北村季吟『源氏物語 湖月抄』が着く ― 2021年06月27日
講談社学術文庫。
受け取ってびっくりしたのはその厚みで600ページ以上あった。コンパクトサイズなのに厚いと扱いにくさもあり後悔した。全三巻だが一巻だけにしといて良かった。こんな本はあるていど字が大きい本が良いからだ。
ぱらぱらめくってみたがかなり根気が要りそうだ。ただでさえ根気の要る読み物なのにいっそうの感がある。
別の本で知ったが、実は白居易の漢詩が引用されている。和歌だけじゃないんだと思う。
ブログ「残響の足りない部屋」から
https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/04/15/235811
2-1。はじめに――和漢比較文学の立場から
「『長恨歌』と、それの由来する楊貴妃の説話とは、あまりにもあまねく世人の共通の記憶に知られていた。朗詠に供され、物語に移され、和歌に詠まれた。そのような時代的状況から『源氏物語』の作者が自由であるはずがない。時代全体の体験が作者にとっての大状況としてある。ちょうど動物の外皮が内蔵に連続するように、作者の大状況である時代的状況が、物語内の世界に連続し、物語の場面を大きく限定する。物語の奥行きが作者の生きた時代にできるだけかさなりあうことによって、時代の『長恨歌』体験が作品の内部に入り込んでくる事態を、しっかりと確認することにしよう。」
――藤井貞和「作家の体験 時代の体験」(「源氏物語入門」もしくは「源氏物語の始源と現在」所収)
論考対象を、一気に千年遡る。というのも、わたしは現在でこそ音楽批評をtwitterやブログでやっているが、もともとは、日本古典文学(平安時代)と、漢文漢詩の比較文芸論を専攻していた人間だからだ。
わたしが引用について、考えるようになったのも、結局はこの専攻からきている。ジャンルというか、文芸スタイルが全然違う、というつっこみには、そのように説明することで、一応は理解いただきたい。
さて、この論考で語るのは、以下のようなものである。
1。人間、昔から引用ばっかりやっていた
2。源氏物語における引用論の、現代の研究の諸相
3。平安時代の時代状況、白居易の詩(以下、白詩)
4。先行文芸なしに「自己の創作」はなしうるものか
5。いわゆる「引用の高尚性」
6。表現的引用と構造的引用
主にこれらのことを論ずるが、この順番のまま論ずることはしない。それは、これらどれもが、相互に関連しあっているからである。源氏物語の複合性、重奏性においては、先行研究……というか、通俗的観念がすでに語っているところであるし、それに屋上屋を重ねても仕方あるまい。
そして、これらの論考の解釈の前提にあるのは、わたしが前章で述べた、ある種のニヒリズムがあるのは否定しないことを、補助線として述べておこう。だがまず、源氏物語と白詩の関連性という、ごくマイナーなテーマの概略を説明することからはじめよう。少なくとも、源氏の和漢比較文芸に携わっていない人間には、それこそ「知らんがな」の世界であるから。
2-2。源氏物語と長恨歌
源氏物語最初の巻である「桐壷巻」は、源氏の父、桐壷帝と、源氏の母「更衣(桐壷の更衣)」の悲恋で、源氏という長大な物語は幕を開ける。
桐壷帝は極めて有能な君主で、後代その治世は「聖代」とすら評されるものであった。主人公、光源氏はそのような「名君」の、圧倒的なGeniusとして生を受け、政治的にも、恋愛的にも、人間的にも、哲学的にも、様々な道程を経ていく。GeniusのBrightnes(輝き)が「光」源氏の意味であり、その輝かしさは逆説的に光源氏自身の身をも裂きかねない。そのような諸相、それが、「源氏物語」である。
さて、そのような物語の発端であるが、それは、華やかなものとはいえない。幸せなものともいえない。なぜなら、桐壷帝が寵愛した更衣という存在は、宮廷において、人間的美質を持ちながらも、当時の通念である「身分」において、低い存在であった。そのような存在に対する嫉妬の念が、周囲に満ちるのはいうまでもない。
更衣はその迫害により、病に臥し、結局は、光源氏を生み残し、死んでいく。寵愛著しい桐壷帝は、その死去をこの上なく悲しむ。
