支部報の発送作業を手伝う2021年07月01日

 6/30 正午、山岳古道事業のチラシの印刷と封筒詰めの作業にルームへ行く。12時過ぎだが数名が集結していた。デスクに支部報の山が築かれていた。プラスチラシが3枚とガイドパンフレット1冊である。
 印刷はすぐ終わったが、封筒入れは手作業なので手が必要である。当方も動員で仕分けして入れやすくした。これで明日にも発送される。
 帰宅したら富山市からの俳句雑誌が投函されていた。こちらは連載物の準備で取り上げる俳句の選別に入る。夜にはほぼ決まった。決まらないと一週間でも読み続けることになるが、今回はあっさり目に飛び込んできてくれた。俳句は授かりものというが、散文のテーマでも向こうから察して教えてくれるみたいな気がした。
 記事の中でYさんが死去されたことを知った。享年75歳。70歳を越えるといつ死んでも早くはない。死因は何だったのか。Yさんは末弟に先立たれている。年を取るということは別れることが多くなるのである。交流はなかったが寂しいことである。

車検完了2021年07月02日

 6/28に車検のために預けた愛車が7/1の夕方に帰ってきた。今回はブレーキオイルの補充、ワイパーのゴム交換で済んだ。平成15年に登録、25万kmを越えた。年々、経年変化と消耗で部品が傷むから交換が多かったが一段落したのだろうか。比較的安く上がった。

岡田英弘『読む年表 中国の歴史』を読む2021年07月03日

 7/1から7/2は中国共産党結党100周年の話題でもちきりだった。自民党や野党が祝意を示したが、過去の悪行にくぎを刺す記事もあった。巨大化した中国への警戒心がにじみ出た。
 さて、中国の歴史は5000年という。これは嘘で、秦、漢、唐、元、明、清の異種族王朝が興亡しただけの2200年間だった(岡田英弘)という。
 本書は東洋史の泰斗である岡田氏が巨視的な視点から年表を編んだ。辛口の歴史が語られる。
 2012年版だからそれ以降に購読したが、改めて目を通すと、当時は無関心だった項目が目に付いた。P142の唐詩の隆盛という見出しだ。”外国語”を話す李白と杜甫が漢字の表現力を大きく広げた、の副題。どういうことだろうと読む。
 李白 701~762
 杜甫 712~770
・漢字はもともと商売上の符牒のような表意文字
・哲学や思想を伝えるのに向かない不完全なコミュニケーション・ツール
・漢詩はそのほとんどが空や河、鳥や花など形而下的・具象的なものを詠んでいる
・李白や杜甫は「四書五経」の漢字の配列にとらわれない、自由で豊かな配列を発明し、
・語彙を奔放に駆使して、心情をあらわした
・漢字の表現力を広げた
・唐代になると北方から来た鮮卑系の人だった
・モンゴル語やトルコ語のような「てにをは」のある話し言葉を持っている人々が外国の文字である漢字をつかって表現力を大きく広げた
・異文化と漢字文化の融合

鮮卑とはなんだろう。
「世界史の窓」
https://www.y-history.net/appendix/wh0301-003.html
「せんぴ。五胡の一つ。モンゴル高原で活動していた遊牧民族。モンゴル系とツングース系の混血とか、トルコ系民族などの説がある。はじめ、匈奴に服属していたが、匈奴の分裂後、2世紀頃に部族の統一を果たし、有力となった。その後、モンゴル高原と中国の境界である内モンゴルに進出、いくつかの部族に分裂しながら漢文化を取り入れしだいに発展した。」

五胡とは
「4~5世紀の中国周辺の異民族である匈奴・羯・鮮卑・氐・羌をいう。三国時代から投身の時代に中国王朝の傭兵とされ華北に進出、混乱に乗じて五胡十六国と言われる国々を作った。

