堤防の草も靡くや青嵐2018年07月05日

 天気図を見ると、低気圧や高気圧が点在して複雑である。昨日は低気圧の影響で梅雨の風が吹き荒れた。青嵐というやつである。原稿を書き終えたが、1日中ひきこもるわけにもいかず、買い物に出かけた。
 昨夜はたまっていた新聞の集金が2紙どっと来た。Y紙は2ヶ月分たまっていた。C紙は販売店が変わり集金が遅れていた。集金は同じ人が来たが、今までの販売店は6月末で閉鎖したとのこと。自分も6年間勤めたが退職するとのことだった。
 メディアの信頼度は下がるばかりになった。朝日新聞は徒歩圏にあった販売店が地下鉄で二駅西向こうに遠のいた。昭和区ならば文教地区なので、教員、大学教授、公務員など左巻きの読者が多く量を確保できるだろう。
 中日新聞も徒歩5分のところにあったのに、突然閉鎖を告げて二駅東の平針駅まで遠のいた。店名は村瀬販売店という。平針における村瀬の名前は多いから地場の人なのだろう。
 針名神社の寄進者の名前にも村瀬姓は多かった。昨年世話になったむらせ薬局さん、建材店、美容院、等々。古い宿場町なので流通で財を築いたのだろう。今も平針住宅という大団地を抱える。
 それにしても、全国有数のブロック紙がなぜ信頼を失って部数を減らしたのかは原因不明。インターネット時代で、スマホに移ったことが大きいであろう。しかしもっと根本的には左翼の紙面作りが飽きられたと思わざるを得ない。ソ連は崩壊、共産主義の国家が消滅、社会党も消滅、日本共産党も青息吐息である。
 ソ連主導の共産主義はアメリカ主導のグローバリズムにとってかわった。ベトナム戦争のころに変換したと馬渕先生の本にある。どちらでも主体はユダヤ人である。そのお陰でアメリカ経済は疲弊、それをトランプが出てきてひっくり返した。
 少し前の話。浅野梨郷は名古屋の生んだ歌人であるが、中日新聞は中央の歌人に対立する地方の歌人として描いていたのにはびっくりした。左巻きの記者は歌人でさえ、弁証法的に、決まりきった形で把握するしかないようである。実は中央との子弟関係あればこその浅野梨郷だったのに。
 最近では、河村市長がリードする名古屋城の木造再建事業にケチばかりつける主張が絶えまなく出てくる。それに身体障害者団体の主張をとりあげてEVを設置しろ、と主張する。
 はっきり言って、新聞社が世論づくりをリードする時代は終わった。中国や韓国に謝罪せよ、戦争で迷惑を掛けたから経済援助せよ、という主張はウソだった。
 新聞社内にも在日韓国人記者が増えているそうだ。影響力の大きいTV業界はもっと多いだろう。旧民主党にも帰化した朝鮮系日本人の政治家が多かった。この傾向がメディアの信頼性を著しく低下させた。団塊の世代がTVを見ない、新聞を取らなくなるとメディアは崩壊するかも知れない。新聞販売店の衰勢はその前兆か。