やがて、その更衣うり二つの「藤壷」という女性が、宮廷に入る。桐壷帝は、失われた愛を補完するかのように、また藤壷を寵愛する――今度は更衣の轍を踏まないかのように、公的な「妻」として。
そして幼き光源氏は、藤壷に、亡き母の面影を重ね、同時にひとりの女性としての思慕、恋愛を募らせていく。この「義母に対する恋愛」というのは、やがて源氏物語の中核となり、ある種の「どうしようもなさ」を引き起こしていくのだが、そこまで説明すると、桐壷巻を遙かに越してしまうので、桐壷巻の説明は以上にする。
さてこの桐壷巻、先行研究――和漢比較文学の立場からでは、白居易の長詩「長恨歌」を多分に引用している、というのが定説である。丸山キヨ子、藤井貞和、新間一美の各氏・和漢比較文学における重鎮たちが、この問題について様々に論じている。
順を追って、どのように引用されているか説明していこう。(つまるところ、先行研究のあらすじのようなものである)
長恨歌とは、白居易が綴った、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の史実に基づくラブロマンスの詩である。その内容は、大ざっぱにいえば――先に述べた桐壷巻と、変わりはない。玄宗が楊貴妃を寵愛し、やがて反乱が起こり楊貴妃はその巻き添えで死ぬ。玄宗はそれを悲しみ、やがて神仙世界に楊貴妃の魂を求めに使者を派遣する。楊貴妃の魂に謁見することはかなったものの、ついに「反魂」はならず、されど永遠に玄宗と楊貴妃は愛を結ぶことを誓う――古典となった「比翼連理」である。
どうであろうか? もちろん、唐の最大流行詩であった長恨歌が、源氏を引用したのではない。(どのように贔屓目に見たとしても、当時の日本(倭)は辺境であり、文化レベルの低い野蛮人の国、と中華思想では見なされていたののだから)
今に例えると、欧米のロックミュージックを、日本人ががんばって「日本のロック」にしていた時期があったではないか(今もだが)、アレと行程は、だいたい同じものと考えればよろしい。
中略
ゼロからは、創作はなされない。先行するものの、ある程度の影響あっての創作である。その際、換骨奪胎という形で引用をはじめ、やがてそれを大河小説にまで発展していった源氏のどこを責められようか。
中略
引用には、「私はそういう教養・流行を知っている」という、【ステータス】の側面が、常について回る。貴君の周りにもいるのではないか、ことあるごとに、何かを引用しながら話をする人間が(もちろん、ここまでの文体で、わたしがその一群であることは言うまでもない)。
それは自己顕示の発露であり、「そういう自分」を教養人として定義したいがゆえのことである――まさに、自分の中に、あふれるオリジナリティがないがゆえの、コンプレックスである。
また、それを唐文化との絡みとしてよく捉えれば、「先行文学に負けたくない」という意識の現れ、とできなくもない。それで「本歌取り」というのはどうなのか? という向きもあるかもしれないが、先ほどの「リフ」の話でいえば、借用しつつも、そこから自国のメロや歌詞と結びつける、みたいな音楽は今も昔もあるし、文芸についても同じことが言える。
……が、それは、一般的な引用論が説いているところの、「テキストに重奏的な深みを与える」という方法論からは、だいぶ離れたところにある精神性であることは、言うまでもあるまい。
ひと、それを「パクり」と呼ぶ。
・・・・パクリは現代だけじゃなかったのか。
1 尾崎喜八と大島亮吉の作品における類似性・・・剽窃という。
2 『日本風景論』の中の登山技術はイギリスの登山技術ガイドのパクリだった
3 小津安二郎監督の「東京物語」はアメリカの生命保険会社のPR映画のパクリ
4 『金色夜叉』はアメリカの大衆小説の換骨奪胎
5 高山市の一杯の掛そばを親子3人で分け合った民話はイギリスの民話のパクリ
6 芭蕉の俳句における杜甫、李白の影響
・・・あの人は創造力の天才だ、という場合はその背景にはパクリがあると思う。パクッて、パクリの跡を消すことが重要である。それが源氏物語にまで及んでいたと知った。ある意味安心した。
長谷川三千子『からごころ』にも日本古来の独創性はないとの見解があったと記憶する。