 胡(日本語の訓みは「えびす」)とは漢民族から見て北方民族(北方にいる異民族)を主とした異民族のことで、中国史では、匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の五つの民族を言いう。彼らの多くは騎馬遊牧民であった。厳密に言えばこのうちの氐・は北方民族とは言わず、中国の西方なので西方民族とする。
 北方遊牧民の世界では、前2~前1世紀の間、匈奴が強大であったが、その分裂に乗じて、後2世紀頃から、他の遊牧民の自立と統一が進んだ。またその南の農耕民族である漢民族の世界で後漢が滅亡し、三国時代から西晋の八王の乱という混乱期に入ると、これらの北方遊牧民が中国の北半分(華北)に進出し、4世紀から5世紀にかけてそれぞれがいくつかの国を建てた。これらを総称して五胡十六国という。その間、彼らは華北に新しい統治方式(律令制など)を生み出しながら、一方で中国文明を取り入れて、次第に漢民族に同化していく。
 北方民族と共に、その動きに強く影響された氐や今日などの西方民族も同じような動きを示している。」

唐とは
「唐王朝は漢民族ではない、鮮卑の拓跋氏という遊牧民の系統にある人々が建国した。彼らは五胡の一つとして3世紀ごろ華北に入ってきて晋の動乱に乗じて北魏を建国した。その中核は「関隴貴族集団」あるいは「武川軍閥集団」といわれる軍事集団であり、北魏の後、西魏・北周と継承され、次の隋が全中国を統一した。唐を建国した李淵は隋の官僚・武将であり、関隴貴族集団を継承していた。このように唐の支配層となったのは鮮卑系の非漢民族であった。つまり、唐はかつての秦や漢のような意味では漢民族の王朝とは言えない。ただし、北魏以来の漢化政策によって漢民族との融合が進んだことも事実であり、漢民族の王朝としての歴史認識が一般的になっている。「漢化」の度合いについては諸説あり、最近ではその意義をあまり認めず、唐をあくまで「拓跋国家」ととらえるべきである、という考えも出されている。<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』2007初刊 2016 講談社学術文庫 p.144~ 参照>
 たしかに均田制・府兵制などを軸とした律令制度、仏教の受容にみられる国際性などの唐王朝の特色には、従来の漢民族王朝とは異なる新しさがあることも見逃すことはできない。唐王朝を漫然と漢民族の王朝の続きと考えるのではなく、むしろ漢民族の王朝ではないと断定してから観ていく方がその実態を理解できるように思われる。」

唐詩とは
「唐詩の時期区分

 唐の三百年間の詩の歴史は、初唐・盛唐・中唐・晩唐の四期に分けられのが通説となっている。
初唐:唐成立(618年)から太宗の貞観の治を中心に、高宗・則天武后の時代の約100年(ほぼ7世紀)
盛唐:玄宗の開元元年(713年)から安史の乱の終了後の765年まで約50年間(ほぼ8世紀前半):代表的詩人には、王維・李白・杜甫がいる。
中唐:安史の乱終了後(766年)から敬宗の宝暦2年(826年)まで約60年間(8世紀後半~9世紀初頭):代表的詩人に白居易・韓愈・柳宗元がいる。韓愈と柳宗元は古文復興を提唱した。
晩唐:文宗の太和元年(827年)から唐の滅亡(907年)まで約80年間(ほぼ9世紀)
<松枝茂夫編『中国名詩選』中 p.25-26 岩波文庫 1984 など>」

白楽天は
「『長恨歌』で知られる中唐の詩人。白楽天。772~846年

 はくきょい。白楽天とも言う。唐詩を代表する中唐の詩人。安史の乱を背景とした玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を歌った『長恨歌』(806年作)であまりにも有名である。楽天は字(あざな)。二十九歳で進士に合格、官僚として過ごし、多くの詩を残した。代表作は『長恨歌』の他に『琵琶行』がある。彼の詩は、平易な言葉でわかりやすく、広く大衆に受け入れられた。中国のみならず、日本にも早くから知られ、平安時代にはその詩集『白氏文集』が熱狂的に受け入れれられた。 」

紫式部
紫式部 年表
西暦(年齢)
978年(1歳)紫式部誕生
990年(13歳)定子が一条天皇の中宮になる。 ...
999年(22歳)紫式部、藤原宣孝(のぶたか)と結婚。 ...
1001年(24歳)夫宣孝死没。「 ...
1007年(30歳)紫式部、中宮彰子に出仕
1008年(31歳)『源氏物語』ほぼ完成?

