでいると若い親子も登ってきた。今日は4人だけの山頂か。展望は樹林に囲まれて、迷岳辺りの周囲のみで大台は見えず。
 11時50分山頂を辞した。霧降山までは樹林の広い尾根の彷徨である。池の水は干上がっていた。彷徨いつつ道を探る山歩きとしては1級の山脈であろう。霧降山からの眺望が素晴らしいので長休みになった。お局さんもしっかり見えた。すぐ近くには桧塚の笹原も見える。やや枯れて見えるのは竹の秋だからか。
 休みに終止符を打って下る。ここでもヤシオ、シャクナゲの林をくぐる。素晴らしい尾根である。桃花林そのものである。マーキングのテープは充分あるので迷うこともなく順調に下った。1222Mにヘリポートらしい平坦地まであるのは驚いた。そこから尾根は急降下し始めた。これまでの明るい道から細幹の樹林帯に入った。981Mのこぶし平を過ぎる。かつてはワイヤーの集積地でもあったのか。さわやかな風が吹きぬけてゆく。
 樹高が高くなり、薄暗くなった。植林地帯に突入した。フェンスが見えてきた。右へ下るポイントを探りながら尾根を歩く。すると道標があり、フェンスの紐を解いて中に入った。テープもあるので導かれるようにモノレールに沿って下った。一帯は伐採跡に若い葉の出た樹木が植栽されている。何の木か不明。途中からの右に反れるポイントを探ったが見当たらなかった。2回目のフェンスをくぐると前方に桧の林が見え、フェンスも見えたが、モノレールから別れる踏み跡も発見できず、そのまま下った。急降下しながら沢を跨いだところで沢を下って林道に降り立った。
 明瞭なルートを辿る下山は出来なかった。駐車場の少し手前の沢の右岸側に植林帯に登ってゆく踏み跡ととテープもあるのでそこに下れるイメージであったが見つけられなかった。モノレールが左に反れて行くところでルートはそのまま薮をこいで、桧林の植林地に突っ込めば良かったかも知れない。
 ともかく難渋はしたが迷いはしなかった。同行してくれたKさんも百戦錬磨の相当な山やさんである。ともにスメールで汗を流して、「またどこかで」と別れた。R166は快適に流れた。
行動中は飯を食わず、というか食欲がなくて御菓子と水ばかりで空腹を覚えたので、松阪名物の焼肉で早目の夕食とした。今日は高速で終始走った。

台高山脈・迷岳を歩く2014年05月13日

 5/11(日)午前5時に明るさで目覚めた。津天文台の日の出は午前4時55分だから夜明けと同時に目が醒めたわけだ。がばっと起きて片付けると朝食。車内を簡単に整理して出発したのは5時40分だった。
 登山口のポストで名前住所を書いて左岸沿いの山道を歩く。数分で道標が現れて右の山腹の尾根に取り付く。杉の植林地帯を攀じ登る。螺旋階段を登るような感覚である。喘ぐ一方の登りも尾根の背に乗れば解放される。ここからは飯盛山の凹凸のある痩せた尾根道を辿る。シャクナゲが現れて少しは慰めになる。シャクナゲの花に包まれた北峰を通過。若干下る。頁岩と見られる岩場を攀じたりロープに頼ったり、と中々にスリルもある。飯盛山の表示のあるピークを通過。再び下ってゆくと唐谷分岐に着いた。多くのテープのマーキングがあって分かりやすい。
 プレートにはあと50分と嬉しくなるようなタイムが書いてあった。左は桧の植林が続き、右は自然林になっている。小さなコブを越えると周囲が明るい自然林の広い尾根になった。ブナも混じる。踏み跡は心なしか薄いのは広くなった所為もある。
 10時05分。2等三角点のある山頂に着いた。本日一番乗りである。休み休みで4時間30分の道のりだった。これで二登目である。以前は大熊谷から登った。あのルートこそ広い林を彷徨する錯覚がある。ゆえに迷い岳というべしか。
 明るいのは芽吹き始めたばかりで葉の繁りがないからだ。ここはまだ春の装いなのである。山頂直下に赤いツエルトが一張りあった。朝早く、白倉山辺りへ足を延ばしたものか。秘境的雰囲気が残っているだろう。
 お昼にはまだ早いが朝飯が早い所為で空腹感がある。メンパの飯を食べた。さすがに2日目では飯粒が少し硬い。そうするうちに登山者が次々上がってきた。男ばかりの2人連れ、男女の2人連れ、単独の人もめいめいに山頂に座して休む。静寂な山だなあ、と思っていたら結構な人気のある山だった。
 となりに座した人は名古屋市緑区からの登山者だった。朝3時に出発したとかいう。出発は6時半というから、4時間くらいか。スリムな体つきだから早いのだろう。話がよく合って、下山も同行した。唐谷分岐に記憶がないというから多分2人で話し込んでいたのだろう。よくあることだ。分岐からの登りは実際には35分くらいだったから25分で下れるだろうと予測してゆくと果たして目論見どおり分岐についた。これだけしつこくマーキングしてあっても2人は記憶がないと首をかしげるばかりである。
 唐谷林道へは桧の植林内を下る。所々、崩れた箇所もあったが、そんなに悪い道ではない。唐谷本流を渡渉した。ここまで1時間ちょっとかかったので小休止。谷水を呑んでみたが美味い。岩から染み出した水のようだ。
 唐谷林道へは再び、林内を巻く様に下ると枝沢を渡渉する。ここの谷相はスラブのようで岩ごろごろというよりナメになっていた。再び本流に出会うと今度はナメの滝群に出くわした。しばしば立ち止まって写真を撮った。そしてやっと林道に着いた。1台のみ止まっていた。林道もそんなに荒れてはいない。延々下って遊園地の廃墟に着いた。事務室の中を覗くと2003年の文字に10年くらい前には営業しておったようだ。
 そこからもゴーカートのヘアピンカーブの連続するコースを下った。そしてやっと洞窟館のある平地に着いた。2人とも別れた。R166を松阪市へ走りつつ、迷岳の山容を求めて走った。七日市辺りからは立派な山容を拝めた。奥伊勢の名山だけの事はある。
 道の駅飯高で一風呂浴びた。それからも道草しながら高速を避けて帰名した。伊勢湾岸からは海を渡った。