受け取ってびっくりしたのはその厚みで600ページ以上あった。コンパクトサイズなのに厚いと扱いにくさもあり後悔した。全三巻だが一巻だけにしといて良かった。こんな本はあるていど字が大きい本が良いからだ。
ぱらぱらめくってみたがかなり根気が要りそうだ。ただでさえ根気の要る読み物なのにいっそうの感がある。
別の本で知ったが、実は白居易の漢詩が引用されている。和歌だけじゃないんだと思う。
ブログ「残響の足りない部屋」から
https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/04/15/235811
2-1。はじめに――和漢比較文学の立場から
「『長恨歌』と、それの由来する楊貴妃の説話とは、あまりにもあまねく世人の共通の記憶に知られていた。朗詠に供され、物語に移され、和歌に詠まれた。そのような時代的状況から『源氏物語』の作者が自由であるはずがない。時代全体の体験が作者にとっての大状況としてある。ちょうど動物の外皮が内蔵に連続するように、作者の大状況である時代的状況が、物語内の世界に連続し、物語の場面を大きく限定する。物語の奥行きが作者の生きた時代にできるだけかさなりあうことによって、時代の『長恨歌』体験が作品の内部に入り込んでくる事態を、しっかりと確認することにしよう。」
――藤井貞和「作家の体験 時代の体験」(「源氏物語入門」もしくは「源氏物語の始源と現在」所収)
論考対象を、一気に千年遡る。というのも、わたしは現在でこそ音楽批評をtwitterやブログでやっているが、もともとは、日本古典文学(平安時代)と、漢文漢詩の比較文芸論を専攻していた人間だからだ。
わたしが引用について、考えるようになったのも、結局はこの専攻からきている。ジャンルというか、文芸スタイルが全然違う、というつっこみには、そのように説明することで、一応は理解いただきたい。
さて、この論考で語るのは、以下のようなものである。
1。人間、昔から引用ばっかりやっていた
2。源氏物語における引用論の、現代の研究の諸相
3。平安時代の時代状況、白居易の詩(以下、白詩)
4。先行文芸なしに「自己の創作」はなしうるものか
5。いわゆる「引用の高尚性」
6。表現的引用と構造的引用
主にこれらのことを論ずるが、この順番のまま論ずることはしない。それは、これらどれもが、相互に関連しあっているからである。源氏物語の複合性、重奏性においては、先行研究……というか、通俗的観念がすでに語っているところであるし、それに屋上屋を重ねても仕方あるまい。
そして、これらの論考の解釈の前提にあるのは、わたしが前章で述べた、ある種のニヒリズムがあるのは否定しないことを、補助線として述べておこう。だがまず、源氏物語と白詩の関連性という、ごくマイナーなテーマの概略を説明することからはじめよう。少なくとも、源氏の和漢比較文芸に携わっていない人間には、それこそ「知らんがな」の世界であるから。
2-2。源氏物語と長恨歌
源氏物語最初の巻である「桐壷巻」は、源氏の父、桐壷帝と、源氏の母「更衣(桐壷の更衣)」の悲恋で、源氏という長大な物語は幕を開ける。
桐壷帝は極めて有能な君主で、後代その治世は「聖代」とすら評されるものであった。主人公、光源氏はそのような「名君」の、圧倒的なGeniusとして生を受け、政治的にも、恋愛的にも、人間的にも、哲学的にも、様々な道程を経ていく。GeniusのBrightnes(輝き)が「光」源氏の意味であり、その輝かしさは逆説的に光源氏自身の身をも裂きかねない。そのような諸相、それが、「源氏物語」である。
さて、そのような物語の発端であるが、それは、華やかなものとはいえない。幸せなものともいえない。なぜなら、桐壷帝が寵愛した更衣という存在は、宮廷において、人間的美質を持ちながらも、当時の通念である「身分」において、低い存在であった。そのような存在に対する嫉妬の念が、周囲に満ちるのはいうまでもない。
更衣はその迫害により、病に臥し、結局は、光源氏を生み残し、死んでいく。寵愛著しい桐壷帝は、その死去をこの上なく悲しむ。
やがて、その更衣うり二つの「藤壷」という女性が、宮廷に入る。桐壷帝は、失われた愛を補完するかのように、また藤壷を寵愛する――今度は更衣の轍を踏まないかのように、公的な「妻」として。