・・・話し言葉しかなかった鮮卑の詩人たち(李白、杜甫、白居易など)が漢字で表現を高めた。日本に漢詩が入ると、平安時代の紫式部は白居易の長恨歌を引用して大和言葉で『源氏物語』を書いた。
 芭蕉は杜甫や李白の詩から政治的な趣向は除き、人生を謳う俳句にした。

熱海市の土石流凄惨2021年07月04日

 熱海市の伊豆山で起きた土石流をたまたま動画に撮影した人がいて、それがマスコミを通じて拡散されている。
 伊豆山の上にはメガソーラーがあり、そこだけパネル部分は樹木を伐採するので保水力が無くなる。そこへ今回の想定外の大雨で一気に水が土石を伴って下流に押し出された。普段は川幅2mくらいの細流がまっくろな泥水で溢れて押し出される様子が写っている。
 行方不明20人と伝えられたが2名死亡、10名は安否が確認された。残るは8名だがどうかご無事でと願わずにはいられない。
 このメガソーラーは韓国企業の開発で、しかも許認可権者は静岡県知事とあって先々問題が噴出してきそうである。

スイカの効能2021年07月05日

 2日前からスイカを二つに切って二日がかりで食べた。そうしたところ、尿量が増えた。勢いよく排尿して、残尿感がないのは気持ちが良い。そこでスイカの効能を調べた。

https://www.minamitohoku.or.jp/up/news/1pointmemo/1pointmemo76.htm
利尿作用にすぐれ腎臓病や高血圧に

暑気払いの代表選手。利尿効果で腎臓病や妊娠時のむくみも解消!
〔栄養成分としての働き〕
 スイカには体の熱を冷ます作用があるので、暑気払いや夏バテ防止に昔から利用されています。その主成分は水分で90%以上を占めます。カリウムなどのミネラルやビタミンB1・B2・Cも含んでいます。
 スイカの特徴でもある赤い色はカロテンによるものです。
 このスイカが利尿作用にすぐれていることは一般的に良く知られていますが、これは豊富な水分に加え体内の余分なナトリウムを排泄するカリウムが多く含まれており、さらに尿を生成するシトルリンとアルギニンというアミノ酸も含むからです。
 利尿作用により膀胱炎や腎炎、ネフローゼ症候群といった腎臓病、高血圧や妊娠時のむくみを取り除きます。
 注意すべき事は冷え性の方は多食を控えましょう。またスイカとてんぷらの食べ合わせが悪いというのは、スイカで体が冷えたところへ油の多い食品をとると消化が悪くなり、下痢などを起こすからです。ただし、これは多食した場合の話で、普通に食べるのであれば問題ありません。

ところが医師の見解は
http://www.osakacity-hp.or.jp/ocgh/wp-content/uploads/2018/12/cb1f785c875ff2c79127a470e09c7935-1.pdf
 夏になると毎年、腎臓病教室で繰り返される患者さんとの、この会話。原因は、いまだに『スイカは腎臓に良い』という迷信が多くの方々に信じられているからです。
 このため、スイカの季節になると、腎不全の患者さんが『腎臓を良くしよう』と、スイカをたくさん食べられて、高カリウム血症(血の中にカリウムがたくさん貯まった状態)になって、しばしば来院されます。
 高カリウム血症になると、いろいろと悪いことが体に起こります。特に心臓。動悸や脈が飛ぶ事を感じる不整脈だけでなく、心停止を起こして死に至るような恐ろしいケースもあり、とても注意が必要です。