台高山脈の一角で2014年05月12日

小津安二郎資料室の前に建つ敬慕の碑
 今朝、4時、起きると灯りが煌々とついている。昨夜は登山の疲労で寝転んでいるうちに眠ってしまった。
 5/10の土曜日から出かけた。伊勢湾岸道で三重県に渡ったが、いつもの渋滞があるのでR23に下りた。そして、布引山麓のR23バイパスを走った。一旦途切れて、一般道を走る。久居からは新しいバイパスに入った。松阪市までは高速道路のように高架である。
 松阪市からR166に入ると前方に美しい山が見えた白猪山である。本居宣長が「高き屋の名におふ山も月影にそれとしら猪の峯ぞまぢかき」と、自宅・鈴屋から眺めて詠んだものか。鈴屋(すずのや)はいわば研究室兼書斎だったと思われる。学問に疲れると鈴を鳴らしたという。それよりも白猪山を眺めて目を休めたのかも知れぬ。息子は手伝いしていて失明したという。照明も充分でなかった時代であるが、それほどに打ち込んだのだろう。
 白猪山を見納めると六郎木峠を越えて飯南に入る。道路標識の登山口案内を見て左折。口山に当たる烏岳545mに1時間で登る。お局様が美しい姿で立っている。山名通り烏が多い。
 その後、宮前の小津安二郎資料室に寄り、宮前で1年間の代用教員時代を過ごした19歳のオーヅ先生の語り部を引き継ぐ岡本美夜氏に会い、話をうかがう。2013年は生誕110年没後50年でメディアの取材が多かったらしい。今日も朝から50名以上がバスで来館されたらしい。小津の名声は高まる一方だ。
 道の駅で若干のお買い物をして、高見山に向かう。奥香肌峡と呼ばれる谷合の山肌は照葉樹林の若葉で湧き立っているかに見える。
 高見山トンネルの手前でR166から左折。峠越えの旧道に入る。ここから峠へは羊腸の道が続いた。他に車はなく、荷を減らして登る。芽吹きの林から上部は疎林でまだこれからだ。約35分で登頂。360度の大展望であった。
 下山後は今夜のねぐら探しのドライブになった。トイレがあって、きれいな水場があるところが条件であったが結局迷岳登山口の整備された駐車場に落ち着いた。防犯灯があり、闇にはならない。トイレは少し離れた場所へ移動すればある。まだ明るいので車内を整理してスペースを作る。すると明日のあまご釣りの大会準備で忙しい監視員が来て監視された。抜け駆けに釣るんではないか、と疑われたのかな。当方は釣り人の着るベストを着用していたからか。
 迷岳登山だ、と告げたら、蛭が多いから、と警告された。又、道迷いもあるが、転落事故が増えているとのことだった。薄暗くなり、他に車もなく、静まり返った駐車場で夕食をとる。3月初めの退院以来、久々に缶ビールを飲んだ。短時間の登山とはいえ、体が欲していたのだろう。
 弁当はさやえんどうの卵とじ、鶏のもも肉の蒸し焼きと滲み出た油でキャベツ炒め、ビニールパックの肉、魚などのつまみ類に3合飯の内の1つを食べた。脱コンビニ食を目指している。弁当箱も6000円の投資をして、メンパを購入。まだ2回目であるが中々にうまい。
 月夜で明るく、演歌を聞きながら寝入る。

