西岡一男『泉を聴く』(中公文庫)のこと2010年03月12日

 Kさんが晩年筆談で必死に言いたかったことは今読み直して見当はついた。おそらく「斉藤と僕」の項目であろう。
 「斎藤君はどうしただろう」という文で始る。そして「ああ、巨躯六尺の身長とはいえ、また多年山やスキーで鍛えあげた体躯とはいえ、長年の激しい左翼運動と、しかして世間の圧迫と官憲の威圧のために気力も心身もとうに疲れうせて、切望的呪詛の中に幾度か空しき反抗を試み、虐げられ、押し詰められ、遂に囚われた彼であった。」
 斉藤君は大正14年に一言も言わずに登山道具やスキーを西岡に委託してカネに換えた。そのカネは左翼運動につかわれたことはほとんど疑わない、という。
 最後のくくりは気がはって名文である。
 「今、花吹雪と暖風はわが頬をなでる。山+劗-リ岏(さんがん)として一万尺の山にはなお堅氷を結び、麓にも白いものが散る。勇躍しきりに闘志に燃ゆる。
 況や山けわしきなるにおいておや。この時、三月雪の立山をおもい、彼の身をしのぶこと一しお切なるものがある。
 私は今少しく心を傷めている。綿々としてつきぬ愛切の洪情である。しかししてまさに征かんとする雪山に対して乾坤一擲の勝負を試みたい。ああ時は春だ。彼斎藤、願わくば健在であれ、願わくば健在であれ」と結ぶ。
 斎藤君は貧乏な染織工であった。しかし登山は一流のものを使った。スタイルは抜群によく、スキーもうまかった。性格は貴族的な感じであった。病床にあって自分の人生を振り返るとき斉藤君に自分を重ね、この名文に魂の震えを感じたに違いない。