基本的にはスイカを食べないで!
 では、そもそもなぜ『スイカは腎臓に良い』というような話が昔から受け継がれているのでしょうか。想像の域を出ませんが、《腎臓が悪いとむくむ→むくみをとるのに尿をたくさん出す必要がある→尿を出しやすくする(利尿作用を持つ)スイカがよい》、とされたのかもしれません。
 確かに、スイカの 90%近くは水分ですので、これだけでも尿量は増えるでしょう。さらに、スイカにはカリウムが豊富に含まれています。カリウムは、ナトリウム(塩分)と一緒に水分を尿へ捨てやすくするので、さらに尿量を増やすことができるのです。確かに、このようなスイカの利尿作用は、むくみをとって血圧を下げるので腎臓に良いかもしれません。ただし、腎臓が正常に働く元気な状態であればの話です。
 腎臓の力が弱い方、腎不全の方には、スイカの水分とカリウムが逆にアダになります。腎臓の力が落ちているために、水分やカリウムが尿へきちんと排泄できず、むくみや高カリウム血症を引き起こしてしまいます。つまり、スイカが毒になってしまうのです。
 くれぐれも、迷信にとらわれてスイカが腎臓に良いと思わないように、基本的にはなるべくスイカを食べないように、ご注意ください!

となります。

https://www.hitosuzumi.jp/stylebook/362/
スイカが「夏の果実の王様」と呼ばれるのには深~い理由があります。それはスイカが、熱中症予防をはじめ夏の元気を強力にバックアップしてくれる食べ物だということ。果物栄養学のスペシャリストとして活躍していらっしゃる田中敬一先生のお話によれば、「熱中症を防ぐためには水分補給することが第一ですが、スイカは水分が90%以上と非常に豊富。さらに糖分やカリウム・カルシウム・マグネシウム等のミネラルも含まれているので、微量の食塩を加えるとスポーツドリンクと同じような効果が期待できます」とのこと。夏とスイカの組み合わせは、栄養学的にも理にかなっているんですね。

とはいえ、ここで気になるのがスイカのカロリー。「スイカは甘いから太る」と誤解されている方も多いのでは? でもご安心を。「生のスイカはそのボリュームに対してほとんどが水分。カロリーは100gあたり37kcalと、ゴボウ(100gあたり65kcal)と比べても格段に低いのです。それに、食物繊維も豊富で十分な満腹感が得られるので、ダイエットのリバウンド予防にも効果的といえます」(田中先生)。ちなみに、肥満について研究しているアメリカの代表的医療機関が公表しているダイエットプログラムの中でも、スイカの摂取量は無制限。スイカの食べ過ぎで太ることはまずありません!
1578年に書かれた中国の医学書『本草綱目』には、スイカの薬効が詳しく説明されています。古来より薬膳として認められていたわけですが、近年の研究によって、さらに “女子力up”効果も望めることがわかってきました。

「多くの女性の悩みのひとつが“むくみ”。血液循環が悪くなり水分がたまることが原因と考えられていますが、スイカには血流状態を改善してくれるシトルリンというアミノ酸が含まれているため、手足のむくみの改善効果が期待できます。また、新陳代謝を促し、肌の健康を保つビタミンAや、美肌を損なう活性酸素を除去する力の強いリコピンなども大変豊富。加えてビタミンCは、シミの元になるメラニン色素の形成を押さえるほか、肌の弾力性を保つコラーゲンの形成に関与しているため美白効果やシワの予防効果も見込まれます」(田中先生)。

さらに、スイカに多く含まれているカリウムは、高血圧予防に大変効果的なほか、カルシウムの骨への蓄積を高めてくれる働きがあるため、骨粗しょう症予防効果にも期待が高まっています。

自分では健康の積りでも腎臓が悪いことはありうるだろう。そこでこんな知識も知っておきたい。
https://www.adpkd.jp/yomoyama/vol03_01.html
腎臓は食事として摂取した塩分を尿として排泄するという働きをしています。そのため、塩分を摂り過ぎると、過剰排泄となり、腎臓に大きな負担がかかります。

腎臓の働きを守るにあたって、「減塩」はとても大切です。
「水分」を積極的に摂取する
腎臓には体の水分量を調節する働きがあります。

適度な水分補給を行わないと脱水症状を引き起こし、腎臓に負担をかけてしまいます。

腎臓に負担をかけないためにも水分補給をこまめに行うことが大切です。

・・・何事もほどほどにすることか。

活性酸素に倒れたか?大島康徳さん死す2021年07月06日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210705/k10013120281000.html?utm_int=all_side_ranking-access_001
日本ハム元監督 大島康徳さん がんで死去 70歳 通算2204安打
2021年7月5日 16時27分