山で道に迷ったら?2012年08月15日

 奈良県の薊岳付近で大阪の中学生らが無事下山できて良かった。今頃は反省をこめて、各家庭は安堵されていることだろう。他の比良山系でも女子高生2名が行方不明となっていたが無事救助されている。いずれも悪天候の山で道迷いだった。
 引率教師の話では、倒木が多くて、登山道を踏み外したと言っている。確かに倒木は、程度の問題だが、一時的に道を外れるので、注意がいる。だからいつまでも道を外れたらおかしい、と気づくタイミングである。本来の道に戻れなかったら、高度計、コンパス、地形図など出して、落ち着いて現在地確認をしっかりすることが必要だろう。
  薊岳西の無名の標高1300mのコブは小屋ノ尾頭というらしい。この尾根から直進すると麦谷林道へ下る小屋ノ尾根へ誘い込まれる。地形図には滝のマークもある。この周辺に下ってしまったのかな。しかし、登山道を歩いてきた感覚と道のない尾根の踏み跡とではかなり違うはずである。
 自信が持てなければ戻る。これだろう。
 1098mの標高点付近とすると1300mまでの登り返しに30分程度だが、もう気力がなかったのか。それと午後4時という時間。明神平を出発するのが遅すぎたんじゃないか。遭難騒ぎに至る経緯が色々見えてくる。
 生徒でなければ、夜6時までは行動できるから、強行下山もできた。引率教師としては無理をしなかった判断を支持したい。
 生徒のコメントに「シュラフも雨で濡れて寒かった」というのがあった。若いからいいが、高齢者なら危ない。もしも、木綿100%とか、木綿65/35の半袖の下着なら寒かろうに。
 ビバークに備えて、薄いウール(純毛)のセーターもあるといい。天然繊維のウールは濡れても保温性を失わないからだ。化繊の優れものが出て、すっかり、登山者の頭から消えてしまった。私も、GWの高齢者の事故を見て、思い出した。ビバークとなれば、寒ければ、下着として、直接肌身に着るといい。

無事で良かった!奈良の中学生らの遭難騒ぎ2012年08月14日

 奈良県東吉野村の台高山脈の一角にある明神平で、11日から12日にかけて、登山とキャンプの合宿をしていた大阪の中学生ら12名の行方不明事件は、14日無事発見された。良かった。人数が多いのに引率教師は2名と手薄だったので心配された。
 この周辺の道は全てトレースしているのでどこで迷われているのか、と思っていた。道迷いの場所は下山ルートにとった大又への道の途中から南へ入った辺り。薊岳周辺らしいが詳細は不明。崖の上で、立ち往生したものらしい。谷に迷い込んだのか。天気が悪く、視界が良くない状況だったという。
 国土地理院の地形図でチエックすると、尾根通しなので迷いやすい箇所はない。想像の域をでないが、大鏡池周辺は、三角点のある高みを迂回するか、踏んでから戻ればいいが、平らな地形は迷い易い条件を備えている。しかし、道があっても気象は人間を狂わせるので、注意が必要だ。元々、台高山脈の周囲は自然林に変わって、植林化されて枝道も多く、道迷いし易い地形が多い。
 私も伊勢辻から大台ヶ原まで単独で縦走したが、3箇所で右往左往した。迷ったルートにも赤テープがあって多くの人が不用意に残して行くからだろう。山が中途半端に大きいので縦走路も山頂を迂回するように付けられている。うっかり、山頂を踏んでその先にも道があると思ってゆくと怪しくなり、道に迷ったと気付く。戻ることによって踏み跡も濃くなる。それがガスが出ていたりするとそのまま進んでしまうのだろう。
 今回は崖の上に立ってみて、初めて道に迷ったと気付かれたようだ。そこでビバークしたのも正解だった。子供たちにも、山の恐さを知る、いい訓練になったのではないか。