そして幼き光源氏は、藤壷に、亡き母の面影を重ね、同時にひとりの女性としての思慕、恋愛を募らせていく。この「義母に対する恋愛」というのは、やがて源氏物語の中核となり、ある種の「どうしようもなさ」を引き起こしていくのだが、そこまで説明すると、桐壷巻を遙かに越してしまうので、桐壷巻の説明は以上にする。
さてこの桐壷巻、先行研究――和漢比較文学の立場からでは、白居易の長詩「長恨歌」を多分に引用している、というのが定説である。丸山キヨ子、藤井貞和、新間一美の各氏・和漢比較文学における重鎮たちが、この問題について様々に論じている。
順を追って、どのように引用されているか説明していこう。(つまるところ、先行研究のあらすじのようなものである)
長恨歌とは、白居易が綴った、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の史実に基づくラブロマンスの詩である。その内容は、大ざっぱにいえば――先に述べた桐壷巻と、変わりはない。玄宗が楊貴妃を寵愛し、やがて反乱が起こり楊貴妃はその巻き添えで死ぬ。玄宗はそれを悲しみ、やがて神仙世界に楊貴妃の魂を求めに使者を派遣する。楊貴妃の魂に謁見することはかなったものの、ついに「反魂」はならず、されど永遠に玄宗と楊貴妃は愛を結ぶことを誓う――古典となった「比翼連理」である。
どうであろうか? もちろん、唐の最大流行詩であった長恨歌が、源氏を引用したのではない。(どのように贔屓目に見たとしても、当時の日本(倭)は辺境であり、文化レベルの低い野蛮人の国、と中華思想では見なされていたののだから)
今に例えると、欧米のロックミュージックを、日本人ががんばって「日本のロック」にしていた時期があったではないか(今もだが)、アレと行程は、だいたい同じものと考えればよろしい。
中略
ゼロからは、創作はなされない。先行するものの、ある程度の影響あっての創作である。その際、換骨奪胎という形で引用をはじめ、やがてそれを大河小説にまで発展していった源氏のどこを責められようか。
中略
引用には、「私はそういう教養・流行を知っている」という、【ステータス】の側面が、常について回る。貴君の周りにもいるのではないか、ことあるごとに、何かを引用しながら話をする人間が(もちろん、ここまでの文体で、わたしがその一群であることは言うまでもない)。
それは自己顕示の発露であり、「そういう自分」を教養人として定義したいがゆえのことである――まさに、自分の中に、あふれるオリジナリティがないがゆえの、コンプレックスである。
また、それを唐文化との絡みとしてよく捉えれば、「先行文学に負けたくない」という意識の現れ、とできなくもない。それで「本歌取り」というのはどうなのか? という向きもあるかもしれないが、先ほどの「リフ」の話でいえば、借用しつつも、そこから自国のメロや歌詞と結びつける、みたいな音楽は今も昔もあるし、文芸についても同じことが言える。
……が、それは、一般的な引用論が説いているところの、「テキストに重奏的な深みを与える」という方法論からは、だいぶ離れたところにある精神性であることは、言うまでもあるまい。
ひと、それを「パクり」と呼ぶ。
・・・・パクリは現代だけじゃなかったのか。
1 尾崎喜八と大島亮吉の作品における類似性・・・剽窃という。
2 『日本風景論』の中の登山技術はイギリスの登山技術ガイドのパクリだった
3 小津安二郎監督の「東京物語」はアメリカの生命保険会社のPR映画のパクリ
4 『金色夜叉』はアメリカの大衆小説の換骨奪胎
5 高山市の一杯の掛そばを親子3人で分け合った民話はイギリスの民話のパクリ
6 芭蕉の俳句における杜甫、李白の影響
・・・あの人は創造力の天才だ、という場合はその背景にはパクリがあると思う。パクッて、パクリの跡を消すことが重要である。それが源氏物語にまで及んでいたと知った。ある意味安心した。
長谷川三千子『からごころ』にも日本古来の独創性はないとの見解があったと記憶する。
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