 プロ野球の中日と日本ハムで強打者として通算2000本安打を達成し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳さんが大腸がんのため、先月30日に亡くなりました。70歳でした。

大島さんは大分県出身。

昭和44年にドラフト3位でピッチャーとして中日に入団しました。

すぐに野手に転向して長打力のある右バッターとして頭角をあらわし、昭和49年と57年にリーグ優勝を経験しました。

そして昭和58年には36本のホームランを打ってタイトルを獲得しました。

昭和63年に日本ハムに移籍してからも主力としてプレーし、平成2年には通算2000本安打を達成して44歳で現役を引退しました。

 26年間の通算成績は2638試合に出場して2204安打、ホームラン382本、1234打点でした。

 引退後は平成12年から3年間、日本ハムの監督を務めたほか、第1回のWBC=ワールド・ベースボール・クラシックでは打撃コーチとして日本の優勝に貢献しました。
大島さんは、自身のブログで4年前に大腸がんのステージ4と診断されて手術を受けたことや肝臓に転移したことを公表し、治療を続けながらNHKの野球解説などを精力的に行っていました。

 先月にはおなかに水がたまる腹水を取り除く治療を受けるために入院し、その後肺への転移を明らかにしていました。
大島さんは大腸がんのため先月30日、東京都内の病院で亡くなりました。

 70歳でした。

大島さんブログ「この命を生ききる」
5日更新された大島さんのブログのタイトルは「この命を生ききる」。

 ことし春ごろに記したことばを大島さんの妻が代筆して投稿されました。

 「この先の人生何かやりたいことがあるか?と真剣に考えてみたけれど特別なことは何も浮かばない(笑) 高校を卒業してプロ野球選手としての人生をスタートし この年になるまで野球一筋、野球人として生きることができた。皆様のおかげです。どうもありがとう。
 そりゃ辛いこともあったけどそれ以上にこの世界にいなければ得ることができなかったであろうファンの方からの声援や感動や喜びをたくさんいただいた。貴重な経験もたくさんさせて頂いた。
 よき先輩、よき後輩 よき仲間、よき家族に恵まれ美味しいものをよく食べて旨い酒をよく呑んで大いに語らい大いに笑い楽しいことやりたいことは片っ端からやってきた。楽しかったなぁ…これ以上何を望む?もう何もないよ。
 幸せな人生だった 命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命 病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで俺はいつも通りに普通に生きて 自分の人生を、命をしっかり生ききるよ 大島康徳」(全文ママ)

ソフトバンク 王貞治球団会長のコメント
 大島康徳さんが亡くなったことについて、ソフトバンクの王貞治球団会長は「中日ではとても元気のいい選手という印象でした。日本ハムでも明るくて人気がありましたね。第1回WBCのときはヘッド格で打撃コーチを務めてくれました。選手たちとの距離も近く、コミュニケーションをよくとってくれて、選手たちをその気にさせてくれました。ご冥福を心よりお祈りいたします」と球団を通じてコメントしました。

・・・プロ野球やドラゴンズのファンでもないが、昭和25(1950)年生まれの同年代と知れば死因に目が行く。死亡原因の50%ががんというからこれも運命であろう。闘病生活4年で命尽きた。治療などしなければよいのにとも思う。
 
 昭和44(1969)年にプロ入り、という。引退は1994年。25年間をプロ野球選手として活躍、その後も監督などで生涯野球から離れなかった。記事にもあるように本人としては野球三昧の人生で幸せだった。

 しかし、晩年の顔写真を見ると随分老人になったなと思う。はつらつとしたスポーツ選手のイメージには程遠い気がする。これはなぜなんだろう、と考えてみたが、すぐに活性酸素が原因と推察するに至った。スポーツ選手は短命で終わることが多い。大島氏もその例外ではなかった。
 活性酸素とはなにか。
https://www.tyojyu.or.jp/net/index.html
「健康長寿ネット」から

