映画「いのちの山河」鑑賞2010年03月06日

大澤豊監督が2009年製作。日本の青空Ⅱ製作委員会。
 昨年秋に地元の岩手県で初公開されたようだ。愛知県では1/29ウイル愛知で公開され劇場公開は2/20から名駅前のシネマスコーレで。
 原作は新潮文庫『村長ありき』沢内村深沢晟雄の生涯。昭和59年に単行本が出て昭和62年に文庫本化された。この本以前に岩波新書から『自分たちで生命を守った村』(昭和43年)が出ている。何のきっかけで読んだのか忘れたが秋田県との境にある和賀岳に登山したい希望があり調査の過程で知ったかに思う。
 和賀岳は標高1440m余り、名山というほど知名度は高くはないが1等三角点があり、ブナの原生林が残る自然郷である。私には垂涎の山、久恋の山である。いずれ沢内村探訪と兼ねて行きたい。
 貧しい山村が一人の村長の懸命の働きでよみがえり前出の本などで有名になった。深沢村長は1905年に生まれ東北大を卒業後、満洲開拓に夢を託して外地で働く。終戦で沢内村に帰郷したのは40歳だったことになる。それから教員、教育長、助役と成りあがり、村長の椅子に着くや多くの協力者を得て乳幼児死亡率ゼロを達成した。
 今また高齢者の医療問題で揺れ動く保健行政の最中で映画化された意義は大きいだろう。製作者の意図もそこにあったに違いない。国から与えていただく医療ではなく、村民が自ら勝ち取っていく医療のケースとして自治のあり方を考える本でもあった。
 メロドラマとかサスペンスのような娯楽映画ではない。しかし、フィクションである以上最後まで飽きさせないで盛り上がるように演出はされている。有名な俳優も村長の父を演じた加藤剛ただ一人だ。村長の妻を演じたとよた真帆も名前しか知らなかった。村長を演じた俳優は初見の長谷川 初範(1955生)だが宇津井健(1931生)に良く似た風貌である。顔が似ているとしゃべり方まで似るものか。
 映画は深沢村長が不治の病食道ガンで死んだところで一応の終である。病院のベッドで妻ミキの手を強く握り返したところでこと切れる。享年59歳の若さであった。遺体が雪の降る峠道を車に乗って越える。村の中に入り多くの村民に迎えられるところで終わった。思わず涙が出てしまった。『村長ありき』では冒頭、村長の遺体が雪の降る山伏峠を越えて多くの村民に迎えられる場面から始るから映画とは反対の切り出し方になる。
 物語は終わっても医療は永遠である。

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