苗田水堰かれて分れ行きにけり 前田普羅2017年05月20日

 前田普羅『渓谷を出づる人の言葉』(中西舗土解説、1994年、能登印刷出版部)のP100から。
 単なる風景句に思うが、本書の解説を読むと、富山の自然への観察の行き届いた結果の俳句と分かる。山の好きな普羅は句材を求めてか、たびたび1等三角点のある呉羽山145mに登った。そこから立山方面を眺めると常願寺川の白い川原が尾根のように見えるという観察から始まる。富山は常願寺川が切れたら水の底と言われてきたらしい。
 普羅の住んでいたのは富山駅の北の奥田町というところ。実は標高6.5mで、すぐ隣を神通川が流れる。どちらかといえば、神通川の氾濫を恐れるべきだが、今以上の土砂の流出はあるまいと楽観視する。
 常願寺川を破壊の天才として恐れているのは山岳俳人ならではの深い見方である。立山カルデラ砂防博物館を見学すると、今も常時防災活動が行われていた。かつては立山温泉があったところで、砂防堰堤の建設作業が行われている。五色ヶ原の左側はとてつもない人間の果てしない事業が続いている。
 富山市上滝辺りは標高165mあり、そこから扇状地が始まる。発電設備や取水口もあって、用水路で下流の水田地帯を潤し、末端で都市生活の水をまかなう。「私達の地上の運命は常願寺川の御機嫌一つに掛っている」として、以下「然しそのために苗田の水も稲田の水も年毎に少しの不自由も感ぜず、また私達の井戸も四時清冷な水を高く吹き上げているのである」と結ぶ。
 俳句にしてしまうと簡単であるが、深い観察力と洞察力が加わっていることを思う。これが普羅の提唱していた地貌ということにも思いを致す。足元を詠め、とも指導していた。それはこの句に如実に現れている。

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