 私たちの体は酸素を利用してエネルギーを作りだしていますが、酸素を利用すると同時に活性酸素は常に体内で生じています。この活性酸素が私たちの細胞を傷つけ、被害をもたらしています。活性酸素は老化、がん、シワ、しみ、糖尿病や脂質異常症、動脈硬化などの生活習慣病の原因となります。

 活性酸素は年齢とともに増えるとも言われていますが、ストレス、食品添加物、タバコ、激しい運動、多量飲酒、紫外線なども活性酸素が増える原因です。活性酸素を増やす因子は身の回りにたくさん存在しています。

 体内で増えた活性酸素を除去していくことが、老化や、がん、生活習慣病などの予防になりますが、活性酸素によって酸化を抑えることを、抗酸化と言い、活性酸素から体を守ることを抗酸化作用と言います。

 抗酸化とは体の中を錆びつかせない(酸化を抑えること)ことですが、活性酸素は体内の酵素によって分解されます。しかし活性酸素の生成量が多いと、無毒化が間に合わずダメージを受けてしまいます。活性酸素の働きを抑えるのは酵素だけでなく、抗酸化物質も活性酸素から体を守ってくれます。

 私たちの体内では活性酸素を無毒化する抗酸化の働きが加齢によって低下していきます。そのため処理しきれなかった活性酸素は体内にたまり、より毒性の強いものへと変わっていきます。
以上

・・・やっぱり激しい運動はかえって命を縮めると理解できる。

酒と人生を謳った李白2021年07月06日

李白の出自
「中国が唐の時代、都の長安は異国の人々が集まる、はなやかな国際都市だった。
青い目をしたペルシアの娘が胡弓をひき、ペルシアの商人が行き来していた。
 唐代の大詩人であり「詩仙」と呼ばれている李白も、こうしたペルシア人、あるいはトルコ人の子孫であったといわれている。李白が生まれたのは、中央アジアにある砕葉だった。この地は。今のキルギス共和国・トクマク市だと考えられているが、昔は中国の辺境、民族の雑居地帯だった。
 だから、李白が異民族の血を受け継ぎ、その目が青かったことは、十分に考えられることだったのだ。あるいは、彼の父が豪商であったことから、異民族の女性に生ませた子どもだったのかもしれない。」

月下独酌 李白
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢

月下独酌 李白
花間 一壷の酒、
独り酌んで相親しむもの無し。
杯を挙げて名月を迎え、
影に対して三人と成る。
月既に飲を解せず、
影徒に我が身に随う。
暫く月と影とを伴い、
行楽須(すべか)らく春に及ぶべし。
我歌えば月徘徊し、
我舞えば影零乱す。
醒むる時ともに交歓し、
酔うて後は各々分散す。
永く無情の遊を結び、
相期す遥かなる雲漢に。
花の咲き乱れるところに徳利の酒を持ち出したが
相伴してくれる者もいない。

そこで杯を挙げて名月を酒の相手として招き、
月と私と私の影、これで仲間が三人となった。

だが月は何しろ酒を飲むことを理解できないし、
影はひたすら私の身に随うばかりだ。

まあともかくこの春の間、
しばらく月と影と一緒に楽しもう。

私が歌えば月は歩きまわり、
私が舞えば影はゆらめく。

しらふの時は一緒に楽しみ、
酔った後はそれぞれ別れていく。

月と影という、この無情の者と永く親しい交わりをして、
遥かな天の川で再会しようと約束するのだ。
以上
・・・酒を謳う漢詩はあるが李白はとくに多かったらしい。

ルバイヤートの酒の詩2021年07月07日

「世界史の窓」から
イスラーム文学を代表するオマル=ハイヤームの詩。

 セルジューク朝時代のウマル=ハイヤームの著したとされる詩集。四行詩集とも言う。人の世の無常と愛の祝福を歌いイラン文学の最も重要な作品となっている。1859年にイギリスの詩人E.フィッツジェラルドが英訳し、広く世界に知られることとなった。

ルバイヤートの謎 ペルシア詩が誘う考古の世界 (集英社新書)
 アジア史研究者が案内する、ペルシア四行詩をめぐる冒険と考古の旅
『ルバイヤート』とは、一一世紀のペルシアに生まれた天才オマル・ハイヤームが作った四行詩の総称であり、その詩集の名称である。
 ペルシア文化の精髄の一つと言われるこの詩集は一九世紀、英国詩人フィッツジェラルド訳で注目を集め、今や世界中で翻訳されている。
 著者は、深い諦観と享楽主義が同居するこの詩の世界に触れることで、西域探検史、特に探検家ヘディン研究の第一人者として、中央アジア史と東南アジア史の調査研究を続ける道を拓いた。
 謎に満ち、今も人々を魅了する『ルバイヤート』。長年の研究調査で知り得たエピソードをまじえ解説し、その魅力と謎に迫る、誘いの一冊。

 オマル・ハイヤームのルバイヤートより。
「酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、/
また青春の唯一(ゆいつ)の効果(しるし)だ。/
花と酒、君も浮かれる春の季節に、/
たのしめ一瞬(ひととき)を、それこそ真の人生だ!」
(小川亮作訳)

・・・酒の詩は世界共通のテーマですね。

リアル例会の意義2021年07月08日

 昨夜は久々にリアル例会だった。4月は例会総会が開催できた。5月、6月は中止した。今日は中生涯センターもマンボーで20時までの限定的ながら開催できた。生の会話のやり取りが嬉しくもある。そして久々に山行予定を組めるのも喜びである。加えて、新人の女性1名と入会希望者1名が出席してくれた。
 夏山の予定は低調ながらいくつかは提案されて、クライミング講習会も開催する運びになり、例会らしさが戻った。
 残念なことは例会終了後も近くのレストランで夜遅くまでアフター例会ができなくなったことである。ここでは色んな考えも出てくるし、次につながる提案、忘れていたことを思い出すこともある。有意義なアフター例会なのである。
 結局、大須商店街の繁華街をうろついたとて、お持ち帰り以外はどこも開いている飲食店はなく、上前津の交差点で立ち話を1時間以上もしていただろうか。22時6分の地下鉄に乗って帰宅した。

「表現の不自由展・その後」突然中止になる2021年07月08日

https://www.chunichi.co.jp/article/287050
「 名古屋市中区の市施設「市民ギャラリー栄」で開催中の企画展「表現の不自由展・その後」の作品展示を巡り、名古屋市は8日、安全管理上の支障が生じたとして、市民ギャラリー栄の利用を一時停止すると発表した。企画展は2019年に愛知県で開かれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」でも一時中止となっている。
 名古屋・中署によると、8日午前9時35分ごろ、市民ギャラリー栄に届いた郵便物をギャラリー職員が開封したところ、封筒の中で約10回、破裂音がした。郵便物は縦23センチ、横12センチほどの茶色の封筒で、宛名はギャラリー栄だった。けが人はいない。」

・・・やっぱり妨害が入った。平穏無事には終わるはずはない。街宣はまだ外で刑事さんらが見張っていることで暴力沙汰を制止することができる。会場に爆発音がするものが届いたことで閉鎖せざるを得ない状況になったからである。
 卑劣な手段だが、主催者も懲りない人々であろう。天皇の御真影を焼いて踏みつける映像は日本人の心理を逆なでする。もってのほかと思う。平和の少女像も以前は従軍慰安婦像だったが、従軍慰安婦が論破されてしまったから名前を変えた。ドームテントも戦死者を侮辱するから遺族は嫌な思いがすることだろう。
 人の嫌がる芸術はあり得んと思う。喜劇か悲劇であり、嫌がらせはどうかな。必ずブーメランがある。爆竹を送った人は腸が煮えくり返る想いであろう。だから手段を選ばずやったのだ。犯罪ゆえに支持はできないが理解はできる。
 今回は主催者側は運動費をクラウドファンディングで募ったら120万円程度は確保したらしい。公費からの芸術への補助金は出ないから、その代わりとしたら十分な金額ではないか。ここらで過激すぎる主張を取り下げても良いんではないか。